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text:jikkinsho:s_jikkinsho06-17 [2016/01/07 21:43] – 作成 Satoshi Nakagawatext:jikkinsho:s_jikkinsho06-17 [2023/12/10 21:52] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 頼義・義家ら、忠を天朝につくして、名を遠近に上げける。 頼義・義家ら、忠を天朝につくして、名を遠近に上げける。
  
-その後、年ごろ経て、白河院の御時、後藤内則明((藤原則明))が老衰へたりけるを召し出だして、軍の物語せさせられけるに、先づ申していはく、「故頼義朝臣((「朝臣」底本「臣」。諸本により訂正。))の鎮守府をたちて、秋田城へ着き侍りし時、うす雪ふり侍りしに、軍の男(おのこ)ども・・・」と申すあひだ、法皇の、「今はさやうにて候へ。事の体、幽玄なり。残のこと、これにて足りぬべし」とて、御衣を賜はせけり。+その後、年ごろ経て、白河院の御時、後藤内則明((藤原則明))が老衰へたりけるを召し出だして、軍の物語せさせられけるに、先づ申していはく、「故頼義朝臣((「朝臣」底本「臣」。諸本により訂正。))の鎮守府をたちて、秋田城へ着き侍りし時、うす雪ふり侍りしに、軍の男(おのこ)ども・・・」と申すあひだ、法皇の、「今はさやうにて候へ。事の体、幽玄なり。残のこと、これにて足りぬべし」とて、御衣を賜はせけり。
  
-そもそも、松を貞木といふことは、まさしく人のために、かの木の貞心あるにあらず。雪霜のはげしきにも色あらたまらず、いつとなく緑なれば、これを貞心に比ぶるなり。「勁松は年の寒きにあらはれ、忠臣は国のあやうきに見ゆ」と、潘安仁が「西征の賦」に書ける、その意なり。+そもそも、松を貞木といふことは、まさしく人のために、かの木の貞心あるにあらず。雪霜のはげしきにも色あらたまらず、いつとなく緑なれば、これを貞心に比ぶるなり。「勁松は年の寒きにあらはれ、忠臣は国のあやうきに見ゆ」と、潘安仁((潘岳))が「西征の賦」に書ける、その意なり。
  
 菅家((菅原道真))、太宰府に思しめし立ちけるころ、 菅家((菅原道真))、太宰府に思しめし立ちけるころ、
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 と申したりけるこそ、あさましとも、あはれとも、心もおよばれね。 と申したりけるこそ、あさましとも、あはれとも、心もおよばれね。
  
-唐国(からくに)の帝、文を好み給ひけれ開け、学問おこたり給へば、散りしぼみける梅はありけれ。好文木とぞいひける。+唐国(からくに)の帝、文を好み給ひけれ開け、学問り給へば、散りしぼみける梅はありけれ。好文木とぞいひける。
  
 それなほ、ものも言はざりけり。まことに、一日に万里の山海をわけて飛び参るほどなれば、もの申しけるも理(ことはり)なり。この梅こそ、貞木とは思ゆれ。 それなほ、ものも言はざりけり。まことに、一日に万里の山海をわけて飛び参るほどなれば、もの申しけるも理(ことはり)なり。この梅こそ、貞木とは思ゆれ。
text/jikkinsho/s_jikkinsho06-17.1452170580.txt.gz · 最終更新: 2016/01/07 21:43 by Satoshi Nakagawa