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江蘇省爆走編

8/6 はれ 徐州~宿遷 水牛になりたかった日

今日は非常に暑かったが、徐州出発直後を除き道がとてもよく、道のりは120Km程度あったが、朝六時に出て四時には宿遷に到着した。

徐州を出てすぐはひどいダートで、どうなることかと思ったが、徐州市郊外を抜けてしばらく行くと、ほとんど高速道路で、非常に快適に飛ばすことができた。しかし、高速道路だから風景はあまり楽めない。

ところが、私はこの快適な道路で釘を拾ってしまう(釘によってパンクさせる)というヘマをやらかしてしまった。あまりに道がよかったので、気にしていなかったのである。

あわてて自転車を止め、パンクを修理する。3センチぐらいある釘はタイヤを貫通し、さらに、空気のぬけたチューブをリムが噛んでいたため、ハの字パンク(スネークバイドとも言う。大きな穴がハの字形に二つあく)をしていて、合計四つの穴が空いていた。

木陰をさがしたが、高速道路だからない。炎天下のパンク修理作業は地獄である。タイヤを外し、チューブを取り出すと、もう汗だくになる。修理が終ると今度はタイヤに空気を入れなければならないのだが、携帯用の空気入で空気を入れるのは、もうほとんど筋トレである。

もっとも昼間の高速道路だから、ギャラリーが来ないのは幸いだった。これがどこかの村だったら、もう人だかりができていただろう。

そこからしばらく行くと、ふたたびいつものような田園風景にもどる。途中何度か京杭運河を通ったが、だんだん運河らしくなってきた。このへんの水はかなりきれいで、子供たちが川で遊んでいる様子を見ることができる。

川で遊んでいるのは、子供ばかりではない。このあたりから、農業用の牛が普通の牛ではなく、水牛に変るのである。水牛は読んで字のごとく、水を好む。池や川につかって目と鼻と角だけを出しているのだ。すごく気持ち良さそうで、できることなら僕らも水牛のように水につかりたいと思った。

宿遷市1)につくすこし手前の村で休憩していると、なにやら音楽を鳴らし、花かざりを持ったにぎやかな行列が辻から出てきた。なにか村の祭りかと思ったが、休憩していた所の水売りに聞くと葬式だそうである。笙、チャルメラ、ドラ、シンバルを演奏しながら行列するのである。棺桶は持っていないようだ。

そのなかで、もっとも目立つのが、なんだか小学生の工作のような大きな自動車のハリボテである。地元の人によると、現世で自動車が持てなかった、故人に対するプレゼントだそうだ。この葬式を出すのになんと数千元かかるらしい。日本と同じように香典は出るらしいが、大変な額である。

宿遷市の開発区で宿をとる。このあたりは田舎だが、何軒か旅館がとなりあっているところがあったので、そこの華凌賓館というホテルに入る。ここは非常に新しく六月にオープンしたばかりらしい。なんでもここのオヤジが、三年後ここが開発されるのを見込んで作ったという。おやじのベルトには公安のマークが光っていた。きっと公安を定年退職でもして、作ったのだろう。

中国の変化はとても早い。オヤジの目論見が当るか外れるかは分らないが、早晩結果がでるのだろう。

8/7 はれのち雨のちはれ 宿遷~淮陰  事故発生!

宿遷以降の田舎道では、水牛を多く見ることができる。宿遷以前にいもいたことはいたが、ここでは牛はほとんど水牛である。水の中で繋がれているらしく、水の中でじっとして目と鼻と角だけだして、こちらを見ている。そのまわりを子供たちが水遊びをしている。

九時ごろ、まるでスコールのような雨が降ってくる。街路樹のわきで雨宿りをする。道を歩いていた中国人は、みんな近くの家の軒下に雨宿りをしている。水牛をつれていた人が、街路樹に水牛を繋ぎ、自分は近くの民家に避難する。牛は雨などなんとも思わず、草なんか食んでいる。

私は嫌な予感がしたので、やむまで待ったほうがいいと主張したが、いくら待っても雨はやまないので、仕方なく出発することにする。これだけ暑いと、雨は気持ちいいが、同時に非常に危険である。なにしろ視界が悪い。それに、この中国製のマウンテンバイクはブレーキの効きが悪いのだ。濡れればなおさら悪くなる。それにあまり知られていないが、雨のほうがパンクする確立が高くなる。

悪い予感は的中した。小さな村の交差点で、Tが行った後、私の前をトラクターが横切ったのだ。私はあわててブレーキを引いたが止らない。すぐさまハンドルを右に切ったので、トラクターは回避できたが、そこにIがつっこんできて、二人とも落車してしまった。

幸い二人ともたいした怪我はなかった。私は足をしたたかに打って痺れていたが、しばらく休んでいると治った。Iはグローブをしていなかったので、手を擦剥いてしまったが、これもたいしたことはない。私もグローブをしていなければ、もっと怪我をしていたろう。

