沙石集
巻1第4話(4) 神明、慈悲を貴み給ふ事
校訂本文
和州1)の三輪の上人、常観房と申ししは、慈悲ある人にて、密宗を旨(むね)として、結縁(けちえん)のために、あまねく真言を人に授けられけり。
ある時、ただ一人吉野へ詣でられける道のほとりに、幼き者両三人、並び居て、さめざめと泣きければ、何となくあはれに思えて、「何事に泣くぞ」と問ふに、十二・三ばかりなる女子、申しけるは、「母にて候ふ者、悪(わろ)き病をして、死して侍るが、父は遠く歩(ある)きて候はず、人はいぶせきことに思ひて、見弔(とぶら)ふ者もなし。わが身は女子なり。弟(おとと)どもはいふかひなく児(をさな)く候ふ。ただ、悲しさのあまりに、泣くよりほかのこと侍らず2)」とて、涙もかきあへず。
「まことに、心の中さこそ」と、あはれに思えければ、今度の物詣(ものまうで)を止まりて、これを見助けて、「いつにても、また参りなん」と思ひて、便宜(びんぎ)近き野辺へ持(も)て捨てつつ、陀羅尼なんど唱へて弔(とぶら)ひて、「さて、三輪の方(かた)へ帰らん」とすれば、身すくみてはたらかれず。「あはれ、思ひつることよ。垂迹の前は厳しきことと知りながら、かかることをしつる時に、神罰にこそ」と、大きに驚き思ひながら、こころみに吉野の方へ向ひて歩めば、少しもわづらひなかりけり。
その時こそ、「さては、『参れ』と思し召したるにや』と、心とりのべて参詣するに、別のわづらひなし。
さて、恐れもあれば、御殿よりはるかなる木の下にて、念誦し、法施(ほつせ)奉るに、折節、巫(かんなぎ)神憑きて、舞ひ踊りけるが、走り出でて、「あの御房はいかに」とて来たりけり。「あら、あさまし。これまでも参るまじかりけるに、御とがめにや」と、胸うち騒ぎて、恐れ思ひけるほどに、近付き寄りて、「いかに御房、このほど待ち入りたれば、遅くはおはするぞ。われは物をば忌まぬぞ。慈悲こそ貴(たと)けれ」とて、袖を引きて、拝殿へ具しておはしける。上人、あまりにかたじけなく、貴(たと)く思えければ、墨染の袖しぼるばかりなり。さて、法門なと申し承りて、泣く泣く下向してけり。
そのかみ、恵心僧都3)の参詣せられたりけるにも、御託宣ありて、法門なんど仰せられければ、めでたくありがたく思えて、天台の法門、不審申されけるに、明らかに答へ給ふ。さて次第にとり入りて、宗の大事を問ひ申されける時、この巫(かんなぎ)、柱に立ち添ひて、足をよりて、ほけほけと物思ふ姿にて、「あまりに和光同塵が久しくなりて、忘れたるぞ」と仰せられけるこそ、なかなかあはれに思えし。
東大寺の石聖経住が、「われは観音の化身なり」と名乗れども、人信ぜぬままに、おびたたしく誓状するを、ある人、「観音の化身と名乗るを人信ぜすは、神通なんどを現じて見せよかし。誓状こそ無下におめたれ」と言ひければ、「あまりに久しく現ぜで、神通も忘れて侍るものをや」と言ひける。思ひ合はせられて、をかしくこそ。
末代は、時にしがふ振舞ひにて、権者も分きがたかるべし。「牛羊(ごやう)の眼をもて、衆生を評量せざれ」と言へり。まことには知りがたかるべし。
尾張国熱田4)の神官の語りしは、性蓮房といふ上人、母の骨を持ちて、高野へ参りけるついでに、社頭に宿せんとす。人、みな知りて、宿(やど)貸す者なかりければ、太宮の南の門の脇に参籠したりける夜、大宮司の夢に、大明神の御使とて、神官一人来て、「今夜、大事の客人を得たり。よくよくもてなせと仰せにて候ふ」と言ふと見て、夢覚めて、使者を社壇へ参らせて、「通夜したる人ある」と尋ぬるに、この性蓮房のほか人なし。使者、帰りて、このよしを申す。「さては」とて、この僧を請ずるに、「母の骨を持ちて候へば、え参らじ」と申しけるを、「大明神の御下にては、万事神慮を仰ぎ奉ることにて侍り。今夜、かかる示現を蒙りぬる上は、私(わたくし)に忌み参らするに及ばず」とて請じて、さまざまにもてなして、馬・鞍・用途なんど沙汰して、高野へ送りける。無下に近きことになん。
