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text:yomeiuji:uji096 [2014/04/12 01:42] – 作成 Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji096 [2025/05/11 21:51] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 +宇治拾遺物語
 ====== 第96話(巻7・第5話)長谷寺参籠の男、利生に預る事 ====== ====== 第96話(巻7・第5話)長谷寺参籠の男、利生に預る事 ======
  
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 **長谷寺参籠の男、利生に預る事** **長谷寺参籠の男、利生に預る事**
  
-いまはむかし、父母、しうもなく、妻も子もなくて、只一人ある青侍ありけり。すべき方もなかりければ、「観音たすけ給へ」とて、長谷にまいりて、御前にうつぶし伏て申けるやう、「此世にかくてあるべくは、やがて此御前にてひしにに死なん。もし又、をのづからなる便もあるべくは、そのよしの夢をみざらんかぎりは出まじ」とて、うつぶしふしたりけるを、寺の僧みて「こは、いかなるもののかくては候ぞ。物食所もみえず。かくうつぶしうつぶしたれば、寺のため、けがらひいできて、大事に成なん。誰を師にはしたるぞ。いづくにてか物はくふ」などとひければ、「かくたよりなき物は、師もいかで侍らん。物たぶる所もなくあはれと申人もなければ、仏の給はん物をたべて、仏を師とたのみ奉て候也」とこたへければ、寺の僧どもあつまりて、「此事いとど不便の事也。寺のためにあしかりなん。観音をかこち申人にこそあんなれ。是あつまりて、やしなひさぶらはせん」とて、かはるがはる物をくはせければ、もてくる物をくひつつ、御前を立さらず候ける程に、三七日に成にけり。+===== 校訂本文 =====
  
-三七日はてて明んとする夜の夢に、御帳より人のいでて、「此おのこ、前世の罪のむくひをばしらで、観音をかこち申て、かくて候事、いとあやしき事也。さはあれども、申事のいとおしければ、いささかの事はからひ給りぬ。先、すみやかにまかりいでよ。まかり出んに、なににしあれ、手にあたらんを取て、捨ずしてもちたれ。とくとく、まかり出よ」とをはるると見て、はいおきて、やくそくの僧のがりゆきて、物うち食てまかり出ける程に、大門にてけつまづきて、うつぶしにたをれにけり。+[[uji095|<<PREV]] [[index.html|『宇治拾遺語』TOP]] [[uji097|NEXT>>]]
  
-おきあがりたるにあるにあらず手ににぎられたる物をみればわらすべといふ物をただ一筋にぎられたり。「仏のぶ物にて有にやあらん」といとはなく思へども、「仏のはからはせやうあらん」と、これを手まさぐりにしつつ行程に、虻((原本は虫偏に育))一、ぶめきてかほのめぐり有を、うるさければ、木の枝をおりて払すつれども猶ただおなじやうにうるさくめきればとらへて腰をこのわらすぢにてひきくりて、さきつけてもたりければくくれてほえいかで、ぶめき飛まいりけるを、長谷にまりけ女車の、前の簾をうちつぎゐたるちごの、いとうつげなるが「あ男のもちる物はにぞこひて我にたべ」と、馬にあるさぶらひにいひければ、その侍、「持た若公のめにまいらせよ」といひければ、仏のたびたる物に候へど、かく仰事候へば、まいらせ候はん」とて、とらせたりければ、「此男、いとあはれる男也若公のめす物いらせたる事」といひて、大柑子を、「これのどかくら。たべよ」とて、三、いとうばしきみちのく紙に包てとらたりければ、つたへてとらす+今は昔父母(ぶ)主(しう)もなく、妻も子もなくて、ただ一人ある青侍ありけり。すべきかもなりければ、「観音助け」とて長谷((長谷寺))にりて、御前にうし伏して申しるやうこのかくあるべは、やがて、御前にて干死(ひじ)にに死なん。しま、おのづからなる便もあるべくはそのよしの夢見ざぎり出づまじ」とてうつし伏したりけるを、寺の僧見て、「こは、かなの、かは候ふぞ。も食ふ所も見えずかくうつ伏したればのため、けがらひ出で来て、大事にりなん誰(た)を師はしるぞ。いづくにてか、のは食ふ」など問ひければ、「かく頼りなき者は、師もいかで侍らん。も賜ぶ所もなく『あはれ』と申人もなければ、仏のはん物を食べて、仏を師頼み奉て候ふなり」と答へければ、寺の僧ども集まりて、「このこと、いとど不便(ふびん)のことに悪しかりなん。観音かこち申人にこそあんなれ。これ集て、養ひ候(さぶら)ん」とて、かはるがはる物を食はせければ、持てくる物を食ひつつ御前を立ち去らず候ひけるほどに、三七日になりにけり。
  
