text:sesuisho:n_sesuisho8-129
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text:sesuisho:n_sesuisho8-129 [2023/01/11 22:17] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:sesuisho:n_sesuisho8-129 [2023/01/11 22:36] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa | ||
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[[index.html|醒睡笑]] 巻8 秀句 | [[index.html|醒睡笑]] 巻8 秀句 | ||
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- | 義政将軍((足利義政))の御前に、同朋万阿弥(どうぼうまんあみ)((「万阿弥」は底本「方阿弥」。後に万阿弥とあるため訂正。))罷り居たる時、作意を御覧ぜんとや思し召されけん、尺八を投げ出だし、「それそれ車が行く」と仰せければ、万阿弥急ぎ立ち、ちやくと抑へざまに「うしなうては((失うては・牛無うては))ならまい」と取りて懐に入れしも。 | + | 「世の中は、いづくにいかなる((「いかなる」は底本「いかるゝ」。諸本により訂正。))者が親類にあらんも知らぬ」など語るついで、「げにも、鵐(しとど)と烏(からす)が親子にてあることを((「ことを」は底本「中を」。諸本により訂正。))、このほど知りたるは」と言ふ。「これは以外なる僻事(ひがごと)にてあらう」と。「いや、しかとまことや。よそまでもない。われが直(ぢき)に聞いた。この十日ばかりさき、庭へ烏おりて遊びゐければ、鵐も来たり。また堂鳩も飛び来たる。三鳥寄り合ひたるに、鵐、烏に向かひ、『父(ちち)、父(ちち)』と言ふ。烏、嬉しげにて、『子か、子か』と呼ぶ。堂鳩、証拠にたちて、『うほ、うほ』と答へたれば、まぎれもなき親子ではないか」。 |
- | [[n_sesuisho8-127|<< | + | 世中の親に孝ある人はただ何につけてもたのもしきかな |
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===== 翻刻 ===== | ===== 翻刻 ===== | ||
- | 一 義政将軍の御前に同朋方阿弥罷居た | + | 一 世中はいつくにいかるるものか親類にあらん |
- | る時作意を御覧せんとやおぼしめされけん | + | もしらぬなどかたる次てけにも鵐(しとと)と烏か親子 |
- | 尺八をなげ出しそれそれ車がゆくと仰けれ | + | にてある中を此程しりたるはといふこれは以 |
- | は万阿弥いそき立ちやくとをさへさまにうし | + | 外なる僻事にてあらふといやしかと実やよそ/n8-49r |
- | なふてはならまいととりて懐にいれしも/n8-49r | + | |
+ | まてもないわれか直にきいた此十日斗さき | ||
+ | 庭へ烏おりてあそひゐけれは鵐もきたり | ||
+ | 又堂鳩も飛来る三鳥よりあひたるに鵐烏 | ||
+ | にむかひ父父といふ烏嬉しげにて子か子かと | ||
+ | よふ堂鳩証拠にたちてうほうほとこたへた | ||
+ | れはまきれもなき親子ではないか | ||
+ | 世中の親に孝ある人はたた | ||
+ | なににつけてもたのもしきかな/n8-49l | ||
text/sesuisho/n_sesuisho8-129.1673443022.txt.gz · 最終更新: 2023/01/11 22:17 by Satoshi Nakagawa