沙石集
巻5第5話(41) 学生の怨み解くる事
校訂本文
三井寺1)に、若き倶舎学生の、器量も同じほどにて、知音なるありけり。ある時、少事によりて、一人を恥ぢがましく、悪口したりけるを、本意なく思ひつめて、便宜(びんぎ)をうかがひて、太刀を抜きて走りかかりけるを、少しも騒がずして、うち笑ひて、「これは何事ぞ」と言へば、「一日、悪口したりしためし、立てんずるぞかし」と言ひけるを、「御房は学生と思たれば2)、無下なりけり。そのことは、その座に落謝せしは。今いづくにかある」と言ひける時、「げにや御房、なきぞかし」とて、太刀をさして、連れて行きけるこそ、学解なれども、有為の法の念々に滅して、しばらくも留まらざる道理を、よくよく学し信じたるゆゑに、怨みの心もとけにける。仏法の利益、めでたくこそ。
昔、漢土に国王ありて、「天下の智者を試みん」とて、百人の高僧を内裏へ請じて、武士を数百騎隠し置きて、百僧をにはかに殺害すべき体にて囲みければ、みな慌て騒ぎて、四方へ逃げ去るに、一人の僧、少しも騒がずして、厳然として座す。さて、事の色ばかりにてやみぬ。
王、この僧に問はく、「余の僧みな恐れ去る。和尚一人、何ぞ恐れざる」と。僧のいはく、「生まるるより念々に死す。何ぞ始めて驚かん」と。ここに王、この僧を、「智者なり」とて、あがめて、国師とせられけり。
われらが無始の妄想(まうざう)、顛倒(てんだう)の愚かなる心には、この身も、依報の山河・大地・屋宅・什物も、「昔の物、変らぬ3)」と思へども、刹那刹那に生滅して、先の物は滅して、新しく生ずるなり。業因縁によりて、相続して有るべきほど有りて、尽くべき時は尽くるなり。油のあるほど灯はあれども、刹那々々に火消えて、油の力にて、また生じ、また生じ継ぐなり。水の流れも同じ。有るに似たれども、もとの水はしばらくも留まらざるがごとし。
されば、孔子の言にも、「われ終日(ひめもす)に臂を交へたるほど、顔回か新たなるを見る」と云ふ。心は、「念々に先の身は滅するゆゑに、顔回が新たなる身を見る」と言ふなり。古人いはく、「紅顔自在童子時。白髪今在老体身。(紅顔はおのづから童子時に在り。白髪は今老体の身に在り。)」と言ひて、若き時の色形は、その時失せぬ。老体の身は、今新たに得たり。
昔、梵志(ぼんじ)ありて、若くして他国へ行きて、年たけて後、古郷へ帰る。里の人、「昔の人の来たれるや」と言へば、梵志、「われは昔の人に似たり。昔の人にあらず」と答ふ。まことに、年月の去ることをば知りて、年にしたがひて昔の身の去ることを人知らず。
昔、道林禅師、秦望山の長松の上に居(ご)す。時の人、これを鳥窠4)和尚5)と名付く。白居易侍郎、その国に下りし時、行きて、問ひていはく、「禅師の居所、危ふくこそ」と。師のいはく、「われに何の危ふきことかあらん。侍郎が危ふきこと、これよりもはなはだし」と言ふ。侍郎いはく、「某し江山を司る。何の危ふきことかあらん」。師いはく、「薪火相交はり、識性(しきしやう)とどまらず。何の危ふきことなからん」。侍郎がいはく、「いかなるか、仏法の大意」。師のいはく、「諸悪莫作(しよあくまくさ)。衆善奉行(しゆぜんぶぎやう)」と。侍郎いはく、「三歳の孩児(がいじ)も、かくのごとく言ふことを知れり」と。師いはく、三歳の孩児も言ふことを得れども、八十の老翁も行ずることを得ず」と言へり。まことなるかな、この語は。
諸悪莫作の教へにたがふは、真の仏法にあらずといふこと、先徳の口伝なり。七仏の通戒なり。仏子としてこれを信ぜず、行ぜざらんや。諸悪莫作とは、ただ悪を作らざるのみにあらず。有相の善をもなすことなかれとなり。衆善奉行とは、終日に善を行ずれども、不行して、不行の処にも住せざるなり。
天台6)いはく、「真の無生の人は、福すらなほなさず。いかにいはんや罪をや」と。いにしへの大賢、子を誡(いまし)めていはく、「慎みて善をなすことなかれ」。子のいはく、「むしろ悪をなすべきをや」と。父のいはく、「善すらなすべからず。いはんや悪をや」。これ、諸教の大意、賢聖(げんじやう)の通儀なり。
鳥窠和尚の言に、「薪火相交、識性不停。(薪火相交はり、識性停まらず。)」とは、薪は六境に似たり。火を六根のごとし。心境相対して、念々に相続して有るに似たれども、刹那刹那に落謝して、火と薪と共に7)消えて、しばらくも留まらざるかごとし。身心の危うきを知らざることを示すにこそ。
