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河北省死闘編

7/26(水)出発、そしていきなりトラブル

昨日なくしたカメラ1)は出てこなかった。たぶん西直門の地下鉄駅近くの食堂に置き忘れたのだと思う。昨日はTが帰ってきたので、一気に気が緩んでしまったのだろう。自己責任が原則のはずなのに、どこか頼る心が出てきてしまったのだ。

幸い、紛失したカメラが入っていたバッグには、生のフィルム二本と天壇で何枚かとったフィルムが入っていただけだ。それよりも、買ったばかりのサイクルコンピューター2)が入っていたのがもったいない。

なお、Tには出発が遅れた責任として、王府井で買ったスパンコール満載の帽子3)をかぶってもらう。なかなかばかっぽくってよろしい。Iも何故か同じ帽子をかぶったが、実はこれが後々功を奏した。

西直門から、地下鉄で前門まで行き、北京最大の自転車屋4)だという「前門自行車店」へ自転車を受け取りに行く。この店は一昨日偶然に見付けたものだ。

自転車店へ行く前に、前門のカメラ店で最新型というPhenixDC20005)を購入する。この旅は以後、このカメラで記録することになる。完全な一眼レフマニュアルカメラで、28mm~70mmのズームレンズ付きだから、ある意味ではSPよりも使いやすい。ただし、このレンズの実力は未知数だが6)。店の姉ちゃんと交渉して、割り引いてもらい、ストロボとカメラバッグを付けてもらった。これで1400元はなかなかお買い得である。

自転車屋でボトルケージ7)を付けてもらいいざ出発。ところが、数キロ走ったら私の自転車のシートピラーが曲がってしまった。いくら中国製でも、いくら私が重くてもそれはないだろう。

あわてて前門自行車店へ戻ると、店の人間は私がシートピラーを伸ばしたのが悪いという。冗談じゃない。伸ばせないんじゃシートピラーが付いている意味なんか無い。Tが抗議すると、店の人はシートピラーを交換してくれた。

曲ってしまったシートピラーを抜いてみると、前に付いていたのは、なんと10cmほどの長さである。なんだこれは?こんなのは見たことが無い。シートピラーは曲っていたのではなく、ほとんど全て伸ばしてしまったので、挿入部が数センチになってしまい、かしいでしまったのだ。このまま乗っていたら抜けて思わぬ事故になったかもしれない。店の人もあきれていた8)。さすがに責任を感じたのか、無料で交換してくれた。

そんなわけで、出発がお昼ごろになってしまった9)。これじゃあ天津に着くのはそうとう遅くなるだろう。そう思って自転車を走らせると、舗装されたいい道なのに、TとIの二人が、ペースが早すぎる10)という。特にIがついてこれないようだ。

六時ごろになって河西務鎮という小さな村で休憩していると、バイクにのったおやじが話し掛けてきた。このおやじは文化旅館という旅館のおやじで、こんな時間じゃ天津には着かないという。たしかに、このペースでは天津に着くのは深夜になってしまうだろう。

この村には宿は二軒しかない。それでもこんな北京と天津の中間地点の村に二軒も宿があるのはびっくりだ。ともかくこれではしかたがないので、文化旅館に宿泊する。夕食もこの旅館で世話になったが、おやじとんでもない量の材料を買ってきて、とても食い切れるものではない。あとで清算したらなんと宿泊費と食費が同じである。といっても50元ぐらいのものだが。

この旅館では、二部屋に別れた。誰がどの部屋になるかはジャンケンで決めた。IとTがツインの部屋、私がダブルの部屋である。ベッドといっても、ベニヤ板の上に畳表のようなものをひいただけのものである。もともとホテルのベッドが性に合わない私には非常にありがたかった。もちろんクーラーなんて入ってない。でもそれも私にはありがたい。さらにツインの部屋には昨日買ってきたばかりという、おやじ自慢のテレビがついていた。

