text:jikkinsho:s_jikkinsho06-17
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
両方とも前のリビジョン前のリビジョン次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
text:jikkinsho:s_jikkinsho06-17 [2016/01/09 22:27] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | text:jikkinsho:s_jikkinsho06-17 [2023/12/10 21:52] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
---|---|---|---|
行 32: | 行 32: | ||
その後、年ごろ経て、白河院の御時、後藤内則明((藤原則明))が老い衰へたりけるを召し出だして、軍の物語せさせられけるに、先づ申していはく、「故頼義朝臣((「朝臣」底本「臣」。諸本により訂正。))の鎮守府をたちて、秋田城へ着き侍りし時、うす雪ふり侍りしに、軍の男(おのこ)ども・・・」と申すあひだ、法皇の、「今はさやうにて候へ。事の体、幽玄なり。残のこと、これにて足りぬべし」とて、御衣を賜はせけり。 | その後、年ごろ経て、白河院の御時、後藤内則明((藤原則明))が老い衰へたりけるを召し出だして、軍の物語せさせられけるに、先づ申していはく、「故頼義朝臣((「朝臣」底本「臣」。諸本により訂正。))の鎮守府をたちて、秋田城へ着き侍りし時、うす雪ふり侍りしに、軍の男(おのこ)ども・・・」と申すあひだ、法皇の、「今はさやうにて候へ。事の体、幽玄なり。残のこと、これにて足りぬべし」とて、御衣を賜はせけり。 | ||
- | そもそも、松を貞木といふことは、まさしく人のために、かの木の貞心あるにあらず。雪霜のはげしきにも色あらたまらず、いつとなく緑なれば、これを貞心に比ぶるなり。「勁松は年の寒きにあらはれ、忠臣は国のあやうきに見ゆ」と、潘安仁が「西征の賦」に書ける、その意なり。 | + | そもそも、松を貞木といふことは、まさしく人のために、かの木の貞心あるにあらず。雪霜のはげしきにも色あらたまらず、いつとなく緑なれば、これを貞心に比ぶるなり。「勁松は年の寒きにあらはれ、忠臣は国のあやうきに見ゆ」と、潘安仁((潘岳))が「西征の賦」に書ける、その意なり。 |
菅家((菅原道真))、太宰府に思しめし立ちけるころ、 | 菅家((菅原道真))、太宰府に思しめし立ちけるころ、 | ||
行 56: | 行 56: | ||
と申したりけるこそ、あさましとも、あはれとも、心もおよばれね。 | と申したりけるこそ、あさましとも、あはれとも、心もおよばれね。 | ||
- | 唐国(からくに)の帝、文を好み給ひけれは開け、学問おこたり給へば、散りしぼみける梅はありけれ。好文木とぞいひける。 | + | 唐国(からくに)の帝、文を好み給ひければ開け、学問怠り給へば、散りしぼみける梅はありけれ。好文木とぞいひける。 |
それなほ、ものも言はざりけり。まことに、一日に万里の山海をわけて飛び参るほどなれば、もの申しけるも理(ことはり)なり。この梅こそ、貞木とは思ゆれ。 | それなほ、ものも言はざりけり。まことに、一日に万里の山海をわけて飛び参るほどなれば、もの申しけるも理(ことはり)なり。この梅こそ、貞木とは思ゆれ。 |
text/jikkinsho/s_jikkinsho06-17.txt · 最終更新: 2023/12/10 21:52 by Satoshi Nakagawa