三井寺の学生の法門、孔子の心に似たり。無常の理(ことわり)、よくよく心を留むべし。仏法に入る方便多けれども、無常を知る至要なり。
智者大師8)の釈にいはく、「智解溢胸、精進滅火、不悟無常。諺云、可怜無五媚。(智解胸に溢ち、精進火を滅すとも、無常を悟らず。諺に云く、五媚無きを怜むべし)」云々。無常を知る、道心の色と言へり。常に心にかけて、執心を除き、妄情を忘れて、無心の道に入り、無我の理を悟るべし。
翻刻
学生之怨解事 三井寺ニ若キ倶舎学生ノ器量モ同程ニテ知音ナルアリケリ 或時少事ニヨリテ一人ヲ恥カマシク悪口シタリケルヲ本意ナ ク思ツメテ便宜ヲウカカヒテ太刀ヲ抜テ走リカカリケルヲ少モ サハカスシテ打ワラヒテコレハ何コトソト云ヘハ一日悪口シタリシ タメシタテンスルソカシト云ケルヲ御房ハ学生ト思タレ無下也 ケリ其ノ事ハ其座ニ落謝セシハ今イツクニカ有ト云ケル時ケニ ヤ御房無キソカシトテ太刀ヲサシテツレテ行キケルコソ学解ナ レトモ有為ノ法ノ念々ニ滅シテ暫クモ留マラサル道理ヲ能々 学シ信シタルユヘニ怨ノ心モトケニケル仏法ノ利益目出クコ ソ昔シ漢土ニ国王アリテ天下ノ智者ヲ試ミントテ百人ノ高/k5-166r
僧ヲ内裏ヘ請シテ武士ヲ数百騎カクシヲキテ百僧ヲ俄ニ殺害 スヘキ体ニテカコミケレハ皆アハテサワキテ四方ヘニケサルニ一 人ノ僧少モサワカスシテ儼然トシテ坐スサテ事ノ色計ニテヤミヌ王 此僧ニ問ハク餘ノ僧ミナ恐レ去ル和尚一人何ソ恐レサルト 僧ノイハク生ルルヨリ念々ニ死ス何ソ始テヲトロカント爰ニ王 此僧ヲ智者也トテアカメテ国師トセラレケリ我等ガ無始ノ妄 想顛倒ノ愚ナル心ニハ此身モ依報ノ山河大地屋宅什物 モ昔ノ物カワラメト思ヘトモ刹那刹那ニ生滅シテ先ノ物ハ滅シテ 新シク生スルナリ業因縁ニヨリテ相続シテ有ヘキ程アリテツクヘ キ時ハ尽ルナリ油ノアルホト燈ハアレトモ刹那々々ニ火消テア フラノ力ニテ又生シ又生シツクナリ水ノ流モ同シ有ニ似タレト モ本ノ水ハ暫モトトマラサルカ如シサレハ孔子ノ言ニモ我終日/k5-166l
スニ交タルホト臂ヲ見ルト顔回カ新ナルヲ云フ心ハ念々ニ先 ノ身ハ滅スル故ニ顔回カ新ナル身ヲ見ルト云ナリ古人云紅 顔自在童子時白髪今在老体身云テ若キ時ノ色形ハ其 ノ時失ヌ老体ノ身ハ今新タニエタリ昔シ梵志アリテ若シテ他 国ヘ行テ年タケテ後古郷ヘ帰ル里ノ人ムカシノ人ノ来レルヤ ト云ハ梵志我ハムカシノ人ニ似リムカシノ人ニ非ト答フ誠ニ 年月ノ去ル事ヲハシリテ年ニ随ヒテ昔ノ身ノサルコトヲ人シラ スムカシ道林禅師秦望山ノ長松ノ上ニ居ス時ノ人是ヲ鳥 窠和尚ト名ク白居易侍郎ソノ国ニ下シ時行テ問テイハク禅 師ノ居所危クコソト師ノ云我ニ何ノ危キ事カアラン侍郎カ 危キ事此ヨリモ甚シトイフ侍郎イハク某シ江山ヲツカサトル何 ノ危キ事カアラン師云薪火相交ハリ識性不停マラ何ノ危キ/k5-167r
事ナカラン侍郎カイハクイカナルカ仏法ノ大意師ノイハク諸悪 莫作衆善奉行ト侍郎云三歳ノ孩児モ如此イフ事ヲ知レ リト師云三歳ノ孩児モ云コトヲウレトモ八十ノ老翁モ行ス ル事ヲヱストイヘリ誠哉此ノ語ハ諸悪莫作ノ教ニタカフハ真 ノ仏法ニ非スト云コト先徳ノ口伝也七仏ノ通戒也仏子 トシテ是ヲ信セス行セサランヤ諸悪莫作ト者只悪ヲツクラサル ノミニ非ス有相ノ善ヲモ作ス事ナカレト也衆善奉行ト者終 日ニ善ヲ行スレトモ不行シテ不行ノ処ニモ住セサル也天台云 真ノ無生ノ人ハ福スラ猶ナサス何ニ況ヤ罪ヲヤト古ノ大賢 子ヲ誡テイハク慎テ善ヲ作コトナカレ子ノイハク寧ロ悪ヲ作 スヘキヲヤト父ノ云善スラ作スヘカラス況ヤ悪ヲヤ是諸教ノ大 意賢聖ノ通儀ナリ鳥窠和尚ノ言ニ薪火相交識性不停/k5-167l
ト者薪ハ六境ニ似タリ火ヲ六根ノ如シ心境相対シテ念々ニ 相続シテ有ニ似タレトモ刹那々々ニ落謝シテ火ト薪ト其ニ消テ 暫モ留ラサルカコトシ身心ノ危ウキヲシラサル事ヲ示スニコソ 三井寺ノ学生ノ法門孔子ノ心ニニタリ無常ノ理リヨクヨク 心ヲ留ムヘシ仏法ニ入ル方便多ケレトモ無常ヲ知ル至要也 智者大師釈云智解溢胸精進滅火不悟無常諺云可怜 無五媚云云無常ヲ知ル道心ノ色トイヘリ常ニ心ニカケテ執心 ヲノソキ妄情ヲワスレテ無心ノ道ニ入リ無我ノ理ヲサトルヘシ/k5-168r