こまったのは風呂がないことで、いちおうシャワー室らしきものが屋上についているが、湯はほとんどでない。出てもチョロチョロである。Tによるとこれが中国の木賃宿らしい。夏だからいいけど、東京より寒くなるという冬はどうなるんだろう。しかし、北京出発一日目にして、こんな経験をするとは思わなかった。

1/27 くもりのち雨 低速ツーリング

およそ文化的でない文化旅館を7時に出発して、天津へと向かう。全くの農村地帯である。このへんは畑ばかりで田んぼはまったくない。

途中いろいろな動物を見た。羊、山羊、馬、牛、などの家畜である。首都北京から50キロもはなれると、もうこんな風景になる。どこまでもつづく真っ直ぐな道。スズカケの街路樹。その右側を京杭運河11)が流れている。現在は運河としては機能していないが、ちょうど故郷の新河岸川によく似ている。似ているのは道理で、どちらも今は使われていない運河である。

日本の農村に似ていて、よく見るとそうではない。乱暴なやたらとクラクションをならすトラックと、ホコリの激しい道には閉口した。しかし、整備された道路で自転車が走りやすいのは、日本の比ではない。

この旅の間、つねに感じたことだが、中国ではなによりも人間が力を持っているのだ。それは人間が多いせいもあるだろう。しかし、それよりも自動車のためだけに存在する日本の道路には疑問を感じざるをえない。自動車がやたらとクラクションをならすのも、決っして人に威圧感を与えるためではない。単に自動車が近づいてきたことを歩行者や自転車に知らせるためだ。しかし、この時はまだそんなことには気付かなかった。

ゆうべ、Tからもっとペースをあげてほしいと言われた。もちろん今日はまちがいなく天津につくだろうが、昨日のペースでは、天津から先へ進むのは不可能である。しかし、Iはやっぱりついてこれない。

天津に至って、スコールのような大雨が降ってきた。さいわい、ちょうど橋の下にいたので、しばらく雨宿り。道をあるいていた人たちも皆ここへ集まってきたので、なかなか壮観な雨宿りの図となった。

天津では旅館街というところの、なかなかゴージャスなホテルに泊った12)。近くに食品城というものがあり、夕食はそこで食べた。ここは沢山のレストランや食品店が並んでいる。繁盛している店もあり、閑古鳥が鳴いている店もある。

よく観察してみると、閑古鳥が鳴いている店は例外なく客引きがはげしい。客引きがはげしいから客がこないのではない。こないから客引きするのである。これだけ客引きしても客がこないのだから、共産主義中国13)は、これでなかなかシビアな所だなと思った。

7/28 くもりのち晴 天津~滄州 全裸番長誕生!

ひどく暑い。天気予報では雨のはずだったのに。天津から滄州へ至る道はとにかくひどい道だった。舗装された道があったと思うと、とつぜん工事中でダートになったりする。そんなのはまだいいほうで、いきなり道が分断されたかと思うと、線路脇を通らなければならなくなって、なんだかスタンドバイミーな気分になったり、とつぜんぬかるみのなかを走らされたりする。

鉄橋の上の線路脇を通った直後に、汽車が走ってきたのにはぞっとした。なにしろ鉄橋の上だから逃げ場がない。下の川に落ちるか、汽車に轢かれるしかないのだ。

そんなこんなで、100キロほど走って滄州市に着いた。着いたときにはすでに9時を回っていた。市とはいうものの、ここは京浜工業地帯のようなところで、ホテルも少なく、やっとのことで方円賓館という、いかにも中国らしい宿を見付ける。

この町は、石油関係の企業のいわば企業城下町のようなところで、その会社の社宅で成立しているまちである。だから、街並はあまり中国風ではなく、団地やマンションのような建物があつまっていて、日本のニュータウンを思わせる。

この日は野外で営業している、食堂で夕食を食う。衛生的ではないから、きっとツアーで来たら14)、ガイドから食べるなといわれそうだが、実はこういう店がうまい。なにしろ、肉も野菜も近くの農家から直接もってくるものだから、新鮮なのである。

