text:senjusho:m_senjusho03-05
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text:senjusho:m_senjusho03-05 [2016/05/28 22:05] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:senjusho:m_senjusho03-05 [2016/05/28 22:15] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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法滅の道心、あはれにも、かしこくも侍るかな。悲しきかな、仮の世、あだなる身を知らずして、いつとなく我執をのみ横たへて、果てには寺をさへ滅ぼし侍らんことと。名を釈子に借り、姿を沙門になして、さきらをみがく人だにも、憂き世の中の習ひにて、戦陣の企て((「企て」は底本「余」。諸本により訂正))あり。まして、法文の至理をわきまへ侍らぬ人の、心まかせに振舞ひ侍らんは、理(ことはり)にぞ侍るべき。ただ、げにもひたすら思ひ離れずは、この苦はいまだはれじと、なほなほかしこく侍り。 | 法滅の道心、あはれにも、かしこくも侍るかな。悲しきかな、仮の世、あだなる身を知らずして、いつとなく我執をのみ横たへて、果てには寺をさへ滅ぼし侍らんことと。名を釈子に借り、姿を沙門になして、さきらをみがく人だにも、憂き世の中の習ひにて、戦陣の企て((「企て」は底本「余」。諸本により訂正))あり。まして、法文の至理をわきまへ侍らぬ人の、心まかせに振舞ひ侍らんは、理(ことはり)にぞ侍るべき。ただ、げにもひたすら思ひ離れずは、この苦はいまだはれじと、なほなほかしこく侍り。 | ||
- | そもそも、人の身にきはまりて苦しきは恨みなり。恨みは何より起るぞ。世にあるより起るものにこそ。世にあればこそ、望みはあれ。望みあればこそ、恨みはあれ。恨みあればぞ、瞋恨する。瞋恨すれはぞ戦場する。 | + | そもそも、人の身にきはまりて苦しきは恨みなり。恨みは何より起るぞ。世にあるより起るものにこそ。世にあればこそ、望みはあれ。望みあればこそ、恨みはあれ。恨みあればぞ、瞋恨する。瞋恨すれはぞ、戦場する。 |
されば、心と苦を受けて、作り病せるは、これ世にある人にこそ。 | されば、心と苦を受けて、作り病せるは、これ世にある人にこそ。 |
text/senjusho/m_senjusho03-05.txt · 最終更新: 2016/05/29 16:13 by Satoshi Nakagawa