ユーザ用ツール

サイト用ツール


wmr:kumano2

文書の過去の版を表示しています。


大雲取越え(2002/7/22)

2002/7/22

午前6時、朝食にインスタントスパゲッティーを食べて出発。めはり寿司は夜食に食べてしまったのだ。夕べは深夜まで、花火で遊ぶ声がうるさくてよく眠れなかった。

朝のウォーキングをしていたおじさんと話し情報収集。このおじさん、地元の人で、ウォーキングが終った後も僕を待っていてくれて、道を教えてくれた。

まだ早いので、那智山までのバスは出ていない。補陀落山寺をおまいりしたあと、まだ涼しいので、熊野那智大社まで歩いていくことにした。

一時間ほど歩くと、旧参道の大門坂の入口に着く。両側に夫婦杉という、巨大な杉があり、その間から石段が伸びる。昨日の神倉神社の石段よりも大きな石で作られている。見栄えはいいが、やはり歩きにくい。しかし、これは序章にすぎなかった。

ここでちょっと説明しておくと、熊野古道の石段は、よくお寺や神社にあるような方形の石を組んだものではなく、大人がひとかかえもあるような丸石を組んだものである。したがって、一段一段が高く、不規則である。長身の僕でさえそうなのだから、背の低いむかしの人はたいへんだったろう。ともかく以降、この石段、石畳に悩まされることになる。

大門坂の美しい石段を登り終え、そこからさらに階段を登って行くと、そこは熊野那智大社だ。ここまで観光バスで来た観光客が、ゼイゼイいいながら登ってくる。こっちは10倍ぐらい登ってきたというのに。

熊野那智大社で熊野牛王神符を買う。神官から「牛王さん、ごぞんじでしたか」といわれた。「熊野といえば牛王でしょう」と答えておいた。実際そう思っていたのだが、こう聞かれるところからすると、あまり売れていないようだ。というのも、後で行った本宮では、前には置いておらず、神官に注文すると出てきた。

次に隣りの青岸渡寺へ。ここから有名な那智の滝が見える。もっと近いのかとおもったが、意外にもかなり小さくしか見えなかった。とはいえ、ここからが熊野古道、大雲取越えである。見にいく時間はない。

お寺のわきから、いよいよ古道へふみこむ。早速石段だ。

しばらく、石段の道を登って行くと、那智高原公園がある。とても広い公園で、遊具なども充実している。が、誰もいない。宿泊施設がないのだからいるわけがない。こいつは失敗作だ。

なかなかいい公園なのだが、ゆっくりしているひまはない。ペットボトルの水はまだ減っていなかったが、この後どこに水場があるかわからないので補給しようと、蛇口を捻ったが、出ない。

ここからかなり長いあいだ、石段の坂を登っていく。かなりきつい。そのうえ水場がまったくない。暑いので、一時間もあるくと、飲み干してしまうのだ。登立茶屋跡を越え、ひたすら登りつづけて舟見茶屋跡に着く。ここはすばらしい景色だが、やはり水場はない。

日本一、降水量の多い紀伊半島なのに、沢も湧き水もないのである。しかし、地面は湿っている。ひどいところではぬかるんでいたりするのだ。どうも、水がないのではなく地質が流れをつくらないのであろう。

舟見茶屋のある舟見峠を越えると、あとは下りである。この下りがまたつらい。コケの生えた石畳で、足元がおぼつかないのだ。気を抜くと滑ってしまう。

下りづけると、林道にぶつかり、横断して歩いていくと、待望の沢があった。下におりにくいが、ここで補給しなければ、もう補給できないかもしれないので、ザックをおろし、水を補給する。水はきれいだが、黄色い土が底にたまっているので、ちょっと水底につけてしまうと濁ってしまう。慎重にペットボトルに詰めた。冷たくてうまかった。

ところが、予想に反してこの後は沢ばかりだったのだ。まさに沢地獄。しまいには古道の石畳のすきまから水がふきだしていて、沢になってしまう。

もちろん、沢登りという程ではないが、よりすべりやすくなったわけで歩きにくいことこのうえない。ともかく、歩くのが精一杯で、自然を楽しむ余裕がない。

さらに歩いて行くと、いったん舗装された林道にでて、地蔵茶屋跡に着く。ここはちゃんとした休憩所になっており、トイレ、水場が完備されている。ここでほっと息をつきボロボロになったカロリーメートを食べた。もうとっくに3時をまわっている。ちょっとヤバイぞ。

気を取り直して、再び古道に入る。石畳の石倉峠を越えて、最大の難所といわれる越前峠に登る。

これはもはや峠ではない。どう見ても壁だ。登る前からやる気がうせる。石段はもうめちゃくちゃに不規則で歩きにくい。ともかく、少し登っては休み、少し登っては休み、してやっと登り切った。ここは藤原定家が「輿の中がまるで荒波にもまれる船の中のようだった」と書いたところだが、かつぐ奴はもっと大変だろう。そう思ったら、ここを訪れた歌人、土屋文明も同じ事を思ったらしく、そんな歌を刻んだ歌碑が建っていた。

あたりまえだが、峠をこえると今度は延々とつづく苔むした石段の下り坂。体力勝負の上り坂と違い、滑りやすい石段の下りは精神的にきつい。周りの自然も植林されたスギの木ばかりで面白くない。ともかく足元だけを見てひたすら歩く。

この坂は胴切坂という。道の傍らには、苔むした石仏や墓標がある。日も落ちてきて、かなり陰気なかんじだ。しかし、それ以前に今日予定していた小口にたどりつけるか心配だ。ともかく足を速めるが、足元がおぼつかないので、なかなか先に進まない。

巨大な丸石に梵字を刻んだ円座石(わろうだいし)にたどり着いたときには、すでに六時を回ってた。周囲はかなり暗くなっていて、一瞬ここで幕営することも考えたが、地図上ではあと少しだし、登りもなさそうなので、ともかく転がるように早足で歩いた。

民家の脇を抜けて小口の集落についたのは、もう七時ちかかった。地図にのっていた、小口自然の家キャンプ場に行くと、キャンプファイヤーの準備をしていた。地元の児童会だという。おかげで、彼らの食べた余りのバーベキューにありつけた。今晩は、ご飯にレトルトカレーを覚悟していたのでとてもうれしかった。

ここでの宿泊料金は無料。本当は1000円近く取られるらしいが、おじさんが「お金はいいよ」と言ってくれた。さらに幸運なことに、風呂まで入れてくれた(こっちは100円)のだが、クソガ・・・もとい少年たちがあらしたあとで、まあ、きたないこときたないこと。脱衣所はびたびた、湯船にタオルは入っている、桶は出しっぱなし・・・。

 こういう時、いつも思うのだが、女の子は挨拶したり、話し相手になったりしてかわいいんだけど、男の子はガキだよなあ。翌朝も僕のテントを覗き込んで「こんなんに人がすめるんかな~」なんて言ってたぞ。

でも、風呂に入れただけでもラッキーかぁ・・・・・・。

<< 新宮市(2002/7/21)へ 管理人の小部屋 小雲取越え(2002/7/23)へ>>

wmr/kumano2.1403450398.txt.gz · 最終更新: 2014/06/23 00:19 by Satoshi Nakagawa