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text:yomeiuji:uji087 [2014/04/10 19:32] – 作成 Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji087 [2025/05/10 21:59] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 +宇治拾遺物語
 ====== 第87話(巻6・第5話)観音経、蛇に化し、人を輔け給ふ事 ====== ====== 第87話(巻6・第5話)観音経、蛇に化し、人を輔け給ふ事 ======
  
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 **観音経、蛇に化し、人を輔け給ふ事** **観音経、蛇に化し、人を輔け給ふ事**
  
-いまはむかし、鷹をやくにて過る物有けり。「鷹の放れたるをとらん」とて、飛にしたがひて行ける程に、はるかなる山の奥の谷のかた岸に、高き木のあるに、鷹の巣くひたるを見付て、「いみじき事みをきたる」とうれしく思て、帰てのち、「いまはよき程に成ぬらん」とおぼゆる程に、「子をおろさん」とて、又行てみるに、えもいはぬ深山のふかき谷のそこゐもしらぬうへに、いみじくたかき榎の木の、枝は谷にさしおほひたるがかみに、巣を食て子をうみたり。+===== 校訂本文 =====
  
-鷹、巣のめぐりにしあり((底本「り」を欠く))く。みるに、えもいはずめでたき鷹にて、「あれは子もよかるらん」と思て、よろづもしらずのぼるに、やうやういま巣のもとにのぼらんとする程に、ふまへたる枝おれて、谷におち入ぬ。+[[uji086|<<PREV]] [[index.html|『宇治拾遺物語』TOP]] [[uji088|NEXT>>]]
  
-片岸いでたる木の枝落かかりての木の枝をとらへてればたるもせず。すべし。見おろせばそこゐしらず深き谷也。あぐれば、はるかに高き岸な。かきのぼるべき方もなし+今は昔、鷹を役(やく)にて過ぐる者ありけり。「鷹放れたるを捕らん」とて、飛ぶにしたがひて行きけほどに、遥かなる山奥の谷の片岸に、高き木のあるに、鷹の巣食ひたるを見付「いみじきこと見置きたる」と嬉しく思ひて、帰りての、「今はよほどにりぬらん」と思ゆるほどに、「子を下(おろ)さん」とてまた、行きて見るに、えいはぬ深山の深き谷の、そこひも知らぬうへに、いじく高き榎の木の谷にさし覆ひたが上(み)、巣を食ひて、子を生みたり。
  
-従者どもは、「谷に落入ぬれば、うたがひな死ぬらんとおもふ「さるにても、いがあとみと思て、岸のはたへりて、わりなくつまだてて、おそしけれどわみおろせばそこゐぬ谷の底に、木の葉しげくだてたる下なば、さらにみゆべきやうもなし。目くるめきかなしければ、しばしもえみず。すべき方なければ、さりとあるべきならねばみな家て、「かうかう」といへば、妻子どもなきまどへどもかひなし+巣のめぐりにしありく((しありく」は底本「しあく」または「しあしあ」諸本により訂正。))。見に、えもいはずめでたき鷹にてあれば、「子かると思て、よろづも知らず登るに、やうやう、いま巣のとに登んとするほどに、踏まへたる枝折れて、落ち入
  
-あはぬまも見まほしけれ「さらに道おぼえず。又、おはたりとも、そこ底にて、さばかのぞきよろづにみしかどもえ給はざりき」といへば、「まことにさぞあらん」と人々もいへば、いなり+谷の片岸にさし出たる木の枝落ちかりて、その木の枝をとらへてありけれ生きたる心地ず。すべき方な。見下せば、そこず深き上ぐれば、るかに高き岸なり。かき登るべき方もなし
  
-さて、谷にはすべきかたなくて、石のその折敷のさにて、さし出たるたそばに尻をかけて、枝をとらへて、すこしもみじろぐべきかたなし。いささかもはたかば、谷に落入ぬべし。いかにもいかにもせんかたな。か鷹飼をやくにて、世をすぐせど、おさなくより観音経を読たてまつりち奉りたりければ、「助給へ」思入て、ひとへ憑たてまつりて、此経をよるひるいくらともなくよみたてつる+従者どもは谷に落ち入りぬれ、疑なく死ぬらん」と思ふ。「にてがあると見ん」と思ひて、はた寄りて、わりく爪立(つまだ)てて、怖けれど、わづに見下ろせば、そこひの底に、木の葉たる下なれば、さらに見ゆべきやうもし。目るめき悲しければ、しばしえ見ず。すべき方なければ、さりとて、あるべきならねば、みな家りて、「かうかう」言へば、妻子ど、泣きどへどもかひなし
  
-「弘誓深如海」とあるわたりをよむ程、谷の底のたより、物のそよそよとくる心ちのす、「かあらん」と思て、やをらみれば、もいは大きなる蛇なりけり「長さ二丈斗もあるらん」とみゆるがにさしてはひくれば、「我は此蛇にくはれなんずるなめりと。かなしきわざかな。『観音助給へ』とこそおひつれ、こはいかしつる事ぞ」と思て、ねんじ入てある程にただききて我ひのもをすぐれど我をのとさらにせず。+会はぬまでも見まほしけ、「さら道も覚えず。またおはりとも、ひも知らぬ谷底にて、さばかり覗きよろづ見しかども見え給はりき」言へばに、ぞあるん」と人々も言へば、行かなりぬ
  