また、去んぬる承久の乱の時、当国の住人、おそれて社頭に集まり、築垣(ついがき)の内に、世間の資材雑具まで用意して、所もなく集まり居たる中に、あるいは親におくれたるもあり、あるいは産屋(うぶや)なる者もあり。神官ども、制しかねて、「大明神をおろし参らせて、御託宣を仰ぐべし」とて、御神楽(みかぐら)参らせて、諸人同心に祈請しけるに、一人の禰宜に託して、「われ、天よりこの国へ下ることは、万人をはぐくみ助けんためなり。折にこそよれ、忌むまじきぞ」と仰せられければ、諸人、一同に声をあげて、随喜渇仰の涙を流しけり。その時の人、今にありて語り侍る。
されば、神明の御心は、いづれも変らぬにこそ。ただ心清くは身も汚(けが)れじかし。
日吉5)へも、ある遁世者、死人を持ち孝養して、やがて参りけるを、神人制しければ、御託宣ありて、御免しありけりと言へり。
翻刻
和州ノ三輪ノ上人常観房ト申シハ慈悲有人ニテ密宗ヲ旨 トシテ結縁ノタメニアマネク真言ヲ人ニサツケラレケリ或時只一 人吉野ヘ詣ラレケル路ノホトリニオサナキ者両三人ナラヒ居テ サメサメトナキケレハナニトナク哀ニ覚テ何事ニナクソト問ニ十二 三計ナル女子申ケルハ母ニテ候者ワロキ病ヲシテ死シテ侍カ父 ハ遠クアルキテ候ハス人ハイフセキ事ニ思テミトフラフ者モナシ我/k1-11l
身ハ女子也ヲトト共ハ云カヒナク児ク候只悲サノアマリニナクヨ リ外ノ事侍ラハストテナミタモカキアヘス誠ニ心ノ中サコソト哀ニ 覚ケレハ今度ノ物詣ヲトマリテコレヲ見助テイツニテモ又参ナン ト思テ便宜チカキ野辺ヘモテステツツ陀羅尼ナント唱テトフ ラヒテサテ三輪ノカタヘ帰ラントスレハ身スクミテハタラカレスアハ レ思ツル事ヨ垂跡ノ前ハキヒシキ事ト知ナカラカカル事ヲシツル 時ニ神罰ニコソト大キニ驚キ思ヒナカラココロミニ吉野ノ方ヘ ムカヒテアユメハ少シモワツラヒナカリケリソノ時コソサテハマイレト 思食タルニヤト心トリノヘテ参詣スルニ別ノワツラヒナシサテ恐 モアレハ御殿ヨリハルカナル木ノ下ニテ念誦シ法施タテマツルニ 折節カンナキ神ツキテ舞ヲトリケルカ走出テアノ御房ハイカニト テキタリケリアラ浅猿コレマテモ参マシカリケルニ御トカメニヤトム/k1-12r
ネウチサハキテ恐オモヒケル程ニチカツキヨリテ何ニ御房此ホト待 入タレハヲソクハオハスルソ我ハ物ヲハイマヌソ慈悲コソタトケレト テ袖ヲヒキテ拝殿ヘ具シテオハシケル上人アマリニカタシケナクタト ク覚ケレハ墨染ノ袖シホルハカリ也サテ法門ナト申承テナクナク 下向シテケリソノカミ慧心僧都ノ参詣セラレタリケルニモ御託 宣有テ法門ナント仰ラレケレハ目出クアリカタク覚テ天台ノ法 門不審申サレケルニ明ニコタヘ給フサテ次第ニトリ入テ宗ノ大 事ヲ問申サレケル時此カンナキ柱ニタチソヒテ足ヲヨリテホケホケ ト物思スカタニテアマリニ和光同塵カヒサシク成テワスレタルソト 仰ラレケルコソ中々哀ニ覚シ東大寺ノ石ヒシリ経住カ我ハ観 音ノ化身也トナノレトモ人信セヌママニオヒタタシク誓状スルヲ 或人観音ノ化身トナノルヲ人信セスハ神通ナントヲ現シテミセ/k1-12l
ヨカシ誓状コソ無下ニオメタレトイヒケレハアマリニヒサシク現セ テ神通モワスレテ侍モノヲヤトイヒケル思アハセラレテオカシクコソ 末代ハ時ニシタカフフルマヒニテ権者モワキカタカルヘシ牛羊ノ 眼ヲモテ衆生ヲ評量セサレトイヘリ誠ニハ知カタカルヘシ 一 尾張国熱田ノ神官ノカタリシハ性蓮房ト云上人 母ノ骨ヲモチテ高野ヘマイリケル次ニ社頭ニ宿セントス人皆 シリテヤトカス者ナカリケレハ太宮ノ南ノ門ノ脇ニ参籠シタリ ケル夜大宮司ノ夢ニ大明神ノ御使トテ神官一人来テ今 夜大事ノ客人ヲエタリ能々モテナセト仰ニテ候トイフトミテ 夢サメテ使者ヲ社壇ヘマイラセテ通夜シタル人有トタツヌルニ 此性蓮房ノ外人ナシ使者帰テコノヨシヲ申スサテハトテコノ 僧ヲ請スルニ母ノ骨ヲモチテ候ヘハエマイラシト申ケルヲ大明/k1-13r
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