text:yomeiuji:uji104
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text:yomeiuji:uji104 [2014/10/07 19:12] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji104 [2018/12/02 13:07] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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**猟師、仏を射る事** | **猟師、仏を射る事** | ||
- | 昔あたごの山に久しくおこなふ聖ありけり。年比行て坊をいづる事なし。西のかたに、猟師あり。此聖をたうとみて、常にはまうでて物たてまつりなどしけり。ひさしくまいらざりければ、餌袋に干飯など入てまうでたり。聖悦て、日比のおぼつかなさなどの給ふ。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | その中にゐよりての給ふやうは、「この程いみじくたうとき事あり。此年来、他念なく経をたもちたてまつりてあるしるしやらん、この夜比、普賢菩薩、象にのりて見え給。こよひとどまりて拝給へ」といひければ、この猟師、「よにたうとき事にこそ候なれ。さらば、とまりておがみたてまつらん」とてとどまりぬ。 | + | 昔、愛宕(あたご)の山に、久しく行なふ聖ありけり。年ごろ行ひて坊を出づることなし。西の方に猟師あり。この聖を尊みて、常には詣でて物奉りなどしけり。久しく参らざりければ、餌袋(ゑぶくろ)に干飯(ほしいひ)など入れて詣でたり。聖悦びて、日ごろのおぼつかなさなどのたまふ。 |
- | さて、聖のつかふ童のあるにとふ、「聖のたまふやう、いかなる事ぞや。をのれもこの仏をば、をがみまいらせたるや」ととへば、「童は五六度ぞみたてまつりて候」といふに、猟師、「我も見たてまつる事もやある」とて、聖のうしろにいねもせずしておきゐたり。 | + | その中に居寄りてのたまふやうは、「このほど、いみじく尊きことあり。この年ごろ、他念なく経を持(たも)ち奉りてある験(しるし)やらん、この夜ごろ、普賢菩薩、象に乗りて見え給ふ。今宵、とどまりて拝み給へ」と言ひければ、この猟師、「よに尊きことにこそ候ふなれ。さらば、とまりて拝み奉らん」とて、とどまりぬ。 |
- | 九月廿日の事なれば、夜もながし。「いまやいまや」と待に、「夜半過ぬらん」とおもふ程に、東の山の嶺より、月の出るやうにみえて、嶺の嵐もすさまじきに、この坊の内、光さし入たるやうにてあかく成ぬ。みれば普賢菩薩、白象に乗て、やうやうおはして坊の前に立給へり。 | + | さて、聖の使ふ童のあるに問ふ、「聖のたまふやう、いかなることぞや。おのれもこの仏をば、拝み参らせたりや」と問へば、「童は五六度ぞ見奉りて候ふ」と言ふに、猟師、「われも見奉ることもやある」とて、聖の後ろに寝(いね)もせずして、起き居たり。 |
- | 聖、なくなくおがみて、「いかに、ぬし殿はおがみたてまつるや」といひければ、「いかがは。この童もおがみたてまつる。をいをい。いみじうたうとし」とて、猟師思やう、「聖は年比経をもたもち、読給へばこそ、その目ばかりに見え給はめ。此童、我身などは、経のむきたるかたもしらぬに、みえ給へるは心えられぬ事也」と心のうちに思て、「此事心みてん。これ罪うべきことにあらず」とおもひて、とがり矢を弓につがいて、聖のおがみ入たるうへよりさしこして、弓をつよく引て、ひやうと射たりければ、御胸の程にあたるやうにて、火をうちけつごとくにて光もうせぬ。谷へとどろめきて逃行をとす。 | + | 九月二十日のことなれば、夜も長し。「今や、今や」と待つに、「夜半過ぬらん」と思ふほどに、東の山の嶺(みね)より、月の出づるやうに見えて、嶺の嵐もすさまじきに、この坊の内、光さし入りたるやうにて明かくなりぬ。見れば、普賢菩薩、白象(びやくざう)に乗りて、やうやうおはして、坊の前に立ち給へり。 |
- | 聖、「これはいかにし給へるぞ」といひて、なきまどふ事かぎりなし。男、申けるは、「『聖の目にこそみえ給はめ、罪ふかきものの目にみえ給へば、心みたてまつらん』とおもひて射つる也。まことの仏ならば、よも矢は立給はじ。されば、あやしき物なり」といひけり。 | + | 聖、泣く泣く拝みて、「いかに。ぬし殿は拝み奉るや」と言ひければ、「いかがは。この童も拝み奉る。をいをい。いみじう尊し」とて、猟師、思ふやう、「聖は年ごろ経をも持ち、読み給へばこそ、その目ばかりに見え給はめ。この童、わが身などは、経の向きたる方も知らぬに、見え給へるは、心得られぬことなり」と、心の内に思ひて、「このこと、こころみてん。これ罪得べきことにあらず」と思ひて、とがり矢を弓につがひて、聖の拝み入りたる上よりさしこして、弓を強く引きて、ひやうと射たりければ、御胸のほどに当たるやうにて、火をうち消つごとくにて、光も失せぬ。谷へとどろめきて逃げ行く音す。 |
