沙石集
巻7第13話(90) 僻事は即ち酬ふ事
校訂本文
ある俗士の下人、主(しう)の親しき人の下人の、乗りよき馬を持ちたるを、欲しく思ひけるままに、同礼1)を語らひて、野中にて、夜陰に馬より引き落して、縄をつく。「これはいかに」と言へば、「主の仰せなり。御勘当にて、頸切れといふことなり」と言ふ。「僻事(ひがごと)にこそ。身にあやまちなきものを」と言へども、やがて切るべきにて、最後の十念勧めければ、念仏二・三十遍申しける時、頸を打つ。打ち伏せて、「切りおほせつ」と思ひて、かの馬取りて返りぬ。
この男、打ち伏せられて、絶入したりけるが、生き上がりて、頭をさぐれば、いただきをば打ち欠きたれども、別のことなし。縄付きながら、主のもとへ走り行きて、「しかじか」と申しれば、やがて、親しきあたりなれば、件(くだん)の子細、申しやる。
夜の中に、二人の奴ばらからめて問ふに、少しものびず。「別の子細あるまじ、件の男をもつて、かの野の中にて切らすべし」とて、二人、一度に切られけり。夜前の悪行、次の朝に報ひてけり。ことに因果の報ひたがはず。
鎌倉にも、文永年中、頸をはねられしが、武士の中に一人、去年二月十八日申時に、咎(とが)なき者の頸を切りて、かれが恨み憤り申しける思ひの報ひにや、次の年、同月同日同時に切られけるとこそ申し侍れ。
これほどのことは、申すに及ばず。報ふべき道理をば、深く信ずべし。やがて報はねば、「つひに咎なかるべし」なんど思ふべからず。前世の罪をも懺悔すべし。今さらまた造ることなかれ。
ある修行者、法師二人、同じ齢(よはひ)、姿おほかた似たりけるが、道に行き連れ、あひ語らひて修行しけるに、ある郷に泊まりぬ。一人の法師、夜更けて、ひそかに家主(いへあるじ)に言ひけるは、「これに候ふ法師は、由緒ありて、召し使ふべき者にて候ふ。時に売り候ふべし。買はせ給へ」と約束して、すでに値(あたひ)定めつ。
この一人の法師、このことを、壁を隔てて聞きてけり。「不思議のことなり」と思ひて、この法師が寝入りたる隙(ひま)を伺ひて、内に入りて、夜部(よべ)申し候ひし値、給はり候はん。忙しく候ふ。この法師は、これに寝られ候ふなり」とて、値取りて、つき出でて去りぬ。
この法師、目覚めて見れば、一人の法師なし。さて、支度相違して、かへりて売られて、責め使はれけり。
よしなく人を狂惑せんとして、わが身をわづらはす、因果の道理たがはず。これ古人のいはく、「人を謗りては、おのれが過(とが)を思ひ、人を危ぶめては、おのれが落ちんことを思へ」と言へり。まことなるかな。人を売らんとしては、おのれが売られんことを思ふべかりけるにや。
翻刻
僻事者即酬事 或俗士ノ下人主ノ親キ人ノ下人ノ乗ヨキ馬ヲモチタルヲホ シク思ケルママニ同礼ヲ語ラヒテ野中ニテ夜陰ニ馬ヨリ引落 シテ縄ヲツクコレハ何ニト云ヘハ主ノ仰也御勘当ニテ頸切レト 云事也ト云僻事ニコソ身ニアヤマチナキ物ヲトイヘトモヤカテ 切ルヘキニテ最後ノ十念ススメケレハ念仏二三十遍申ケル/k7-280l
時頸ヲ打ツ打フセテ切オホセツト思テカノ馬トリテ返ヌコノ 男ウチ臥セラレテ絶入シタリケルカイキアカリテ頭ヲサクレハイタ タキヲハ打カキタレトモ別ノ事ナシ縄ツキナカラ主ノ許ヘ走行 テシカシカト申ケレハヤカテ親キアタリナレハ件ノ子細申ヤル夜 ノ中ニ二人ノヤツハラカラメテトフニスコシモノヒス別ノ子細ア ルマシ件ノ男ヲ以カノ野ノ中ニテ切スヘシトテ二人一度ニキ ラレケリ夜前ノ悪行次ノ朝ニ報ヒテケリコトニ因果ノ報ヒタ カハス鎌倉ニモ文永年中頸ヲハネラレシカ武士ノ中ニ一人 去年二月十八日申時ニトカナキ者ノ頸ヲ切テカレカウラミ イキトホリ申ケル思ノ報ヒニヤ次ノ年同月同日同時ニキラレ ケルトコソ申侍レ是程ノ事ハ申ニ不及ムクフヘキ道理ヲハフカ ク信スヘシヤカテムクハネハツヰニトカナカルヘシナント思フヘカラ/k7-281r
ス前世ノ罪ヲモ懺悔スヘシ今更又造事ナカレ或修行者法師 二人同ヨハヒスカタ大方似タリケルカ道ニ行連アヒカタラヒ テ修行シケルニ或郷ニトマリヌ一人ノ法師夜フケテヒソカニ 家主ニ云ケルハコレニ候法師ハ由緒有テメシツカフヘキ者ニ テ候時ニウリ候ヘシカハセ給ヘト約束シテ既ニアタヒサタメツ此 一人ノ法師此事ヲ壁ヲヘタテテ聞テケリ不思議ノ事也ト 思テ此法師カ寝入タル隙ヲ伺テ内ニ入テ夜部申候シアタ ヒ給ハリ候ハンイソカシク候此法師ハ是ニネラレ候也トテアタ ヒトリテツキ出テテサリヌ此法師目サメテ見レハ一人ノ法師 ナシサテ支度相違シテカヘリテウラレテセメツカハレケリヨシナク 人ヲ狂惑セントシテ我身ヲワツラハス因果ノ道理タカハス此古 人ノ云ク人ヲソシリテハヲノレカトカヲ思ヒ人ヲアヤフメテハヲ/k7-281l
ノレカオチン事ヲオモヘトイヘリ誠ナル哉人ヲウラントシテハヲノレ カウラレン事ヲ思フヘカリケルニヤ/k7-282r