自転車は私の方の前輪が歪んでしまったが、横にしてホイールを抑えつけたらなおってしまった。おそらくスポークのテンションが低いのだろう2)

それにしても、Iは近付きすぎだ。こいつは状況をまったく考えていない。前に自転車に接近するのは、風よけのためである。しかし、雨という状況を考えれば、すぐにこの場合それが危険な行為だということは分るはずだ。

落車のほとぼりを冷ますために、はやめの昼食にした。通り沿いの食堂で昼食を食う。おにいちゃん一人と何人かの少年がいた。どうやら本当に兄弟らしい。みんなでテレビを見ていた。

私たちが着くと、自転車を中庭に入れさせてくれ、体を洗う水を出してくれた。ひしゃくで水を浴びると、生き返ったような気がする。

料理をいくつかとビールを注文した。ビールは徐州を境に冷えたのが出なくなる。ビールを冷やさないのは南のほうの習慣らしい。ここでも例外ではなく、冷えたのを注文するとやおらバケツに水を入れそこにビンを突っこみだした。もちろん冷えるはずはない。食後、一眠りしていくかと言われた。それは非常に魅力的な提案だったが、ここで寝てしまったらもう出発できなくなるだろう。

この食堂を出るころには雨は止んでいた。すごく蒸し暑い。濡れた服はすぐに乾いた。

本当は周恩来の故郷である淮安市まで行く予定だったが、今日は非常につかれたので、手前の淮陰市で宿をとることにした。街としては淮陰のほうが大都市である。

大都市の常として、なかなかホテルが見付からない。見付からないといっても、ないのではなく、行くホテル行くホテルどこでも外国人は泊められないと言われて、同じホテルを紹介されるのだ。そのたびに、Tがホテルのおやじとバトルした。ともかく埒があかないので、しかたなくそこへ泊ることにするが、部屋がないので二人部屋にまぬけな補助ベッドを入れて、非常に狭い思いをした。

もう少し我慢して淮安まで行けばよかったと後悔した。

8/8 はれ 淮陰~高郵  謎の双黄蛋

淮陰を出て数十キロほど行くと、もともとの目的地だった淮安に至る。たしかに、こちらのほうが歴史を感じさせるおもむきのある街である。日本で例えるなら、さしずめ金沢といったところだろうか。

宿遷のおやじは私たちが淮安に泊る予定だといったら、淮安の方が歴史が古いからそれはいいアイディアだと言っていたが、たしかにそのとおりだった。ちなみに、この街は円仁の『入唐求法巡礼行記』にもでてくる。円仁はこの街から揚州までの運河を私たちとは逆方向に、つまり南から北へと進んできたのだ。円仁に限らず、私たちの先祖の遣唐使たちは、ほとんどがこの運河をのぼってきたらしい。

淮安では、周恩来記念館と周恩来故居を見物した。思えば、私たちがここへこうして来られるのも、周恩来と田中角栄のおかげである。ちなみに周恩来は中国では最も人気のある政治家らしい。

周恩来記念館を出て、周恩来故居へ向かう途中、私はどうせ短い距離だからといいかげんに荷作りしてしまい、荷崩れをおこしてしまった。キャリアからバンジーコード3)が外れ、スプロケット4)に搦まってしまったのだ。バンジーコードはスプロケットにしっかりと食い付き、まったく動かなくなってしまった。その時、近くを走っていた三輪タクシー数台が、私の仕事を手伝ってくれた。

東京ではとても考えられない光景である。私は彼らにとても感謝するとともに、私たちが失なってしまったもののことを考えた。

しばらく走って、周恩来故居に至った。そこは古びた小さな町の入り組んだ路地の奥にあった。町の中には幅の狭い川が流れていて、流れに面した家には、必ず川に降りるための階段がついている。舟が通れるような川ではないから、洗濯か何かに使うのだろう。

私はこの周恩来故居には少し関心があった。それは周恩来の生家であると同時に、この地方の庶民の家(といっても可成でかいが)のサンプルだからである。

淮安はさしずめ運河の大交差点である。ここにはスエズ運河式の水の階段があり、私たちはしばらく、その様子を観察した。

さて、淮安から先はずっと運河を右に見てすすむことになる。このあたりは、現在でも運河として機能している。船の往来は頻繁で、何隻もの巨大な船が連結されて進んでいく。速度はだいたい私たちの自転車と同じか、すこし遅いくらいである。

もちろん一隻だけの船もある。これはたいてい、葦を満載している。それにしても、中国人はなんでも満載する。トラックやトラクターにも、藁やら石やら、はてはオート三輪やら、どうやって載せたのか分らないくらい満載しているのを何度も見た。それらはいずれもとにかく見事というほかない。

高郵の街に着くと、なにやら「双黄蛋」という看板がたくさん見える。さらによくみると、「ウソだったら十倍にして返します」というようなことが書いてある。どうやら、このへんの名物らしい。

町の入口には古い仏塔がたっていた。

8/9 はれ 高郵市~揚州市  炒飯うまい!

