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text:chomonju:s_chomonju052
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text:chomonju:s_chomonju052 [2020/01/18 21:40] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +[[index.html|古今著聞集]] 釈教第二
 +====== 52 平等院僧正行尊は小一条院の御孫侍従の宰相の子なり・・・ ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +平等院僧正行尊は、小一条院の((三条天皇第一皇子敦明親王))御孫、侍従の宰相((源基平))の子なり。母の夢に、中堂に参りたりけるに、三尺の薬師如来を抱(いだ)き奉ると見て、いくほどを経ずして懐妊ありけり。すべからく台嶺((比叡山延暦寺))の法師にてぞあるべかりけれども、流に引かれて寺法師((三井寺の僧))になり給ひにけり。実相房大阿闍梨に随逐(ずいちく)して、三部の大法、諸尊別行護の秘法を受け、秘密灌頂を伝へ給へり。
 +
 +出家の後、住寺の間、一夜も住房にとどまらず、金堂の弥勒を礼拝して、四・五更を送りけり。十二歳の六月廿日より不動供養法を勤修(ごんじゆ)せられけり。十七にて修行に出でて、十八ヶ年帰洛せず。その間に。大峰の辺地・葛木・そのほか霊験の名地ごとに、歩みを運ばずといふことなし。かく身命を捨てて五十有余に及ぶ。その行、退転することなし。
 +
 +その間に護摩を修すること、小壇支度物等にあひ具して、あへて断絶することなし。其日数をかぞふれば、前後都合八千余日なり。また毎日数百遍の礼拝ありけり。本寺の住房にして、初めて不動護摩を修せられける時、夢中に不動尊仕者、形をあらはして見え給ひけり。たけ三・四尺ばかりなる童子の、青衣の上に紫なるをぞ着給ひたりける。左手に剣ならびに索(さく)を持ち、右手に剣印をなす。壇上より歩み来たりて、乳上に当りて、種々のことを示し給ふ中に、「約束のごとく、護摩二千日勤行せらるべきなり」とのたまはせければ、僧正承諾せられにけり。
 +
 +その後、大峰の神仙に五七日宿したることありけり。これまれなることなり。同行一人もしたがはず、ただ一人庵室に居て、経を読み呪をみてて日を送り給ひけるに、陰雲靉靆(いんうんあいたい)して雨滂沱(あめばうだ)、庵室の中、河流のごとくして、身を入るべき所なし。わづかに岩の上に蹲居(そんきよ)して、存命ほとんど危なかりけり。高声(かうしやう)に経を読み奉る。「我不愛身命、但惜無上道。(われ身命を愛(お)しまず、ただ無上道を惜しむ。)」の義なり。
 +
 +夜更けて、夢ともなくうつつともなく、容貌美麗なる総角(あげまき)の幼童、左右におのおの一人、僧正の足をささげたり。驚きて、幼童を求むるに、はじめて夢と知りて、感涙おさへがたし。いよいよ本尊を念ふて眠れば、また先のごとく童子見えけり。
 +
 +麗景殿女御((藤原延子))、僧正を御猶子(いうし)にして、憐愍(れんみん)の志、実子に過ぎたりけり。僧正、修行に出でられて、大峰に行はるる間、女御、日ごろ病にわづらひ((「わづらひ」は底本「わけらひ」。諸本により訂正。))給ひて、存命憑(たの)みなくなり給ひける時、僧信禅を使(つかひ)として、今一度見奉らんがために、急ぎ帰洛し給ふべきよし申されけり。
 +
 +草庵の内に、ただ一人経を読みて、影のごとくに衰へて、その人とも見えず、涙におぼれて、しばしものも言はれず。あひかまへて、かの仰せの旨(むね)申しければ((「申しければ」は底本「申し」なし。諸本により補う。))、僧正、「われ、この行を企てて、世事を思ひ捨てて三宝の加護を頼み奉れば、もろもろの怖畏なし。女御の御悩(ごなう)も、おのづから除き給はんか」とて、柑子一裹、加持して参らせられけり。
