text:sesuisho:n_sesuisho8-129
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text:sesuisho:n_sesuisho8-129 [2023/01/11 22:26] – 削除 Satoshi Nakagawa | text:sesuisho:n_sesuisho8-129 [2023/01/11 22:36] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa | ||
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+ | [[index.html|醒睡笑]] 巻8 秀句 | ||
+ | ====== 15 世の中はいづくにいかなる者が親類にあらんも知らぬなど語る・・・ ====== | ||
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+ | ===== 校訂本文 ===== | ||
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+ | 「世の中は、いづくにいかなる((「いかなる」は底本「いかるゝ」。諸本により訂正。))者が親類にあらんも知らぬ」など語るついで、「げにも、鵐(しとど)と烏(からす)が親子にてあることを((「ことを」は底本「中を」。諸本により訂正。))、このほど知りたるは」と言ふ。「これは以外なる僻事(ひがごと)にてあらう」と。「いや、しかとまことや。よそまでもない。われが直(ぢき)に聞いた。この十日ばかりさき、庭へ烏おりて遊びゐければ、鵐も来たり。また堂鳩も飛び来たる。三鳥寄り合ひたるに、鵐、烏に向かひ、『父(ちち)、父(ちち)』と言ふ。烏、嬉しげにて、『子か、子か』と呼ぶ。堂鳩、証拠にたちて、『うほ、うほ』と答へたれば、まぎれもなき親子ではないか」。 | ||
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+ | 世中の親に孝ある人はただ何につけてもたのもしきかな | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | 一 世中はいつくにいかるるものか親類にあらん | ||
+ | もしらぬなどかたる次てけにも鵐(しとと)と烏か親子 | ||
+ | にてある中を此程しりたるはといふこれは以 | ||
+ | 外なる僻事にてあらふといやしかと実やよそ/n8-49r | ||
+ | |||
+ | まてもないわれか直にきいた此十日斗さき | ||
+ | 庭へ烏おりてあそひゐけれは鵐もきたり | ||
+ | 又堂鳩も飛来る三鳥よりあひたるに鵐烏 | ||
+ | にむかひ父父といふ烏嬉しげにて子か子かと | ||
+ | よふ堂鳩証拠にたちてうほうほとこたへた | ||
+ | れはまきれもなき親子ではないか | ||
+ | 世中の親に孝ある人はたた | ||
+ | なににつけてもたのもしきかな/n8-49l | ||
text/sesuisho/n_sesuisho8-129.1673443606.txt.gz · 最終更新: 2023/01/11 22:26 by Satoshi Nakagawa