text:yomeiuji:uji186
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text:yomeiuji:uji186 [2019/12/01 21:56] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji186 [2019/12/01 22:00] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子((弘文天皇))といふ人ありけり。太政大臣になりて、世の政(まつりごと)を行ひてなんありける。心の中に「御門失せ給ひなば、次の御門にはわれならん」と思ひ給ひけり。清見原天皇((天武天皇・大海人皇子))、その時は春宮にておはしましけるが、この気色を知らせ給ひければ、「大友皇子は時の政をし、世のおぼえも威勢も猛(まう)なり。われは春宮にてあれば、勢も及ぶべからず。あやまたれなん」と恐り思して、御門、病(やまひ)つき給ふ、すなはち、「吉野山の奥に入りて、法師になりぬ」と言ひて、こもり給ひぬ。 | いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子((弘文天皇))といふ人ありけり。太政大臣になりて、世の政(まつりごと)を行ひてなんありける。心の中に「御門失せ給ひなば、次の御門にはわれならん」と思ひ給ひけり。清見原天皇((天武天皇・大海人皇子))、その時は春宮にておはしましけるが、この気色を知らせ給ひければ、「大友皇子は時の政をし、世のおぼえも威勢も猛(まう)なり。われは春宮にてあれば、勢も及ぶべからず。あやまたれなん」と恐り思して、御門、病(やまひ)つき給ふ、すなはち、「吉野山の奥に入りて、法師になりぬ」と言ひて、こもり給ひぬ。 | ||
- | その時、大友皇子に人申しけるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽を付けて、野に放つものなり。同じ宮にすゑてこそ、心のままにせめ」と申しければ、「げにも」と思して、軍を整へて、迎へ奉るやうにして、殺し奉らんと謀り給ふ。 | + | その時、大友皇子に、人申しけるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽を付けて、野に放つものなり。同じ宮にすゑてこそ、心のままにせめ」と申しければ、「げにも」と思して、軍を整へて、迎へ奉るやうにして、殺し奉らんと謀り給ふ。 |
この大友皇子の妻((十市皇女))にては、春宮の御女ましましければ、父の殺され給はんことを悲しみ給ひて、「いかでこのこと告げ申さん」と思しけれど、すべきやうなかりけるに、思ひわび給ひて、鮒の包み焼きのありける腹に、小さく文を書きて、押し入れて奉り給へり。 | この大友皇子の妻((十市皇女))にては、春宮の御女ましましければ、父の殺され給はんことを悲しみ給ひて、「いかでこのこと告げ申さん」と思しけれど、すべきやうなかりけるに、思ひわび給ひて、鮒の包み焼きのありける腹に、小さく文を書きて、押し入れて奉り給へり。 |
text/yomeiuji/uji186.txt · 最終更新: 2020/02/17 22:34 by Satoshi Nakagawa