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text:towazu:towazu1-43 [2019/04/30 16:23] – 作成 Satoshi Nakagawatext:towazu:towazu1-43 [2019/05/28 23:38] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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-まことや、前斎宮は、嵯峨野の夢の後は御訪れもなければ、御心の内も御心苦しく、「わが道芝(みちしば)も、かれがれならずなど思ふに」とわびしくて、「さても、年をさへ隔て給ふべきか」と申したれば、「げに」とて文あり。「いかなる暇(ひま)にても思し召し立て」など申されたりしを、御養ひ母と聞こえし尼御前、やがて聞かれたりけるとて、参りたれば、いつしかかこち顔なる袖のしがらみせきあへず、「『神よりほかの御よすがなくて』と思ひしに、よしなき夢の迷ひより、御もの思ひのいしいし」と、口説きかけらるるも、わづらはしけれども、「暇しあらばの御使にて参りたる」と答ふれば、「これの御暇は、いつもなにの葦分けかあらむ」など聞こゆるよしを伝へ申せば、「端山(はやま)繁山(しげやま)の中を分けんなどならば、さもあやにくなる心いられもあるべきに、越え((「越え」は底本「こゑ(え歟)」。「ゑ」に「え歟」と傍書。))過ぎたる心地して」と仰せありて、公卿の車を召されて、師走の月のころにや、忍びつつ参らせらる。+まことや、前斎宮は、嵯峨野の夢の後は御訪れもなければ、御心の内も御心苦しく、「わが道芝(みちしば)も、かれがれならずなど思ふに」とわびしくて、「さても、年をさへ隔て給ふべきか」と申したれば、「げに」とて文あり。「いかなる暇(ひま)にても思し召し立て」など申されたりしを、御養ひ母と聞こえし尼御前、やがて聞かれたりけるとて、参りたれば、いつしかかこち顔なる袖のしがらみせきあへず((『拾遺和歌集』恋四 紀貫之「涙川落つる水上早ければせきぞかねつる袖のしがらみ」))、「『神よりほかの御よすがなくて』と思ひしに、よしなき夢の迷ひより、御もの思ひのいしいし」と、口説きかけらるるも、わづらはしけれども、「暇しあらばの御使にて参りたる」と答ふれば、「これの御暇は、いつもなにの葦分けかあらむ」など聞こゆるよしを伝へ申せば、「端山(はやま)繁山(しげやま)の中を分けん((『新古今和歌集』恋一 源重之「筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るには障らざりけり」))などならば、さもあやにくなる心いられもあるべきに、越え((「越え」は底本「こゑ(え歟)」。「ゑ」に「え歟」と傍書。))過ぎたる心地して」と仰せありて、公卿の車を召されて、師走の月のころにや、忍びつつ参らせらる。
  
-道もほど遠ければ、更け過ぐるほどに御渡り、京極面(おもて)の御忍び所も、このごろは春宮の御方になりぬれば、大柳殿の渡殿(わたどの)へ御車を寄せて、昼(ひ)の御座のそばの四間へ入れ参らせ、例の御屏風隔てて御伽(とぎ)に侍れば、見し世の夢の後、かき絶えたる御日数の御恨みなども、ことわりに聞こえしほどに、明け行く鐘に音(ね)を添へて、まかり出で給ひし後朝(きぬぎぬ)の御袖は、よそも露けくぞ見え給ひし。+道もほど遠ければ、更け過ぐるほどに御渡り、京極面(おもて)の御忍び所も、このごろは春宮の御方になりぬれば、大柳殿の渡殿(わたどの)へ御車を寄せて、昼(ひ)の御座(おまし)のそばの四間へ入れ参らせ、例の御屏風隔てて御伽(とぎ)に侍れば、見し世の夢の後、かき絶えたる御日数の御恨みなども、ことわりに聞こえしほどに、明け行く鐘に音(ね)を添へて、まかり出で給ひし後朝(きぬぎぬ)の御袖は、よそも露けくぞ見え給ひし。
  
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text/towazu/towazu1-43.1556609004.txt.gz · 最終更新: 2019/04/30 16:23 by Satoshi Nakagawa