-「藁一筋が大柑子になりぬる事」と思、木の枝にゆい付て、かたにうちてかて行ほどに、「ゆへある人の忍てまいるよ」とえて、侍など、あまたぐしてかちよりまいる女房、あゆみこうじ、ただたりにたりゐたるが、「かはけば、水ませよ」とてきえ入やうにすれば、とも人々、手まどひをして、「ちかく水やある」走さはぎもむれど、水もな。「はいかがせんずるたご馬にやもしる」ととへど、「はるかにをくれたり」てみえず。ほとほきさまにみゆれば、まことにはぎまどひて、しあつふをみて、「どかはきてさはぐ人よ」みければはらあゆみよりたるに、「ここなる男こそ水のあ所はるらめ此辺ちかく、水のきき所やある」と問ければ、「此四五町がうちに、きよき水候はじ。いかな事の候にか」ととひければ、「あゆみこうぜさせ給て、御喉かはかせ給て、しがらせ給に、水のなきが事なれば、たづぬるぞ」といひければ、「不便候御事かな。水の所は遠て、汲てまいらば程へ候なん。これはいかが」とて、つつみたる柑子を三ながらとらせたりれば、悦さはぎてくはせたれば、それを食てやうやう目を見あげて、「こはいかなつる事ぞ」といふ+七日果てて、んとする夜の夢に、御帳(みちやう)より出でて、「男(おこ)前世の罪ひをば知らで、観音をかこち申して、かくて候ふこ、いあやとなりはあ申すこのいとほしれば、いささかのと、はひ給はりぬ。まづ、すやかにまかり出で。まか出でんに、何にもあれ手に当らん物を取て、捨てずて持ちとくとく、まかり出でよ」とはる見て、這起きて、約束僧のがり行きて、物うち食ひてまかり出でけるに、大にてけつづきて、ぶしに倒れにけり。
  
-「御のどかはかせ給て『水のませよ』とおほせられつままに、御とのごりいせ給つれば、水もめつれども、清き水も候りつに、ここ候男の、思がぬに、この柑子を三たてまつりたりつれまいらせるなり」といふに、此女房「我は、、のどかはきて、絶入たりけるにこそ有けれ。『水のませよ』といひつる斗はおぼゆ其後の事露おぼず。此柑子えざらまし此野中にてえ入なまし。うれしかりけるな。此おとこ、いまだあるか」ととば、「かしこ」と申。しばしあれ。いみじからん事あり、たえ入はてなば、かひなくてそやみましうれしとおふばかり事はかかる旅にてはいかがせんずるぞ。ひ物はもちてきたるか。くはせてやれ」といへば、「男、しばし候へ。御たご馬などまいりたらんに、物などてまかれ」とい、「うけ給ぬ」とるほどにはたご馬かはご馬などきつきたり。+起き上がりたるに、あるにあらず、手に握れたる物を見れば、藁すべいふ物を、ただ一筋握らたり。「仏の賜ぶ物にてあるにやあらん」と、いとはかなく思へども、「仏のからはせ給ふやうあらん」と思ひて、これを手まさぐにしつ行くほどに、虻((底本異体字。虫偏育))一つ、ぶめきて顔めぐりにあるをうるされば折り払ひ捨つれども、ただ同じやうに、うるくぶめきければ、捕へて腰をこ藁筋(わらすぢ)にて引くくりて、枝の先に付けて持たりければ、腰をくくらほかへはえぶめ飛び回りけるを、長谷に参りける女車の、前の簾をうちつぎてゐたる児(ちご)の、いと美しげなるが、「の男の持ちたものは何ぞ。れ乞ひて、我に賜べ」と、馬に乗りて、もにある侍に言ひけれ、その侍、「その持たるもの、若公(わぎみ)の召す、参らせよ」と言ひければ、賜びたるものに候へどかく仰せごば、参せ候は取らせりければ、の男、いとあはれる男なり若公召すものやす参らせたること」と言ひて、大柑子を、「これ、喉渇(どか)くらんべよ」とて、三つ、と香しき陸奥紙(みちのくにがみ)に包み取らせりければ伝へて、取らす
  
