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wmr:cnbike1 [2014/03/24 02:38] – [中国自転車旅行記(北京〜上海)] Satoshi Nakagawawmr:cnbike1 [2014/05/03 22:01] (現在) Satoshi Nakagawa
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 後輩I君はT氏に誘われて参加を決意。彼も訪中は初めてだった。 後輩I君はT氏に誘われて参加を決意。彼も訪中は初めてだった。
  
-この文章は帰った直後に書いて、当時の個人サイトに掲載したもの。自分としてはとても恥ずかしいが、誤字等を修正する以外はそのまま掲載する。+この文章は帰った直後に書いて、当時の個人サイトに掲載したもの。妙に高揚した文章とか、思い違いなどもあり、自分としてはとても恥ずかしいが、誤字等を修正する以外はそのまま掲載する。
  
-なお、のままではすでに読んだとがある人に面白くないので、注釈を付け足した。後になってから分かることもある+ここに書いてあること10年以上前ことで、当時中国はすでに豊かになりつつあたが、現在とは全然状況が違うことをお断りしておく
  
-===== 北京地獄編 =====+このままではすでに読んだことがある人には面白くないので、注釈を付け足した。後になってから分かることもある。
  
-実は海外旅行初体験の私とI。それに対して、唯一中国語が話せるTは非情な要求を突き付ける!どうなるPhenix2000((このプロジェクトの名前。最初は「鳳凰」という名前の黒塗り自転車を買うつもりだった。))チーム!明日は有るのか!+===== 目次 =====
  
-北京空港に着いたのは2000年7月18日の午後八時である。初めての海外に緊張する。税関で「工作員」と書かれた巨大な看板を発見する。さすが中国だ、スパイ専用の出入り口があるのかと思ったらそうではなくて、空港職員専用の出入り口だった。それにしても看板がでかすぎるぞ! +  * [[beijing]] 
- +  * [[hebei]] 
-空港の中で日本円を人民元に両替する。札を入れると、どこの国の紙幣か瞬時に識別し、両替するという画期的な機械だが、一台は壊れているらしく、日本人観光客が何やら大声で怒鳴っていた。よく聞いてみると、「こんな国入国してやらないぞ」などと叫んでいる。もう入国しているのに・・。 +  * [[shandong]] 
- +  * [[jangsu]] 
-ゲートから出ようとしたところでTがとんでもないことを言い出す。 +  * [[shanghai]]
- +
-「あれ、僕お金どこへやったっけ?」 +
- +
- 両替したのは数分まえである。 +
- +
-「あっそうだ!」Tは慌てて両替機の方へ戻っていき、近くにあったごみ箱をあさりはじめた。 +
- +
-??? +
- +
-「中川くーんあったよ!」そう、Tは両替したばかりの人民元を全額ごみ箱に捨てていたのである。Tの予想だにできない行動に、わたしとIは「本当にこいつについていっていいのだろうか?」と不安になったのは言うまでもない。そして、この時からTは「金捨て番長」と命名された。 +
- +
- 突然のTの大ボケ((記念すべき第一回のボケ。T氏の大ボケは行く前から知っていたが、正直ここまでとは思わなかった。今に至るまで様々なボケをかましてくれる。))に不安になった私たちだったが、その不安は見事に適中した。 +
- わたしたちは北京在住のN氏と会い、夕食後宿に向かうはずだった。宿はTが「北京師範大学に泊まればいいよ」と言っていたので、安心していたのだ。しかし・・。 +
- タクシーで北京師範大学についたときにはもう10時を回っていた。Tが交渉したが、もう部屋がないとか、受付の姉ちゃんが帰ったとかいわれて、結局泊まれない。 +
- 私たちはN氏と四人で一晩飲み明かすことになった。 +
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- 翌朝、西直門((西直門飯店。このころはそんなもんだと思ってたが、ひどいホテルだった。))というところでホテルをとり、Tが悪魔の宣告をした。といっても、その時はそうは思っていなかったのだが・・。 +
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-「僕、大連の知り合いのところに行くね。三日ぐらいしたらもどってくるから」 +
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-Tが大連へ行くことは、出発前から分かっていた。しかし、問題はその日数だ。 +
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-そう、Tは確かに三日と言ったのだ。しかし、彼が北京に戻ってきたのは、それから六日後の7月24日だった。その間、Tは大連でのんびりと悠々自適の暮らし((毎日釣りをしていた。))をしてたらしい。 +
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-わたしとIには地獄の一週間だった。何しろ二人とも初めての海外旅行なのである。 +
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-まず、私が思っていた以上にIは役立たずだった。Iの専門は中国文学で、中国語も習っているのである。それなのに・・。わたしも小心者だがIはわたしに輪をかけた小心者だったのだ。本当は +
- +
-  * 何か問題があったらIに謝らせてにげちゃえ! +
-  * 道で大道芸をして、怒られそうになったらIを人質にして逃げる! +
-  * 買い物はぜんぶIにやらせる。 +
-  * Iが文句を言ったら「だって僕中国語できないもーん」という。 +
-という予定だった。 +
- +
-しかし、Iは小心者である。買い物をして値段の交渉をして3分後に、「中川さん、あの時こう言っていたんですよ」などと、通訳する始末。もう終わっているんだから、黙っててくれよ! +
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-スターバックス((西単のスタバ。当時中国にできたばかりだった))では私がアイスコーヒーを注文して((なぜか私が注文した))氷をがりがり噛んでいると「氷にあたることもあるんですよねえ」って、食う前に言え、食ったあとなら黙ってろ! +
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-Iは中国文学が専門だから、「図書城」という所へ本を買いに行きたがる。わたしはそれほど興味が無いので「独りで行ってこいよ」というと、猫なで声で「そんな~、中川さん~冷たいこといわないでくださいよ~」などという。きしょいんだよ! +
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-わたしは頭に来たので、「俺はお前以上にしゃべれないんだから、俺を頼りにするな!」と言い、冷たく突き放した。突き放すのも愛情である。 +
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-そうこうしているうちに、北京について三日後、Tから電話があった。 +
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-「こっちは最高だよ~。こっちの人がもっと泊まっていけっていうから、もう2、3日泊まっていくから。」 +
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-ああ・・。 +
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-そしてTが帰ってきたのは、わたしとIの関係がすっかり乾ききった4日後だった。+
  
 +**2014/5/3 まだ完成していません。もうしばらくお待ちください。** // 中川聡
wmr/cnbike1.1395596322.txt.gz · 最終更新: 2014/03/24 02:38 by Satoshi Nakagawa