高郵市から揚州市までは八十キロ程度である。昨日と同様、右側に運河を見て走ることになる。運河を行く船は多い。そのなかのほとんどが、何艘もの船を連結して走っている。スピードは私たちの自転車と同じか、すこし遅い程度である。

まず始めに高郵市のはずれで朝食を摂る。ひさしぶりに白い飯を食った。日本の飯に比べると決して旨くはないが、それでもここまで食べた白飯に比べたらとても旨く感じた。とても食べきれないと思える量だったが、三人ともあっさりたいらげた。みんなよほど飯に飢えていたのだろう。

高郵を出るとき、Tが双黄蛋を買った。箱入りで五、六個入っている。どうも黄身が二つ入っている卵らしいが、それにしても重い。

江都市を抜け、揚州についたのはまだ昼ごろだった。揚州でやや遅い昼食を摂る。魚のスープを食ったが、とてもうまい。もちろん揚州炒飯も食べた。

ここも大きな街だから、例によって外国人は泊められないという理由でホテルをたらい回しにされた。しかし、結局西園大酒店というやたらとゴージャスなホテルに泊る。まわりをちょっと散歩してみると、博物館がすぐ隣である。

さて、高郵でTが買った双黄蛋は、ナマだった。ちょうどピータンのように、大きな卵が泥につつまれている。振ってみると、中身がぐちゃぐちゃと動く。このままでは食べられないので、ホテルの厨房にお願い5)して茹でてもらった。

どうも泥は卵の中身に味を付けるためのもののようである。ほのかな塩味がする。運河の泥なのだろうか。たしかに黄身は二つ入っているが、決して旨いものではない6)

8/10 揚州~鎮江  世界一の泉は緑色

揚州は昔の経済の中心地らしく、適度に観光地化されているが、歴史を感じさせる良い町だ。しかし、タイミングが悪かったのか、博物館など目当ての場所はことごとく工事中で見られなかったのは残念だ。

次の目的地鎮江までは、長江を渡らなければならないものの、数10キロしかない。午前中はちょっと観光した。

そして、黄河とならぶ、中国を代表する大河、長江を渡る。今度はフェリー(のようなもの)である。フェリー乗り場へ行くと、自動車や人がたくさんいる。どういうわけか自転車はいなかった。

そこで、Tが運賃を聞きに行った。

「なんかタダでいいらしいよ」

 本当か?よく見ると歩きの人も金を払っているようだが・・・。

「自転車の料金は決っていないから、不要っていわれたよ」

 そんなものかもしれない。しばらくすると、対岸までピストン輸送しているフェリー(のようなもの)が接岸した。船を待っていた人、車がいっせいにのりこむ。

「今だ!走れ!」

ん、何で走らなきゃいけないの????

 五分ぐらいして、船は対岸に接岸した。この船ピストン輸送用にできていて、前後から乗船、下船ができるようになっている。まさにピストン輸送できるのである。

「今だ!走れ!」

????

まただよ。本当に無料でいいと言われたのだろうか。ちょっとあやしい。

対岸の小さな商店で休憩していると、交通整理のおばさんたちが話しかけてきた。いいのかさぼって。

そこから鎮江はすぐだった。しかし、どうもスピードがあがらない。よく見ると車が走った後にわだちができている。

「ちょっとまって」

わたしは二人に止ってもらい、道路を指で突いてみた。すると、ズブズブと穴があくではないか。舗装が悪くて、気温が高いので、アスファルトが溶けていたのだ。まるで、餅の上を走っているようなものである。路肩が未舗装なので、そこを走ることにした。こっちの方がずっと走りやすい。

鎮江には昼過ぎに着いた。まだ時間があるので金山寺を見物。塔に上って空を見る。もう旅も終ってしまうんだなと思うと、ちょっとほっとすると同時にさびしさも残った。

Tの要望で、金山寺の近くの”天下第一泉”へ行く。そこの水でお茶を飲みたいというのだ。あまり時間がなかったが、モーターボートで池を渡り、”天下第一泉”を見て愕然とした。

汚い。あまりに汚い。どのくらい汚いかというと、皇居のお堀のような感じである。こんなの始めからお茶みたいなものだ。これが”天下第一泉(世界一の泉)”である。二泉と三泉もあるそうだから、別の意味で見てみたくなった。

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1)
項羽の出身地。
2)
これは中国の自転車の仕様らしい。追加料金を払うとテンションをあげてくれるそうだ。まあ、自分でやればいいんだけど。
3)
荷物を結ぶゴム
4)
後ろのギヤ
5)
嫌がるのを無理やり
6)
これは本来お粥に入れて食べるものらしい。
wmr/jangsu.1399136953.txt.gz · 最終更新: 2014/05/04 02:09 by Satoshi Nakagawa