-などかくはるかをくれてはまいぞ。御はたご馬などはつねにさきだつそよけれ。事などもあるに、かくをくるるき事かは」などいひてやがてんびき、たみなど、「水遠んなれど、こうぜさせ給ば、めし物はここにていらすべき也」とて、夫どもりなどして、水くませ食物しいだしたれば、此男にきよげにして、くはせたり。物をくふくふ、「ありつる柑子、なににかならんずらん。観音はからせ給事なれどなしくはやまじ」と思ゐたる程に、しろくよき布を三むら、とりいでて「これあの男にとらせよ。此柑子の喜は、いひつくすべき方もなけれども、かかる旅の道にては、うれしとおもふ斗の事はいかがせん。これだ心ざしのはじめをみする也。京のおはしましし所はそこそこになん。かならずまいれ。此柑子の喜をばせんず」といひて、布三むらとらせたれば、悦て布をとりて、「わらすぢ一筋が布三むらぬる事」と、腋にはさみてまかる程に、其日は暮にけり+藁一筋が大柑子三つなりぬること」と思ひて、木結ひ付けて肩にうちてけて行ほどに、「ゆゑあ人の忍びて参るよ」と見えて、侍など、またして徒歩(ち)より参る女房の歩み困(こう)じて、だたりにたりゐたるが、「喉の渇けば、水飲せよ」とて、消え入るうにすれば、供の人々、手惑ひをして、「近水やる」と走騒ぎ求むれど、もなし「こは、いかがせんずる御旅籠馬(はたごう)にや、もる」と問へど、「はるか遅れたり」とて見えず
  
-道づらなる人の家にりて明ぬれば、おき行く程に日さしあて、辰の時かりにえもいずよき馬にのりたる此馬を愛しつつ、道もゆきやらず、ふまはするほどに、「えみいぬ馬かなれをぞ千貫がけなどはいふにやあらん」とみるほどに此馬、にはにたうれて、ただしににしぬれば、主、我にもあらぬけしきにて、おり立ゐたりてまどひして、従者どもも鞍おろしどして、「いかがせんずる」といへども、かひなくしにはぬればうちあさましがり泣ぬかりに思ひたれすべき方なくて、しの馬のあに乗ぬ+ほとしきさに見ゆれば、まことに騒ぎ惑ひて、しあつかふを見て、「喉渇きて騒ぐ人よ」と見ければ、ら歩み寄りたる、「ここなる男こそ、水あり所は知りたるらめ。このあたり近く水の清」と問ひければ、「この四・五町がうちには、清き水候はじ。いかなとの候ふに」と問ひければ、「歩困ぜさせ給ひて御喉の渇せ給ひて、水欲がらせ給ふ、水の無きが大事なれば、るぞ」と言ひれば、「不便候ふ御ことかな。水の所は遠くて、汲み参らばほ経(へ)候ひなん。これはいかが」とて、包みたる柑子、三つなら取らせたけれ、悦び騒ぎて食はせたれそれを食ひて、やうやう目を見上げて、「こは、いかなりつことぞ」と言ふ
  
-「かここにありもすべきやうもなし。我等はいなん。これ、ともかくもして、ひきかくせ」とて下すおとを一人とどめていぬれば此男みて「此馬『わならん』とて、死ぬるにそあんめれ。藁一すぢが、柑子三になぬ。柑子三が布三むになりり。此ぬのの馬になべきり」とて、あゆみよて、此下す男いふやう、「はいかなつる馬ぞ」ととひければ、「みちのくよりえさ給へる馬なり。ろづの人のほしがりて、『あたいもかぎらず買ん』とつるをもおしみて、なち給はずして、けふかくしぬ、そのあたい、少分をもらせ給はずなりぬれも『皮をだにはがや』と思へど『旅にてはいがすべき』思て、まもり立て侍なり」といひければ、「その事也。いみじき御馬見侍つるにかなくかくしぬる事、命ある物はあさましき事也こと旅にては、皮をはぎ給たりとも、えほし給はじおのれ此辺に侍れば、皮はぎひ侍らんえさせておはしね」とて、此布を一むらとらせたれば、男、「思はずる所得しり」と思て「おももぞへす」とやおもふらん布をとるままに、見だにもへらずはしいぬ+御喉渇せ給ひ、『水飲ませよ』仰せらつるままに御殿籠(おほのご)り入らせ給ひつれば水求め候つれども、清水も候はざりつるに、ここに候ふ男の思ひけぬ、その心を得て、こ柑子つ奉たりつればたるなり」と言ふに、この女房、「われは、さは、喉渇きて、絶え入たりけるにこそありけれ。『水飲ませよ』と言ひつるばかり覚ゆ、その後のことは、つゆ覚えず。柑子、得ざらましかば、この野中にて、消え入りなまし。嬉しりける男かな。この男(おこ)だあるか」と問へば、「かしこに候ふ」と申す。「その男、『しばしあれ』と言へ。いみじからんことも、絶え入り果てなば、かなくてこそやみなまし。男の嬉しと思ふばかりのことは、かかる旅にては、いかがせんずるぞ食ひ物持ち来たるか。食はせてやれ」と言へば、「あの男、しばし候へ。御旅籠馬ど参りらんに物など食てま」と言へば「承りぬ」て居たほどに、旅籠馬、皮籠馬(はごうま)など来着きたり。
  