メニューは炒め物が中心だが、とにかく火力が強いから野菜もシャキシャキしている。どの店でもコンプレッサーでコンロに空気を送っているから、火力が強くてあっという間にできあがるのだ。

しかし、この日なんといっても旨かったのがビールである。あとで分ったことだが、中国では北の方はビールを冷す習慣があるが、南に行くにしたがって、生温いビールを飲む。ここはもちろん前者で、「冷えた」を通りこした、「凍った」ビールが出てきた。これをシャリシャリのまますするのが実に旨い。特にこの日はたいへんな道のりだったから格別だ。この旅をとおして最高に旨いビールだった。

ただし、主食に関してはあまりよくない。第一、このあたりでは米を作っていないから、飯がとてつもなく不味い。チャーハンならなんとか食えるが、出てこない店も多い。だから饅頭(マントウ)を主食にするのだが、これまた不味いことこのうえない。中国で食ったもので、「旨くないな」と思ったものはいくつかあったが、あきらかに「不味い」と思ったのはこれだけである。主食はビールとは逆に、南に行くにしたがって旨くなってくるのである。

宿に帰るとIが、鍵もかけずに全裸で寝ていた。それ以来Iを全裸番長を命名。そうとう疲れたらしい。

7/29 くもり後はれ 滄州(二泊目)野グソ番長誕生!

昨日夕食を食ったあと、Iは先に宿へ帰ってしまった。その後、私とTは町を散歩したのだが、明日になってもIの調子がもどらないなら、一日休息しようと話しをした。はたして今朝、Iはまだ疲れがとれないようである。

初めての100キロオーバーのツーリングなのだから、あたりまえである。もちろん私もIほどではないにせよ、疲れはとれていなかった。そこで、結局もう一日この方円賓館で休むことにした。

午前中、自転車で京杭運河へ行く。ここでの運河は、ちょうど新河岸川と川幅、様子ともにそっくりで、とてものどかなところである。Tによれば、「滄州」という地名も運河に関係したものではないかという。

運河の土手では市が開かれていた。中国に来て楽しいのはこの市である。どこの町でも、中国人は食材をこの市で買う。もちろん食材だけではない。衣服、雑貨、調味料、靴、玩具、衛生用品など、日常生活に必要なものは市でなんでも手に入る。だから、市は見ているだけでも楽しくなってくる。

ところで、私はこの日から下痢になってしまい、中国初野グソをするハメになった。道路脇のガレキの山で用を足した。もう時間的にもまっくらだから、全然はずかしくはない。しかし、これがウンの付き初めとなった。

ここで驚いたのは、燕が異常に多いことである。日本ではスマートなイメージのこの鳥だが、ここではなんとゴミをあさっている15)。あまりに多いから車にぶつかって死ぬものまでいる。そのかわり、烏はなぜか見ない。水墨画の画題に出てくるぐらいだから、いないということはないだろう。なぜだろうか。

7/30 はれ 滄州市~徳州市 自分との戦い

今日もひどく暑い。さらに最悪なことに完全に腹をこわしてしまった。午前六時ごろ滄州を出発し、徳州には四時ごろ着いたが、それまでのあいだ、野グソ一回、便所グソ二回という貴重な経験をした。こんな経験は腹でも壊さなきゃできないぜ。

まず走り出してから一時間程で便意をもよおした。見渡しても便所がないので、しかたなく、煉瓦でつくられた壁の裏でした。あのへんで一番目立たないから大丈夫だと思ったが、塀の向こうからオヤジが見ていてなんか怒鳴っていた。あわてて尻を拭いてソッコーで逃げた。どうやらそこは家を建てている途中で、オヤジは大工だったようだ。

次は休憩したときの水売り16)のオヤジの家のわきにあった便所。ここは煉瓦で作られた“コ”の字状の壁に囲まれた便所だ。まず入ったところに10センチぐらいの幅の、一本のコンクリートの棒が見える。

