text:yomeiuji:uji187
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text:yomeiuji:uji187 [2014/10/13 13:42] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji187 [2019/12/02 22:15] – Satoshi Nakagawa | ||
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**頼時が胡人見たる事** | **頼時が胡人見たる事** | ||
- | これも今はむかし、胡国といふは唐よりもはるかに北ときくを、「奥州の地にさしつづきたるにやあらん」とて、宗任法師とて、筑紫にありしがかたり侍ける也。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 此むねたうが父は、頼時とて、みちのくにのゑびすにて、「大やけにしたがひたてまつらず」とて、「せめん」とてせられける程に、「いにしへより、今にいたるまでに、おほやけに勝たてまつるものなし。我はすぐさずと思へども、責をのみかうぶれば、はるるべき方なきを、おくの地より北にみわたさるる地あんなり、そこにわたりて、ありさまをみて、さてもありぬべき所ならば、我にしたがふ人のかぎりを、みないてわたしてすまん」といひて、まづ舟一をととのへて、それにのりて行たりける人々、頼時、厨川の次郎、島海の三郎、さては又、むつまじき郎等ども、廿人斗、食物、酒など、おほくいれて、舟をいだしてければ、いくばくもはしらぬ程に、みわたしなりければ、渡つきにけり。 | + | これも今は昔、胡国といふは、唐よりもはるかに北と聞くを、「奥州の地にさし続きたるにやあらん」とて、宗任法師((安倍宗任))とて、筑紫にありしが語り侍りけるなり。 |
- | 左右ははるかなる葦原ぞありける。大なる川の湊をみつけて、その湊にさし入にけり。「人やみゆる」と見けれども、人けもなし。「陸にのぼりぬべき所やある」とみけれども、あし原にて、道ふみたる方もなかりければ、「もし、人けする所やある」と川をのぼりざまに、七日までのぼりにけり。それがただおなじやうなりければ、「あさましきわざかな」とて、猶廿日ばかりのぼりけれども、人のけはひもせざりけり。 | + | この宗任が父は、頼時((安倍頼時))とて、陸奥(みちのくに)の夷(えびす)にて、「おほやけに従ひ奉らず」とて、「攻めん」とてせられけるほどに、「いにしへより今に至るまでに、おほやけに勝ち奉る者なし。われは過ぐさずと思へども、責めをのみかうぶれば、晴るるべき方なきを、奥の地より北に見渡さるる地あんなり。そこに渡りて、ありさまを見て、さてもありぬべき所ならば、われに従ふ人の限りを、みな率て渡して住まん」と言ひて、まづ舟一つを整へて、それに乗りて行きたりける人々、頼時、厨川の次郎((安倍貞任))、島海の三郎((安倍宗任))、さてはまた、むつまじき郎等ども、二十人ばかり、食物・酒など多く入れて、舟を出だしてければ、いくばくも走らぬほどに、見渡しなりければ、渡り着きにけり。 |
- | 卅日斗のぼりたりけるに、地のひびくやうにしければ、「いかなる事のあるにか」とおそろしくて、あし原にさしかくれて、ひびくやうにするかたをのぞきてみれば、胡人とて絵にかきたる姿したるものの、あかき物にて頭ゆひたるが、馬に乗つれて打出たり。 | + | 左右は遥かなる葦原ぞありける。大きなる川の湊(みなと)を見付けて、その湊にさし入れにけり。「人や見ゆる」と見けれども、人気(ひとけ)もなし。「陸(くが)に上りぬべき所やある」と見けれども、葦原にて、道踏みたる方もなかりければ、「もし、人気する所やある」と、川を上(のぼ)りざまに、七日まで上りにけり。それがただ同じやうなりければ、「あさましきわざかな」とて、なほ二十日ばかり上りけれども、人の気配もせざりけり。 |
- | 「これはいかなる物ぞ」とてみる程に、うちつづき数しらず出きにけり。河原のはたにあつまり立て、ききもしらぬことをさえづりあひて、川にはらはらと打入て渡ける程に、千騎斗やあらんとぞみえわたる。「これが足をとのひびきにて、はるかにきこえけるなりけり。かちの物をば、馬にのりたるもののそばに引付引付して、渡けるをば、ただかちわたりする所なめり」とみけり。 | + | 三十日ばかり上りたりけるに、地の響くやうにしければ、「いかなることのあるにか」と恐しくて、葦原にさし隠れて、響くやうにする方をのぞきて見れば、胡人とて、絵に描きたる姿したる者の、赤きものにて頭結ひたるが、馬に乗りつれてうち出でたり。 |