-やりてて後、手きあらひせの方にむかひて、「此馬、て給はらん」念じゐたに、この馬、目を見あくるままに、頭をもたげおきんとしければ、やはら手をかけおこしぬ。うれし事限し。「をくれくる人もぞある。又ありつる男もぞくる」など、あやうくおぼえければ、やうやうかくれのかた引入、時うつるまでやて、もとのうに心ちもなにければ、もと引もて行てその布一むらして、轡や、あやしの鞍にかへて、馬に乗ぬ+「などくはに遅れては参るぞ。旅籠などは常に先立つこそよれ。とみのこなどもあるに、るはよき事かは」など言ひて、や幔引(まんひ)、畳ど敷きて、「水遠かんど、困ぜさせ給ひたれば、召し物は、ここにて参らべきなり」とて、夫(ぶ)どもやりなどして、水汲ませ、食ひ物し出だしたれば、に、清げにして、食はせたり
  
-京ざまにのぼに、宇治わくれにけれ夜は人のもととまりて、めていとく京まにれば、九条わたりなる人の家に物へいんずやう立さぐ所あり。+物を食ふ食ふ、「ありつ柑子、何かならんずらん。観音はからせ給ふことなれば、よもむなしくはやまじ」と思ひ居るほどに、良き布を三疋(みむら)、取り出でて、「こ、あの男取らせよ。この柑子の喜びは言ひつくすべきかたもなけれどもかかる旅にて嬉し思ふばかりのこはいかがせん。これはただ、心始めを見するな。京のおはしまし所は、そこそこになん。必ず参。この柑子の喜びをせんずるぞ」と言ひて布三疋取らせれば、悦びて布を取て、「藁筋一筋が布三疋にりぬこと」と思ひて腋(わき)に挟みてまかるほどに、その日暮れにけり。
  
-「此馬て行たらんに、りたる人ありて、『ぬすみたる』などいはれんもよしなし。やはら、これを売てばや」と思て、「かやう所になど用なる物ぞか」とており立てよりて、「し馬など買せ給」ととひければ、「馬がな」と思けるほどにて、此馬をみて、「いかがせん」さはぎて只今かりぎぬなどはなき、この鳥羽の田や米などにはかへて」といひければ「中々きぬよりは第一事也」と思て「きぬや銭などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何かはせんずると思給ふど、馬の御用あるべくは、ただこそしたがはめ」といへば、此馬のり心み、はせなどして、だ、思つるさ也」といひて、此鳥羽のちかき田三町稲すこ、米などとらせてやりて、此家をあづけておのれもし命ありて帰のぼりたらば、その時返しえさ。のぼらざらんかぎりは、かくてゐ給つ。も命たえてなくもななば、やがてわが家して居給へ。子も侍らねばとか申人もよも侍らじ」といひて、あづけて、がてくだりにければ、そ入居て、みたける+道づらなる人の家にとどまりて明けぬれば、鳥ととも起きて行くほどに、日さしありて、辰の時ばりに、えもいはず良き馬に乗りたる人、この馬を愛つつ行きらず、るまはするほどに、「まこえもいはぬ馬か。これぞ『千貫がけ』などは言ふやあらん」と見るほどに、には倒(たう)、ただに死ぬれば、主、われもあらぬ気色(けき)にて、下りて立ち居り。手て、従者どもも鞍下(おろ)しなどて、「いかがんずる」と言ども、かひな死に果ば、手を打ち、あさまがり泣きぬばかりに思ひたれどすべき方なくて、あや馬のある
  