「これは右足をかけるのか?それとも左足だろうか?」

一本しか棒がないから、片足を棒にかけたら、片足は土の上だ。

悩んだが、よく見ると棒の後ろに先人のブツがある。つまりこれは鳥のとまり木のように乗るのである。そこで私は棒の上に乗ったのだが、非常に不安定で、もし後ろに転ぼうものなら先人のブツに足を突っこむことになる。しょうがないから、私は両腕を広げて壁につっかい棒にした。こんな格好でするのは初めてだ。しかし、これは不安定で尻を拭くのが大変だった。

その次は徳州市の入口にあったもう営業していないガソリンスタンドの便所。一見まともな便所だが、中は土を掘った長方形の穴が二つあいていて、その上にまたがる形式である。穴二つの間には仕切りがまったくない。

もちろん、土を掘っただけだから、すぐ下に先人のブツがある。ここは一種の公衆便所だから、中のブツはなかなか立派なものである。そこにすると、いっせいにたかっていたハエが飛ぶ。前の便所は個人の便所だからそれほどではなったが、こっちは公衆便所だからハエの数も壮観である。

その中になんだかでかいハエが一匹いる。よく見ると特大のアブだ。ハエも嫌だが、別に害はおよぼさないから我慢すればいい。それより、こんなのに刺されたらたまらないから、踊りながら尻を拭いた。

徳州は滄州同様できそこないの町だが、滄州よりははるかに整っている。Tが友誼商店や外国人向きのおみやげ屋があるので、なにか国際的な行事があるのではないかという。たしかにそんな感じだが、宿が外国人は泊められない17)と言って、断わられるのには閉口した。そこで徳州大酒店なるゴージャス18)なホテルを紹介された。外国人はここしか泊まれないという。

後で分ったことだが、中国では田舎の大きな町ほど、そういう理由で断わられることが多いのだ。逆に町の入口や未開放地区19)ではパスポートすら提示しなくてすむことが多い。そういえば滄州では、旅館始まっていらいの外国人だといわれて歓迎された。

ここまでの道を走って閉口するのは、川の水があまりにも汚ない20)ということである。あるていど大きい川ならそうでもないが、道の脇を流れる小川はとんでもない水の色をしている。おそらく家畜の屎尿や工場の排水がたれながしになっているのだろう。非道いところでは悪臭がただよっている。もちろん、川で水遊びをする水ガキだっていない。近代化のゴミダメを見た気がした。

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1)
PentaxSPという古いマニュアルカメラ。環境が厳しいことが予想されたので、古いマニュアルカメラを中古カメラ屋で買って持って行った。
2)
自転車のスピード、走行距離を記録する機械。新品。
3)
たぶん、想像するより満載だと思う。これは後に意外に役に立った。
4)
店員自称
5)
ペンタックスのパチモノ。マウントもペンタックスKマウント
6)
なぜかどんな写真でも古臭く写るというおもしろいレンズだった
7)
水筒を入れるカゴ。
8)
中国の自転車はシートピラーが短いものが多い
9)
気温は40度ぐらい
10)
といっても時速20kmほどしか出していない
11)
この旅行は京杭運河沿いに南下する企画だった。
12)
といっても、★なし。前の日から比べたらどこだってゴージャスである。
13)
この当時はまだ共産主義らしさを感じる場面があった
14)
こんな所絶対にツアーにはない
15)
後から考えたら燕がゴミを食うわけがない。ゴミにたかっている蝿を食べているのだろう。
16)
どんな田舎でも水売りがやたらといる。水と果物とタバコの入手にはまず苦労しない。
17)
町によって違うが、当時は外国人を泊めることが許可されている宿とそうでない宿があった。
18)
といってもたいしたことはない。
19)
外国人立入禁止の地区。といっても、そう書いてあるわけではないのでどこが未開放だか分からない。
20)
有名な色とりどりの川
wmr/hebei.txt · 最終更新: 2014/03/25 05:21 by Satoshi Nakagawa