text:yomeiuji:uji016
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
両方とも前のリビジョン前のリビジョン次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
text:yomeiuji:uji016 [2017/10/25 20:29] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji016 [2019/12/04 11:28] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
---|---|---|---|
行 5: | 行 5: | ||
**尼、地蔵見奉る事** | **尼、地蔵見奉る事** | ||
+ | |||
+ | ===== 校訂本文 ===== | ||
今は昔、丹後国に老尼ありけり。「地蔵菩薩は暁ごとに歩(あり)き給ふ」といふことを、ほのかに聞きて、暁ごとに、「地蔵見奉らん」とて、ひと世界をまどひ歩くに、博打(ばくち)の、うち呆(ほう)けて居たるが見て、「尼君は寒きに、なにわざし給ふぞ」と言へば、「地蔵菩薩の、暁に歩き給ふなるに、会ひ参らせんとて、かく歩くなり」と言へば、「地蔵の歩かせ給ふ道は、われこそ知りたれ。いざ給へ。会はせ参らせん」と言へば、「あはれ、嬉しきことかな。地蔵の歩かせ給はん所へ、われを率(ゐ)ておはせよ」と言へば、「われに物を得させ給へ。やがて率て奉らん」と言ひければ、「この着たる衣、奉らん」と言へば、「さは、いざ給へ」とて、隣なる所へ率ていく。 | 今は昔、丹後国に老尼ありけり。「地蔵菩薩は暁ごとに歩(あり)き給ふ」といふことを、ほのかに聞きて、暁ごとに、「地蔵見奉らん」とて、ひと世界をまどひ歩くに、博打(ばくち)の、うち呆(ほう)けて居たるが見て、「尼君は寒きに、なにわざし給ふぞ」と言へば、「地蔵菩薩の、暁に歩き給ふなるに、会ひ参らせんとて、かく歩くなり」と言へば、「地蔵の歩かせ給ふ道は、われこそ知りたれ。いざ給へ。会はせ参らせん」と言へば、「あはれ、嬉しきことかな。地蔵の歩かせ給はん所へ、われを率(ゐ)ておはせよ」と言へば、「われに物を得させ給へ。やがて率て奉らん」と言ひければ、「この着たる衣、奉らん」と言へば、「さは、いざ給へ」とて、隣なる所へ率ていく。 | ||
行 12: | 行 14: | ||
尼は、「地蔵、見参らせん」とて居たれば、親どもは心も得ず、「など、『この童を見ん』と思ふらん」と思ふほどに、十ばかりなる童の来たるを、「くは、地蔵よ」と言へば、尼、見るままに、是非も知らず、伏しまろびて、拝み入りて、土にうつぶしたり。 | 尼は、「地蔵、見参らせん」とて居たれば、親どもは心も得ず、「など、『この童を見ん』と思ふらん」と思ふほどに、十ばかりなる童の来たるを、「くは、地蔵よ」と言へば、尼、見るままに、是非も知らず、伏しまろびて、拝み入りて、土にうつぶしたり。 | ||
- | 童、ずはゑを持ちて、遊びけるままに来たりけるが、そのずはゑして、手すさみのやうに額を掻けば、額より顔の上まで裂けぬ。裂けたる中より、えもいはずめでたき地蔵の御顔、見え給ふ。 | + | 童、楚(すはえ)を持ちて遊びけるままに来たりけるが、その楚して、手すさみのやうに額を掻けば、額より顔の上まで裂けぬ。裂けたる中より、えもいはずめでたき地蔵の御顔、見え給ふ。 |
尼、拝み入りて、うち見上げたれば、かくて立ち給へれば、涙を流して、拝み入り参らせて、やがて極楽へ参りにけり。 | 尼、拝み入りて、うち見上げたれば、かくて立ち給へれば、涙を流して、拝み入り参らせて、やがて極楽へ参りにけり。 |
text/yomeiuji/uji016.txt · 最終更新: 2019/12/04 11:28 by Satoshi Nakagawa