-取をきて、ただひとりなりけれど食物ありければ、かたはらそのへなり下すなどいきて、かはして、たありつき居つきり。+「かくてここにありとも、すべきやうもし。われらは去なん。これともかくもして、引隠せ」とて、下種男(げすおこ)を一人とどめて去ぬれば、この男、見て、「この馬、『わが馬にならん』とて、死ぬるにこそあんめれ。藁一筋が、柑子三つになぬ。柑子三つが、布三疋(みむら)になりたり。この布の馬になるべきなめ」と思ひて、歩み寄りて、この下種男に言ふやう、「こは、いかなりつる馬ぞ」と問ひければ、「陸奥国(みちくに)より得させ給る馬なり。よろづの人のほしがりて、『値(あたひ)も限らず買はん』と申しつをも惜しみて、放ち給はずして、今日かく死ぬれば、その値、少分をも取らせ給はずりぬ。おのれも、『皮をだに剥がばや』と思へ、『旅にては、かがすべ』と思ひて、まもり立ちて侍るなり」と言ひければ、「そのことなり。『いみじき御馬な』と見侍りつるに、くかく死ぬること、命あるものは、あさまきことなり。まことに、旅に皮はぎ給ひりとも、え干し給はじ。おのれは、このりに侍れば、皮剥ぎて使ひ侍らん。得させておはしね」とて、この布を一疋取らせたれば、男、「思はずなる所得したり」と思ひて、「思ひもぞかへす」とや思ふらん、布を取るまま、見だにも返らず、走去ぬ
  