- | 夜明て、血をとめて行てみければ、一町ばかり行て谷の底に大なる狸の、胸よりとがり矢を射とをされて、死てふせりけり。 | + | 聖、「これは、いかにし給へるぞ」と言ひて、泣き惑ふことかぎりなし。男、申しけるは、「『聖の目にこそ見え給はめ、わが罪深き者の目に見え給へば、こころみ奉らん』と思ひて、射つるなり。まことの仏ならば、よも矢は立ち給はじ。されば、怪しき物なり」と言ひけり。 |
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+ | 夜明けて、血をとめて行きて見ければ、一町ばかり行きて、谷の底に大きなる狸の、胸よりとがり矢を射通されて、死にて伏せりけり。 | ||
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+ | 聖なれど無智なれば、かやうにばかされけるなり。猟師なれども、慮(おもんばかり)ありければ、狸を射殺し、その化けを現しけるなり。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | 昔あたこの山に久しくおこなふ聖ありけり年比行て坊を | ||
+ | いつる事なし西のかたに猟師あり此聖をたうとみて常には | ||
+ | まうてて物たてまつりなとしけりひさしくまいらさりけれは餌袋に | ||
+ | 干飯なと入てまうてたり聖悦て日比のおほつかなさなとの給ふ | ||
+ | その中にゐよりての給ふやうはこの程いみしくたうとき事あり | ||
+ | 此年来他念なく経をたもちたてまつりてあるしるしやらんこの | ||
+ | 夜比普賢菩薩象にのりて見え給こよひととまりて拝給へと | ||
+ | いひけれはこの猟師よにたうとき事にこそ候なれさらはとまりて | ||
+ | おかみたてまつらんとてととまりぬさて聖のつかふ童のあるにとふ | ||
+ | 聖のたまふやういかなる事そやをのれもこの仏をはをかみまいらせ | ||
+ | たりやととへは童は五六度そみたてまつりて候といふに猟師 | ||
+ | 我も見たてまつる事もやあるとて聖のうしろにいねもせすして | ||
+ | おきゐたり九月廿日の事なれは夜もなかしいまやいまやと待に/下3オy259 | ||
+ | |||
+ | 夜半過ぬらんとおもふ程に東の山の嶺より月の出るやうにみ | ||
+ | えて嶺の嵐もすさましきにこの坊の内光さし入たるやうにて | ||
+ | あかく成ぬみれは普賢菩薩白象に乗てやうやうおはして坊の前に | ||
+ | 立給へり聖なくなくおかみていかにぬし殿はおかみたてまつるやといひ | ||
+ | けれはいかかはこの童もおかみたてまつるをいをいいみしうたうとし | ||
+ | とて猟師思やう聖は年比経をもたもち読給へはこそその目 | ||
+ | はかりに見え給はめ此童我身なとは経のむきたるかたもしらぬに | ||
+ | みえ給へるは心えられぬ事也と心のうちに思て此事心みてん | ||
+ | これ罪うへきことにあらすとおもひてとかり矢を弓につかいて聖 | ||
+ | のおかみ入たるうへよりさしこして弓をつよく引てひやうと射たり | ||
+ | けれは御胸の程にあたるやうにて火をうちけつことくにて光も | ||
+ | うせぬ谷へととろめきて逃行をとす聖これはいかにし給へるそと | ||
+ | いひてなきまとふ事かきりなし男申けるは聖の目にこそみえ/下3ウy260 | ||
+ | |||
+ | 給はめわか罪ふかきものの目にみえ給へは心みたてまつらんと | ||
+ | おもひて射つる也まことの仏ならはよも矢は立給はしされはあや | ||
+ | しき物なりといひけり夜明て血をとめて行てみけれは一町 | ||
+ | はかり行て谷の底に大なる狸の胸よりとかり矢を射とをされて | ||
+ | | ||
+ | なれとも慮ありけれは狸を射害そのはけをあらはしける也/下4オy261 | ||
- | 聖なれど、無智なれば、かやうにばかされける也。猟師なれども、慮ありければ、狸を射害、そのばけをあらはしける也。 |
text/yomeiuji/uji104.1412676744.txt.gz · 最終更新: 2014/10/07 19:12 by Satoshi Nakagawa