- | 卅斗のぼりつるに、一所も瀬もなかりしに、川なれば、「かれこそわたる瀬なりけれ」とみて、人過てのちに、さしよせてみれば、おなじやうに、そこひもしらぬ淵にてなんありける。馬筏をつくりてをよがせけるに、かち人はそれにとりつきてわたりけるなるべし。猶のぼるとも、はかりもなくおぼえければ、おそろしくて、それより帰にけり。 | + | 「これはいかなる者ぞ」とて見るほどに、うち続き数知らず出で来にけり。河原の端(はた)に集まり立ちて、聞きも知らぬことをさへづり合ひて、川にはらはらとうち入りて渡りけるほどに、千騎ばかりやあらんとぞ見えわたる。「これが足音の響きにて、遥かに聞こえけるなりけり。徒歩(かち)の者をば、馬に乗りたる者のそばに、引き付け引き付けして渡りけるをば、ただ徒歩渡りする所なめり」と見けり。 |
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+ | 三十日ばかり上りつるに、一所も瀬もなかりしに、川なれば、「かれこそ渡る瀬なりけれ」と見て、人過ぎて後に、さし寄せて見れば、同じやうに、底ひも知らぬ淵にてなんありける。馬筏(うまいかだ)を作りて泳がせけるに、徒人(かちびと)はそれに取付きて渡りけるなるべし。なほ上るとも、はかりもなく覚えければ、恐ろしくて、それより帰りにけり。 | ||
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+ | さて、いくばくもなくてぞ、頼時は失せにける。されば、「胡国と日本の昔の奥の地とは、さし合ひてぞあんなる」と申しける。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | これも今はむかし胡国といふは唐よりもはるかに北ときくを奥 | ||
+ | 州の地にさしつつきたるにやあらんとて宗任法師とて筑紫に | ||
+ | ありしかかたり侍ける也此むねたうか父は頼時とてみちのくにのゑ | ||
+ | ひすにて大やけにしたかひたてまつらすとてせめんとてせられける程に | ||
+ | いにしへより今にいたるまてにおほやけに勝たてまつるものなし我は | ||
+ | すくさすと思へとも責をのみかうふれははるるへき方なきを | ||
+ | おくの地より北にみわたさるる地あんなりそこにわたりてありさまを | ||
+ | みてさてもありぬへき所ならは我にしたかふ人のかきりをみないて | ||
+ | わたしてすまんといひてまつ舟一をととのへてそれにのりて | ||
+ | 行たりける人々頼時厨川の次郎島海の三郎さては又むつ | ||
+ | ましき郎等とも廿人斗食物酒なとおほくいれて舟をいたし | ||
+ | てけれはいくはくもはしらぬ程にみわたしなりけれは渡つきに/下99オy451 | ||
+ | |||
+ | けり左右ははるかなる葦原そありける大なる川の湊をみ | ||
+ | つけてその湊にさし入にけり人やみゆると見けれとも人けもなし | ||
+ | 陸にのほりぬへき所やあるとみけれともあし原にて道ふみ | ||
+ | たる方もなかりけれはもし人けする所やあると川をのほりさま | ||
+ | に七日まてのほりにけりそれかたたおなしやうなりけれはあさ | ||
+ | ましきわさかなとて猶廿日はかりのほりけれとも人のけはひ | ||
+ | もせさりけり卅日斗のほりたりけるに地のひひくやうにしけれは | ||
+ | いかなる事のあるにかとおそろしくてあし原にさしかくれて | ||
+ | ひひくやうにするかたをのそきてみれは胡人とて絵にかき | ||
+ | たる姿したるもののあかき物にて頭ゆひたるか馬に乗つれて | ||
+ | 打出たりこれはいかなる物そとてみる程にうちつつき数しらす出 | ||
+ | きにけり河原のはたにあつまり立てききもしらぬことをさえつり | ||
+ | あひて川にはらはらと打入て渡ける程に千騎斗やあらんとそみえ/下99ウy452 | ||
+ | |||
+ | わたるこれか足をとのひひきにてはるかにきこえけるなりけり | ||
+ | かちの物をは馬にのりたるもののそはに引付引付して渡けるをは | ||
+ | たたかちわたりする所なめりとみけり卅日斗のほりつるに一所 | ||
+ | も瀬もなかりしに川なれはかれこそわたる瀬なりけれとみて人過 | ||
+ | | ||
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+ | | ||
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+ | 胡国と日本のむかしのおくの地とはさしあひてそあんなると申ける/下100オy453 | ||
- | さて、いくばくもなくてぞ、頼時は失にける。されば、「胡国と日本のむかしのおくの地とは、さしあひてぞあんなる」と申ける。 |
text/yomeiuji/uji187.txt · 最終更新: 2019/12/02 22:23 by Satoshi Nakagawa