-二月なりければ、そのたりける田を、なからは人に作らせ、今なからはれうにつくらせたりけるが、人のかたのもけれども、それはつねにて、おのれがぶんとて作たるは、ことのほかにおほたりければ、稲おほく刈きて、それよりうちはじめ、風の吹つくるやうに徳きて、いみじきとくにてぞありける。+男、よくやりはてて後、手かき洗ひて、長谷の御方に向ひて、「この馬、生けて給はらん」と念じ居たるほどに、この馬、目を見開くるままに、頭をもたげて、起きんとしければ、やはら手をかけて起こしぬ。嬉しきことかぎりなし。「遅れて来る人もぞある。また、ありつる男もぞ来る」など、あやふく思えければ、やうやう隠れの方に引き入れて、時移るまで休めて、もとのやうに心地もなりにければ、人のもとに引き持て行きて、その布一疋して、轡(くつわ)や、あやしの鞍にかへて、馬に乗りぬ。 
 + 
 +京ざまに上るほどに、宇治わたりにて、日暮れにければ、その夜は、人のもとに泊りて、今一疋の布して、馬の草・わが食ひ物などにかへて、その夜は泊りて、つとめて、いととく京ざまに上りければ、九条わたりなる人の家に、ものへ行かんずるやうにて、立ち騒ぐ所あり。 
 + 
 +「この馬、京に率(い)て行きたらんに、見知りたる人ありて、『盗みたるか』など言はれんもよしなし。やはら、これを売りてばや」と思ひて、「かやうの所に、馬など用なるものぞかし」とて、下り立ちて、寄りて、「もし、馬などや買はせ給ふ」と問ひければ、「馬がな」と思ひけるほどにて、この馬を見て、「いかがせん」と騒ぎて、「ただ今、かはり絹(ぎぬ)などは無きを、この鳥羽の田や米などにはかへてんや」と言ひければ、「なかなか、絹よりは第一のことなり」と思ひて、「絹や銭などこそ、用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何にかはせんずると思ひ給ふれど、馬の御用あるべくは、ただ仰せにこそしたがはめ」と言へば、この馬に乗り試み、馳せなどして、「ただ、思ひつるさまなり」と言ひて、この鳥羽の近き田三町、稲少し、米など取らせて、やがてこの家をあづけて、「おのれ、もし命ありて帰り上りたらば、その時、返し得させ給へ。上らざらんかぎりは、かくて居給へれ。もしまた、命絶えて、なくもなりなば、やがてわが家にして居給へ。子も侍らねば、とかく申す人もよも侍らじ」と言ひて、あづけて、やがて下りにければ、その家に入り居て、みたりける。 
 + 
 +米・稲など、取り置きて、ただ一人なりけれど、食物ありければ、かたはら、その辺(へん)なりける下種など出で来て、使はれなどして、ただありつきに、居付きにけり。 
 + 
 +二月ばかりことなりければ、そのたりける田を、半(なか)らは人に作らせ、今らは、わが料(れう)らせたりけるが、人の方(かた)のもけれども、それはにて、おのれが分(ぶん)とて作たるは、ことのほかにたりければ、稲く刈り置きて、それよりうちはじめ、風の吹つくるやうに徳きて、いみじき徳人(とくにん)にてぞありける。 
 + 
 +その家主(いへあるじ)も、音せずなりにければ、その家もわがものにして、子孫など出で来て、ことのほかに栄えたりけるとか。 
 + 
 +[[uji095|<<PREV]] [[index.html|『宇治拾遺物語』TOP]] [[uji097|NEXT>>]] 
 + 
 +===== 翻刻 ===== 
 + 
 +  いまはむかし父母しうもなく妻も子もなくて只一人ある青侍 
 +  ありけりすへき方もなかりけれは観音たすけ給へとて長谷 
 +  にまいりて御前にうつふし伏て申けるやう此世にかくてあるへく 
 +  はやかて此御前にてひしにに死なんもし又をのつからなる便も 
 +  あるへくはそのよしの夢をみさらんかきりは出ましとてうつふし 
 +  ふしたりけるを寺の僧みてこはいかなるもののかくては候そ物 
 +  食所もみえすかくうつふしふしたれは寺のためけからひいてきて 
 +  大事に成なん誰を師にはしたるそいつくにてか物はくふなと 
 +  とひけれはかくたよりなき物は師もいかて侍らん物たふる所もなく 
 +  あはれと申人もなけれは仏の給はん物をたへて仏を師とたのみ奉て 
 +  候也とこたへけれは寺の僧ともあつまりて此事いとと不便の事也 
 +  寺のためにあしかりなん観音をかこち申人にこそあんなれ是 
 +  あつまりてやしなひさふらはせんとてかはるかはる物をくはせけれは/105オy213 
 + 
 +  もてくる物をくひつつ御前を立さらす候ける程に三七日に成 
 +  にけり三七日はてて明んとする夜の夢に御帳より人のいてて 
 +  此おのこ前世の罪のむくひをはしらて観音をかこち申 
 +  てかくて候事いとあやしき事也さはあれとも申事のいとおし 
 +  けれはいささかの事はからひ給りぬ先すみやかにまかりいてよ 
 +  まかり出んになににもあれ手にあたらん物を取て捨すしてもち 
 +  たれとくとくまかり出よとをはるると見てはいおきてやくそくの僧の 