 +
 +信禅、帰り参りて、そのよし申されて、件(くだん)の柑子を奉りければ、すなはち服せしめ給ひて、御悩平癒し給ひてけり。
 +
 +大峰に入られける日、斎持の粮米、白米七升なり。そのうち四舛は日ごろ失せにけり。残るところ三升なり。笙の岩屋にて疲極の山伏を饗し、大略残るものなかりけり。
 +
 +そのころのことにや、かの岩屋にて、
 +
 +  草の庵(いほ)なに露けしと思ひけん漏らぬ岩屋も袖は濡れけり
 +
 +また、箕面山に三ヶ月こもられける時、夢に竜宮に至りて、如意宝珠を得たり。その間の奇異多けれども記さず。
 +
 +およそ浮雲のごとくにさすらひ歩(あり)き給ひて、和泉国槙尾山といふ所にて、かの山の住僧に奉仕せられけり。阿私仙に大王((釈迦))の仕へしがごとし。
 +
 +その時、村邑に産する女ありけり。祈らしめんがために、かの住僧を請じけり。僧、故障ありて行かず。「ただし、近ごろより給仕する下僧あり。件の僧をやるべし」と言ひければ、産婦の夫、「それにても」と言ひければ、すなはち僧正にそのよしを申しけり。僧正、験者にたへざるよしを、しきりにのたまひけれども、あながちに言ふことなれば、おはしつつ、しばらく念誦の間に、平らかに生まれにけり。家に悦びて、牛を引きたりけり。僧正、これを得て、かの住僧に賜びければ、感悦はなはだし。
 +
 +かかるほどに、僧正の御姉梅壺の女御((源基子))、このおはしますやうを聞かせ給ひて、かの国の司藤原宗基に仰せて、小袖以下の御送り物ありければ、馬の允某、御使にて、かの山に参向しけるに、はからざるに僧正に見あひ奉りにけり。地上に跪(ひざまづ)きて、驚き怪しむことかぎりなし((「かぎりなし」は底本「かさりなし」。諸本により訂正。))。住僧、これを見て、貴人のよしを知りて、科(とが)を悔みて、恐れまどへるさまことわりなり。僧正、「身のこと知られぬ」と、夜中に行方を知らず失せられにけり。
 +
 +昔、玄賓僧都の、伊賀国の郡司に仕へて侍りけるためし(([[:text:hosshinju:h_hosshinju1-02|『発心集』1-2]]参照。))に同じく侍り。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +  平等院僧正行尊は小一条院御孫侍従宰相子也母の
 +  夢に中堂にまいりたりけるに三尺薬師如来をいたき
 +  奉るとみていく程をへすして懐妊ありけりすへからく
 +  台嶺の法師にてそ有へかりけれとも流にひかれて寺法
 +  師に成給にけり実相房大阿闍梨に随逐して三部大法/s47r
 +
 +  諸尊別行護秘法をうけ秘密灌頂を伝給へり出家
 +  の後住寺の間一夜も住房にととまらす金堂弥勒を
 +  礼拝して四五更を送りけり十二歳の六月廿日より不動
 +  供養法を勤修せられけり十七にて修行にいてて十八ヶ
 +  年帰洛せす其間に大峯辺地葛木そのほか霊験の
 +  名地ことに歩をはこはすといふことなしかく身命を捨て
 +  五十有餘にをよふ其行退転する事なしその間
 +  に護摩を修する事小壇支度物等に相具して
 +  敢断絶する事なし其日数をかそふれは前後都合
 +  八千餘日也又毎日数百遍の礼拝ありけり本寺の住房に
 +  してはしめて不動護摩を修せられける時夢中に不動/s47l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/47
 +
 +  尊仕者形をあらはして見え給けりたけ三四尺斗なる
 +  童子の青衣のうへに紫なるをそき給ひたりける
 +  左手に釼并索をもち右手に釼印をなす壇上より
 +  歩来て乳上に当て種々のことをしめし給ふ中に
