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text:chomonju:s_chomonju020 [2015/03/08 03:04] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:chomonju:s_chomonju020 [2020/02/01 22:19] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 古今著聞集 神祇第一 | + | [[index.html|古今著聞集]] 神祇第一 |
====== 20 応保二年二月二十三日中納言実長卿日吉の行幸の賞にて従二位を・・・ ====== | ====== 20 応保二年二月二十三日中納言実長卿日吉の行幸の賞にて従二位を・・・ ====== | ||
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かくて年月を経るほどに、治承元年三月五日、妙音院の大臣((藤原師長))、内大臣にておはしましけるが、太政大臣にのぼり給ひて、小松の大臣((平重盛))、大納言の左大将にて侍りけるが、内大臣にのほられける替りに、大納言に返り成りつつ、六月五日、内大臣、程なく大将を辞し申されければ、「さりとも、この闕には」と、頼み深かりけれども、とかく障りて、月日の過ぎければ、この望み成就せば厳島に詣づべきよしなど、心の中に願を立てられけるほどに、十二月二十七日、つひに左大将になられにけり。若宮の御託宣も思ひあはせられ、厳島の宿願も憑(たの)みありてぞ思ひ給ひける。 | かくて年月を経るほどに、治承元年三月五日、妙音院の大臣((藤原師長))、内大臣にておはしましけるが、太政大臣にのぼり給ひて、小松の大臣((平重盛))、大納言の左大将にて侍りけるが、内大臣にのほられける替りに、大納言に返り成りつつ、六月五日、内大臣、程なく大将を辞し申されければ、「さりとも、この闕には」と、頼み深かりけれども、とかく障りて、月日の過ぎければ、この望み成就せば厳島に詣づべきよしなど、心の中に願を立てられけるほどに、十二月二十七日、つひに左大将になられにけり。若宮の御託宣も思ひあはせられ、厳島の宿願も憑(たの)みありてぞ思ひ給ひける。 | ||
- | 同じき三年三月晦日、「厳島に参る」とて、出られにけり。大納言実国卿・中納言実家卿など伴(ともな)ひ侍りけるとぞ。この日、中御門の左府((藤原経宗))も参り給ひたりけり。三条左大臣入道((藤原実房))、そのとき大納言なり。六条の太政の大臣((藤原頼実))の、中将にて侍りけるもおはしける、伴ひ申されけり。この度(たび)のことにや、中将、かの島の宝前にて、太平楽の曲舞はれけるが、面白かりけることなり。 | + | 同じき三年三月晦日、「厳島に参る」とて、出られにけり。大納言実国卿・中納言実家卿など伴(ともな)ひ侍りけるとぞ。この日、中御門の左府((藤原経宗))も参り給ひたりけり。三条左大臣入道((藤原実房・三条実房))、そのとき大納言なり。六条の太政の大臣((藤原頼実))の、中将にて侍りけるもおはしける、伴ひ申されけり。この度(たび)のことにや、中将、かの島の宝前にて、太平楽の曲舞はれけるが、面白かりけることなり。 |
===== 翻刻 ===== | ===== 翻刻 ===== | ||
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信仰の涙をのこひ歓喜の思をなして下向せられに | 信仰の涙をのこひ歓喜の思をなして下向せられに | ||
けり其此詩の秀句もおほくきこえける中に/s21l | けり其此詩の秀句もおほくきこえける中に/s21l | ||
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罷官未忘九重月 | 罷官未忘九重月 | ||
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此たひのことにや中将彼島の宝前にて太平楽の | 此たひのことにや中将彼島の宝前にて太平楽の | ||
曲まはれけるかおもしろかりける事也/s22l | 曲まはれけるかおもしろかりける事也/s22l | ||
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text/chomonju/s_chomonju020.txt · 最終更新: 2020/02/01 22:19 by Satoshi Nakagawa