-ただ、谷よりうへざまへのぼらんとる気色ば、「いがせん。だこれ取付たらば、のぼりなんし」とおもふ心つきて、やはぬきて、此蛇のせなかにつきてて、それにすがりて蛇の行ままにひれてゆけば、谷岸のうへざまに、こそこそとのぼりぬ+さて、谷には、べき方くて、石のそ折敷のひろさにて、さし出でたるかたそば尻をて、て、少しも身じろぐべき方し。いささもはかば、谷に落ち入ぬべし。いかもいかにもせんかたなし
  
-そのおり此男はなれてのくに、刀とらんとすれど、つよつきてにければ、えぬかぬ程に、きはづし背に刀さしながら蛇はこそろたりてむかひ谷にわたりぬ+かく鷹飼を役(や)て世過ぐせど、より観音経((『法華経』巻八 観世音菩薩普門品))を読み奉り、もち奉りたりければ、「助け給へ」と思入りて、へに憑(の)み奉りて、こ経を夜昼(よるひる)、いくらともなく読み奉る
  
-此男うれし」と思ひて家へいそぎてゆとすれ此二三日、いささもはたかさずはずすごれば、かげやうやせさらぼひつ、かつがつとやうやうにして行つ+弘誓深如海」とあるわたりを読むほどに、谷の底の方(た)より、物のそよそよ来る心地のすれ「何にあらん」と思ひて、やをら見ればはず大きなる蛇(くちなは)なりけり。長さ二丈ばかりもあるらんと見ゆるが、さにさして這ひ来れば、「われはこ食はれなんずるなめり」と、「悲しきわざかな。『観音助け給へ』とこそ思ひつこは、いかにしつることぞ」と思ひ、念じ入りてあるほど、ただ来()に来て、わが膝のもとを過ぐれど、われを呑まんとさらにせず
  