 +  約束のことく護摩二千日勤行せらるへきなりと
 +  の給はせけれは僧正承諾せられにけり其後大峯の
 +  神仙に五七日宿したる事ありけり是まれなる
 +  事也同行一人もしたかはす只独庵室に居て経をよみ
 +  呪をみてて日を送り給けるに陰雲靉靆雨滂沱庵室
 +  の中河流のことくして身をいるへき所なし僅に岩の
 +  上に蹲居して存命殆あふなかりけり高声に経を/s48r
 +
 +  よみ奉る我不愛身命但惜無上道の義なり夜
 +  深て夢ともなくうつつともなく容貌美麗なる
 +  総角の幼童左右に各一人僧正の足をささ斗たり
 +  驚て幼童を求にはしめて夢としりて感涙おさへ
 +  かたし弥本尊を念して眠れは又さきのことく童子
 +  見えけり麗景殿女御僧正を御猶子にして憐愍の
 +  志実子に過たりけり僧正修行に出られて大峯に
 +  おこなはるる間女御日来病にわけらひ給て存命憑
 +  なくなり給ける時僧信禅を使として今一度みたて
 +  まつらんかためにいそき帰洛し給へき由申されけり
 +  草庵の内にたた一人経をよみて影のことくに衰て/s48l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/48
 +
 +  其人とも見えす涙におほれてしはし物もいはれす相
 +  構て彼仰の旨けれは僧正われ此行をくはたてて世
 +  事を思すてて三宝の加護をたのみたてまつれは
 +  もろもろの怖畏なし女御の御悩もおのつから除給はん
 +  かとて柑子一裹加持してまいらせられけり信禅帰ま
 +  いりて其由申されて件柑子を奉りけれは即服せし
 +  め給て御悩平癒し給てけり大峯に入られける日斎持
 +  の粮米白米七舛也其中四舛は日来うせにけりのこる
 +  ところ三舛なり笙岩屋にて疲極の山伏を饗し大
 +  略のこる物なかりけり其比の事にやかの岩屋にて
 +   草庵なに露けしと思けんもらぬ岩屋も袖はぬれけり/s49r
 +
 +  又箕面山に三ヶ月こもられける時夢に龍宮にいたりて如
 +  意宝珠を得たり其間の奇異おほけれともしる
 +  さす凡浮雲のことくにさすらひありき給て和泉国槙尾山
 +  といふ所にて彼山の住僧に奉仕せられけり阿私仙に大王
 +  の仕へしかことし其時村邑に産する女ありけりいのらし
 +  めんかために彼住僧を請しけり僧故障ありてゆかすたたし
 +  近比より給仕する下僧あり件僧をやるへしといひけれ
 +  は産婦の夫それにてもといひけれは即僧正に其由を申
 +  けり僧正験者に堪さるよしを頻にの給けれともあな
 +  かちにいふ事なれはおはしつつしはらく念誦の間に平
 +  にむまれにけり家に悦て牛を引たりけり僧正これ/s49l
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/49
 +
 +  を得て彼住僧にたひけれは感悦甚しかかる程に僧正
 +  の御姉梅壺女御此おはしますやうをきかせ給て彼国
 +  司藤原宗基に仰て小袖以下の御送物ありけれは
 +  馬允某御使にて彼山に参向しけるにはからさるに僧正に
 +  見あひ奉りにけり地上に跪て驚あやしむ事かさり
 +  なし住僧これをみて貴人の由をしりて科を悔て
 +  恐まとへるさまことはり也僧正身の事しられぬと夜中
 +  に行方をしらすうせられにけり昔玄賓僧都の伊賀
 +  国の郡司につかへて侍けるためしにおなしく侍り大/s50r
 +
 +http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/50
  
text/chomonju/s_chomonju052.txt · 最終更新: 2020/01/18 21:40 by Satoshi Nakagawa