 +  かりゆきて物うち食てまかり出ける程に大門にてけつまつきてうつ 
 +  ふしにたをれにけりおきあかりたるにあるにもあらす手ににきら 
 +  れたる物をみれはわらすへといふ物をたた一筋にきられたり 
 +  仏のたふ物にて有にやあらんといとはかなく思へとも仏のはからはせ 
 +  給やうあらんと思てこれを手まさくりにしつつ行程に蜟一ふめきて 
 +  かほのめくりに有をうるさけれは木の枝をおりて払すつれとも/105ウy214 
 + 
 +  猶たたおなしやうにうるさくふめきけれはとらへて腰をこの 
 +  わらすちにてひきくくりて枝のさきにつけてもたりけれは 
 +  腰をくくられてほかへはえいかてふめき飛まはりけるを長谷に 
 +  まいりける女車の前の簾をうちかつきてゐたるちこのいとうつくし 
 +  けなるかあの男のもちたる物はなにそかれこひて我にたへと馬に乗て 
 +  ともにあるさふらひにいひけれはその侍その持たる物若公のめす 
 +  にまいらせよといひけれは仏のたひたる物に候へとかく仰事 
 +  候へはまいらせ候はんとてとらせたりけれは此男いとあはれなる男 
 +  也若公のめす物をやすくまいらせたる事といひて大柑子を 
 +  これのとかはくらんたへよとて三いとかうはしきみちのくに紙に包 
 +  てとらせたりけれは侍とりつたへてとらす藁一筋か大柑子三に 
 +  なりぬる事と思て木の枝にゆい付てかたにうちてかけて行 
 +  ほとにゆへある人の忍てまいるよとみえて侍なとあまたくして/106オy215 
 + 
 +  かちよりまいる女房のあゆみこうしてたたたりにたりゐたるか 
 +  喉のかはけは水のませよとてきえ入やうにすれはともの人々手 
 +  まとひをしてちかく水やあると走さはきもとむれと水もなし 
 +  こはいかかせんする御はたこ馬にやもしあるととへとはるかにをくれ 
 +  たりとてみえすほとほとしきさまにみゆれはまことにさはきまとひて 
 +  しあつかふをみてのとかはきてさはく人よとみけれはやはらあゆみ 
 +  よりたるにここなる男こそ水のあり所はしりたるらめ此辺ちかく 
 +  水のきよき所やあると問けれは此四五町かうちにはきよき水 
 +  候はしいかなる事の候にかととひけれはあゆみこうせさせ給て 
 +  御喉のかはかせ給て水ほしからせ給に水のなきか大事なれは 
 +  たつぬるそといひけれは不便に候御事かな水の所は遠て汲て 
 +  まいらは程へ候なんこれはいかかとてつつみたる柑子を三なからとらせ 
 +  たりけれは悦さはきてくはせたれはそれを食てやうやう目を/106ウy216 
 + 
 +  見あけてこはいかなりつる事そといふ御のとかはかせ給て水の 
 +  ませよとおほせられつるままに御とのこもりいらせ給つれは水もと 
 +  め候つれとも清き水も候はさりつるにここに候男の思かけぬに 
 +  その心をえてこの柑子を三たてまつりたりつれはまいらせたるなり 
 +  といふに此女房我はさはのとかはきて絶入たりけるにこそ有 
 +  けれ水のませよといひつる斗はおほゆれと其後の事は露 
 +  おほえす此柑子えさらましかは此野中にてきえ入なまし 
 +  うれしかりける男かな此おとこいまたあるかととへはかしこに候と 
 +  申その男しはしあれといへいみしからん事ありともたえ入はてなは 
 +  かひなくてこそやみなまし男のうれしとおもふはかりの事は 
 +  かかる旅にてはいかかせんするそくひ物はもちてきたるかくはせてや 
 +  れといへはあの男しはし候へ御はたこ馬なとまいりたらんに物なと食 
 +  てまかれといへはうけ給ぬとてゐたるほとにはたこ馬かはこ馬/107オy217 
 + 
 +  なときつきたりなとかくはるかにをくれてはまいるそ御はたこ馬なと 
 +  はつねにさきたつこそよけれとみの事なともあるにかくをくるるは 
 +  よき事かはなといひてやかてまんひきたたみなとしきて水遠 
 +  かんなれとこうせさせ給たれはめし物はここにてまいらすへき也 
 +  とて夫ともやりなとして水くませ食物しいたしたれは此男に 
 +  きよけにしてくはせたり物をくふくふありつる柑子なににかならん 
 +  すらん観音はからせ給事なれはよもむなしくはやましと思 
 +  ゐたる程にしろくよき布を三むらとりいててこれあの男に 
 +  とらせよ此柑子の喜はいひつくすへき方もなけれともかかる 
 +  旅の道にてはうれしとおもふ斗の事はいかかせんこれはたた心さし 
 +  のはしめをみする也京のおはしまし所はそこそこになんかならすまいれ 
 +  此柑子の喜をはせんするそといひて布三むらとらせたれは悦て 
 +  布をとりてわらすち一筋か布三むらになりぬる事と/107ウy218 
 + 
 +  思て腋にはさみてまかる程に其日は暮にけり道つらなる人 
 +  の家にととまりて明ぬれは鳥と友におきて行く程に日さし 
