text:uchigiki:uchigiki12
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| text:uchigiki:uchigiki12 [2018/05/06 12:58] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:uchigiki:uchigiki12 [2025/12/22 12:28] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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| - | 昔、仏((釈迦))、失せ給はむずるほどに、羅睺羅、「仏の失せはむ、見るに、さらに耐ふべきにあらず。されば、他世界に行きて、かかる悲しびも見じ」とて、十方恒河沙の世界を過ぎて、仏の御国にに参りてあるほどに、仏のたまはく、「なんぢ、父の釈迦牟尼仏失せ給ひなむとす。いかで、その終の臨にはあはで、ここには来たるぞ」とのたまへば、羅睺羅の申さく、「悲しびの堪(た)へがたきに、『さあらむことを見給へず』とて、この世界には詣で来たるなり」と申せば、仏ののたまはく、「いとあやしきことなり。父仏失せ給はむずる時になりて、なんぢを待ち給ふ。すみやかに参りて、最後の臨に見奉れ」とのたまへば、羅睺羅、泣く泣く帰り参り給ふ。 | + | [[uchigiki11|<< |
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| + | 昔、仏((釈迦))、失せ給はむずるほどに、羅睺羅、「仏の失せ給はむ((「失せ給はむ」は底本「失ハム」。誤写とみて補う。))、見るに、さらに耐ふべきにあらず。されば、他世界に行きて、かかる悲しびも見じ」とて、十方恒河沙の世界を過ぎて、仏の御国にに参りてあるほどに、仏のたまはく、「なんぢ、父の釈迦牟尼仏失せ給ひなむとす。いかで、その終の臨にはあはで、ここには来たるぞ」とのたまへば、羅睺羅の申さく、「悲しびの堪(た)へがたきに、『さあらむことを見給へず』とて、この世界には詣で来たるなり」と申せば、仏ののたまはく、「いとあやしきことなり。父仏失せ給はむずる時になりて、なんぢを待ち給ふ。すみやかに参りて、最後の臨に見奉れ」とのたまへば、羅睺羅、泣く泣く帰り参り給ふ。 | ||
| 釈迦仏、「羅睺羅は来(き)ぬや、来ぬや」と御弟子に問ふに、「羅睺羅、参り給ひぬ」と見て、「今は限りにならせ給ひて、待ち奉らせ給ふ」とて、「御傍(かたは)らに参り給へ」と言へば((「と言へば」は底本「ト□ハ」。一字破損。文脈により補う))、参り給へり((「参り給へり」は底本「参ヘリ」。給の脱字とみて補入))。仏羅睺羅の臂(かひな)を取り給ひて、「羅睺羅はわが子なり。十方の仏、愍(あは)れにし給へ」と契り給ひて、絶え入りぬ((「絶え入りぬ」は底本「絶入□ヌ」。一字破損。文脈により補う))。 | 釈迦仏、「羅睺羅は来(き)ぬや、来ぬや」と御弟子に問ふに、「羅睺羅、参り給ひぬ」と見て、「今は限りにならせ給ひて、待ち奉らせ給ふ」とて、「御傍(かたは)らに参り給へ」と言へば((「と言へば」は底本「ト□ハ」。一字破損。文脈により補う))、参り給へり((「参り給へり」は底本「参ヘリ」。給の脱字とみて補入))。仏羅睺羅の臂(かひな)を取り給ひて、「羅睺羅はわが子なり。十方の仏、愍(あは)れにし給へ」と契り給ひて、絶え入りぬ((「絶え入りぬ」は底本「絶入□ヌ」。一字破損。文脈により補う))。 | ||
| これぞ、仏だに子を思ひ給ふ道は、他人には異(こと)なり。まして、われら衆生は、子を思ふに迷はむこと、理(ことわり)なり。 | これぞ、仏だに子を思ひ給ふ道は、他人には異(こと)なり。まして、われら衆生は、子を思ふに迷はむこと、理(ことわり)なり。 | ||
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text/uchigiki/uchigiki12.1525579136.txt.gz · 最終更新: by Satoshi Nakagawa