-さて、家には「いまはいかがせん」とて、とぶらふべき経仏のいとなみなどしけるに、かくおもひがけずよろぼひ来たれば、おどろき泣さはぐことかぎりなし。かうかうのことどもかたりて、「観音の御たすけとてかくいきたるぞ」とあさましりつる事も泣泣かたりて物なくひてその夜はやすみてつとめてとくおきて手あらひて、「いつもよみたてまつる経を読んとて引あけたれば、あの谷にて蛇の背につきたてし刀此御経に弘誓深如海の所に立たり。みるにいとあさましなはおろかなり。「こは此経の蛇に変て我をたすけおはしましけりとおもふにあはれにたうとくかなしいみとおもふ事かりなしそのあたりの人々これをききて見あさみけり+ただ、谷より上ざまへ登らんとする気色なれば、「いかがせん。ただ、これに取り付きたらば、登りなんかし」と思ふ心付きて、腰の刀をやはら抜きて、この蛇の背中に突き立てて、それにすがりて、蛇の行くままに引かれて行けば、谷より岸の上ざまに、こそこそと登りぬ。 
 + 
 +その折、この男、離れて退(の)くに、刀を取らんとすれど、強く突き立てにければ、え抜かぬほどに、引き外して、背に刀刺しながら、蛇はこそろと渡りて、向ひの谷に渡りぬ。 
 + 
 +この男、「嬉し」と思ひて、家へ急ぎて行かんとすれど、この二・三日、いささか身をもはたらかさず、物も食はず過したれば、影のやうに痩せさらぼひつつ、かつがつとやうやうにして家に行き着きぬ。 
 + 
 +さて、家にははいかがせん」とて、あと弔(あととぶら)ふべき経仏のみなどしけるに、かくひがけずよろぼひ来たれば、き泣き騒ぐことかぎりなし。 
 + 
 +かうかうのことども語りて、「観音の御助けとて、く生きるぞ」と、あさましかりつることども、泣く泣く語て、ものなど食ひて、その夜は休みて、つとめてとく起きて、手洗ひて、「いつも読み奉る経を読まん」とて、引き開けたれば、あの谷にて、蛇の背に突き立てし刀、この御経に「弘誓深如海」の所に立ちたる見るに、いとあさましなどはおろかなり。 
 + 
 +「こは、この経の、蛇に変じて、われを助けおはしましけり」と思ふに、あはれに、貴くかなし。「いみじ」と思ふことかぎりなし。そのあたりの人々、これを聞きて、見あさみけり。 
 + 
 +今さら申すべきことならねど、観音を頼み奉らんに、その験(しるし)なしといふことは、あるまじきことなり。 
 + 
 +[[uji086|<<PREV]] [[index.html|『宇治拾遺物語』TOP]] [[uji088|NEXT>>]] 
 + 
 +===== 翻刻 ===== 
 + 
 +  いまはむかし鷹をやくにて過る物有けり鷹の放れたるを 
 +  とらんとて飛にしたかひて行ける程にはるかなる山の奥の 
 +  谷のかた岸に高き木のあるに鷹の巣くひたるを見付 
 +  ていみしき事みをきたるとうれしく思て帰てのちいまはよき程に/90オy183 
 + 
 +  成ぬらんとおほゆる程に子をおろさんとて又行てみるにえも 
 +  いはぬ深山のふかき谷のそこゐもしらぬうへにいみしくたかき 
 +  榎の木の枝は谷にさしおほひたるかかみに巣を食て子 
 +  をうみたり鷹巣のめくりにしあくみるにえもいはすめて 
 +  たき鷹にてあれは子もよかるらんと思てよろつもしらすのほるに 
 +  やうやういま巣のもとにのほらんとする程にふまへたる枝おれて谷 
 +  におち入ぬ谷の片岸にさしいてたる木の枝に落かかりて 
 +  その木の枝をとらへてありけれは生たる心ちもせすすへき方 
 +  なし見おろせはそこゐもしらす深き谷也みあくれははる 
 +  かに高き岸なりかきのほるへき方もなし従者ともは谷に 
 +  落入ぬれはうたかひなく死ぬらんとおもふさるにてもいかか 
 +  あるとみんと思て岸のはたへよりてわりなくつまたてておそろ 
 +  しけれとわつかにみおろせはそこゐもしらぬ谷の底に木の葉/90ウy184 
 + 
 +  しけくへたてたる下なれはさらにみゆへきやうもなし目くるめき 
 +  かなしけれはしはしもえみすすへき方なけれはさりとてあるへき 
 +  ならねはみな家に帰りてかうかうといへは妻子ともなきまとへ 
 +  ともかひなしあはぬまても見にゆかまほしけれとさらに 
 +  道もおほえす又おはしたりともそこゐもしらぬ谷底にて 
 +  さはかりのそきよろつにみしかとも見え給はさりきといへは 
 +  まことにさそあるらんと人々もいへはいかすなりぬさて谷には 
 +  すへきかたなくて石のそはの折敷のひろさにてさし出たる 
 +  かたそはに尻をかけて木の枝をとらへてすこしもみしろくへき 
 +  かたなしいささかもはたらかは谷に落入ぬへしいかにもいかにもせん 
 +  方なしかく鷹飼をやくにて世をすくせとおさなくより観 
 +  音経を読たてまつりたもち奉りたりけれは助給へと思入 
 +  てひとへに憑たてまつりて此経をよるひるいくらともなく/91オy185 
 + 
 +  よみたてまつる弘誓深如海とあるわたりをよむ程に谷の底 
 +  のかたより物のそよそよとくる心ちのすれは何にかあらんと思て 
 +  やをらみれはえもいはす大きなる蛇なりけり長さ二丈斗もある 
 +  らんとみゆるかさしにさしてはひくれは我は此蛇にくはれなん 
 +  するなめりとかなしきわさかな観音助給へとこそおもひつれ 
 +  こはいかにしつる事そと思てねんし入てある程にたたきにきて 
 +  我ひさのもとをすくれと我をのまんとさらにせすたた谷より 
 +  うへさまへのほらんとする気色なれはいかかせんたたこれに取付 
 +  たらはのほりなんかしとおもふ心つきて腰の刀をやはらぬきて 
 +  此蛇のせなかにつきたててそれにすかりて蛇の行ままにひか 
 +  れてゆけは谷より岸のうへさまにこそこそとのほりぬその 
 +  おり此男はなれてのくに刀をとらんとすれとつよくつきたてに 
 +  けれはえぬかぬ程にひきはつして背に刀さしなから蛇はこそ/91ウy186 
 + 
 +  ろとわたりてむかひの谷にわたりぬ此男うれしと思ひて 
 +  家へいそきてゆかんとすれと此二三日いささか身をもはたらか 
 +  さす物もくはすすこしたれはかけのやうにやせさらほひつつ 
 +  かつかつとやうやうにして家に行つきぬさて家にはいまはいか 
 +  かせんとて跡とふらふへき経仏のいとなみなとしけるにかくおもひ 
 +  かけすよろほひ来たれはおとろき泣さはくことかきりなし 
 +  かうかうのことともかたりて観音の御たすけとてかくいきたる 
 +  そとあさましりつる事も泣泣かたりて物なくひて 
 +  その夜はやすみてつとめてとくおきて手あらひていつもよみ 
 +  たてまつる経を読んとて引あけたれあの谷にて蛇の背に 
 +  つきたてし刀此御経に弘誓深如海の所に立たみるに 
 +  いとあさましなはおろかなりこは此経の蛇に変て我を 
 +  たすけおはしましけりとおもふにあはれにたうとくかなしいみ/92オy187 
 + 
 +  おもふ事かりなしそのあたりの人々これをききて見あさ 
 +  みけり今さら申へき事ならねと観音をたのみ奉んにその 
 +  しるしなしといふ事はあるましき事也/92ウy188
  
-今さら申すべき事ならねど、観音をたのみ奉んに、そのしるしなしといふ事はあるまじき事也。 
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