 +  あかりて辰の時はかりにえもいはすよき馬にのりたる人此 
 +  馬を愛しつつ道もゆきやらすふるまはするほとにま 
 +  ことにえもいはぬ馬かなこれをそ千貫かけなとはいふにや 
 +  あらんとみるほとに此馬にはかにたうれてたたしににしぬれ 
 +  は主我にもあらぬけしきにておりて立ゐたりてまとひして 
 +  従者ともも鞍おろしなとしていかかせんするといへともかひ 
 +  なくしにはてぬれは手をうちあさましかり泣ぬはかりに思ひ 
 +  たれとすへき方なくてあやしの馬のあるに乗ぬかくてここに 
 +  ありともすへきやうもなし我等はいなんこれともかくもしてひ 
 +  きかくせとて下すおとこを一人ととめていぬれは此男みて 
 +  此馬わか馬にならんとて死ぬるにこそあんめれ藁一すちか/108オy219 
 + 
 +  柑子三になりぬ柑子三か布三むらになりたり此ぬのの馬に 
 +  なるへきなめりと思てあゆみよりて此下す男にいふやうこはいか 
 +  なりつる馬そととひけれはみちのくによりえさせ給へる馬 
 +  なりよろつの人のほしかりてあたいもかきらす買んと申つるをも 
 +  おしみてはなち給はすしてけふかくしぬれはそのあたい少分 
 +  をもとらせ給はすなりぬおのれも皮をたにはかはやと思へと 
 +  旅にてはいかかすへきと思てまもり立て侍なりといひけれはその 
 +  事也いみしき御馬かなと見侍りつるにはかなくかくしぬる事 
 +  命ある物はあさましき事也まことに旅にては皮はき給たり 
 +  ともえほし給はしおのれは此辺に侍れは皮はきてつかひ侍らん 
 +  えさせておはしねとて此布を一むらとらせたれは男思はすなる 
 +  所得したりと思ておもひもそかへすとやおもふらん布を 
 +  とるままに見たにもかへらすはしりいぬ男よくやりはてて/108ウy220 
 + 
 +  後手かきあらひてはせの御方にむかひて此馬いけて 
 +  給はらんと念しゐたる程にこの馬目を見あくるままに頭を 
 +  もたけておきんとしけれはやはら手をかけておこしぬうれしき 
 +  事限なしをくれてくる人もそある又ありつる男もそくる 
 +  なとあやうくおほえけれはやうやうかくれのかたに引入て時うつるまて 
 +  やすめてもとのやうに心ちもなりにけれは人のもとに引もて行て 
 +  その布一むらして轡やあやしの鞍にかへて馬に乗ぬ京さま 
 +  にのほる程に宇治わたりにて日くれにけれはその夜は人のもと 
 +  にとまりて今一むらの布して馬の草わか食物なとにかへ 
 +  て其の夜はとまりてつとめていととく京さまにのほりけれは九条 
 +  わたりなる人の家に物へいかんするやうにて立さはく所あり 
 +  此馬京にいて行たらんに見しりたる人ありてぬすみたるかなと 
 +  いはれんもよしなしやはらこれを売てはやと思てかやうの所に/109オy221 
 + 
 +  馬なと用なる物そかしとており立てよりてもし馬なとや買 
 +  せ給ふととひけれは馬かなと思けるほとにて此馬をみていかか 
 +  せんとさはきて只今かはりきぬなとはなきをこの鳥羽の田や米 
 +  なとにはかへてんやといひけれは中々きぬよりは第一の事也と思 
 +  てきぬや銭なとこそ用には侍れおのれは旅なれは田ならは 
 +  何にかはせんすると思給ふれと馬の御用あるへくはたた仰にこそ 
 +  したかはめといへは此馬にのり心みはせなとしてたた思つるさま也 
 +  といひて此鳥羽のちかき田三町稲すこし米なととらせて 
 +  やかて此家をあつけておのれもし命ありて帰のほりたらはその 
 +  時返しえさせ給へのほらさらんかきりはかくてゐ給へれもし 
 +  又命たえてなくもなりなはやかてわか家にして居給へ子も侍ら 
 +  ねはとかく申人もよも侍らしといひてあつけてやかてくたりにけれは 
 +  その家に入居てみたりける米稲なと取をきてたたひとりなり/109ウy222 
 + 
 +  けれと食物ありけれはかたはらそのへんなりける下すなといてき 
 +  てつかはれなとしてたたありつきに居つきにけり二月斗の 
 +  事なりけれはそのえたりける田をなからは人に作らせ今なからは 
 +  我れうにつくらせたりけるか人のかたのもよけれともそれはよのつね 
 +  にておのれかふんとて作たるはことのほかにおほくいてきたり 
 +  けれは稲おほく刈をきてそれよりうちはしめ風の吹つくる 
 +  やうに徳つきていみしきとく人にてそありけるその家あるしも 
 +  をとせすなりにけれは其家も我物にして子孫なといてきて 
 +  ことのほかにさかへたりけるとか/110オy223
  
-その家あるじもをとせずなりにければ、其家も我物にして、子孫などいできて、ことのほかにさかへたりけるとか。 
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