目次
中巻 8 小野朝臣庭麿
校訂本文
越前国加賀郡に浪人(うかれびと)1)のことを執り行ふ長をさ2)あり。外の国より来たれる人あれば、その名を尋ね注(しる)して、雑役(ざふやく)におほせて、駆り使ひ、調庸(てうよう)を附け徴(はた)る。その時に、京(みやこ)の人小野朝臣庭麿(おののあそんにはまろ)3)といふ人、優婆塞(うばそく)となりて、つねに千手の呪を誦持(ずぢ)す。
この郡にめぐり来たりて、山々を踏み通り歩(あり)くに、神護景雲三年歳次己酉春三月二十六日の午時(うしのとき)に、その郡の御馬河(みまがは)のもとにして、かの長(をさ)、行者に会ひて問ふ、「なんぢは何人(なにびと)ぞ」。答ふ、「われは修行者なり。世に経(ふ)る人にもあらず」と答ふ。長、怒りて、「なんぢが形はなほ俗なり。隣の国よりうかれてこの国に来たれり。何ぞ公務にて行ひしには従はずして、調庸をもわきまへぬぞ」とせためて、縛り打ちて追ひ使ふ。
この時に修行者の云はく、「衣(きぬ)の蟣(しらみ)は頭に上れば黒くなる。頭の蟣も衣に下れば白くなりぬ。虫もすみかにしたがひてその色をあらはせば、法(のり)持つ所にしたがひて、その形をあらはすべきものなり。われ、頂(いただき)に多羅尼(だらに)4)をいただき、背に千手経を負ひ奉れり。『この法(のり)の力によりて、外の禍(わざわ)ひには合はじ』と頼みつるに、何のゆゑによりてか、大乗を持(たも)てるわが身の、罪もなく過(あやま)ちもなきに、打ち縛りれうぜられて、大きなる恥ぢをば見せ給ふ」と言ひて、「もし多羅尼、まことに験(しるし)いませば、たちまちにその験(しるし)をしめせ」と云ひて、縄をもちて、その千手経にかけて捨てて去りぬ。
この所に長(をさ)の家とあひ去れること一里ばかりなり。長、おのが家に帰りて、門を前にして馬より下るるに、強く付きて下りられず。すなはち、馬に乗りながら空に飛び行く。行者のうち縛られし所に至りて、空の中にかかりとどまりて、一日一夜を過ぐすまで落ちず。
明くる日の午時になりて、昨日行者の打たれし時刻に及びて、空より落ちて死ぬ。その骨の砕けたること、算を袋に入れたるがごとし。諸(もろもろ)の人これを見て、恐りぬ者なし。
霊異記5)に見えたり。
翻刻
越前国加賀郡ニ浪人(ラウ/マトヒ人也)ノ事ヲ執行長(トリヲコナフヲサ)アリ外国ヨリ来 レル人アレハ其名ヲタツネ注シテ雑役ニオホセテカリツカヒテウ(調) 庸ヲ附徴ソノ時ニ京ノ人小野朝臣麿トイフ人優婆塞ト 成テツネニ千手ノ呪ヲ誦持ス此郡ニメクリ来テ山々ヲフミ トヲリアリクニ神護景雲三年歳次己酉春三月廿六日乃/n2-31r・e2-28r
午時ニ其郡ノ御馬河ノモトニシテ彼長行者ニアヒテ問汝ハ何人 ソ答フ我ハ修行者也世ニフル人ニモアラスト答フ長イカリテ汝カカタ チハ猶俗也トナリノ国ヨリウカレテ此国ニ来レリ何ソ公務ニテ行シ ニハシタカハスシテ調庸ヲモワキマヘヌソトセタメテシハリウチテヲヒツカフ コノ時ニ修行者ノ云クキヌノシラミハ頭ニノホレハ黒クナル頭ノ蟣モ衣ニ クタレハ白クナリヌ虫モスミカニシタカヒテ其色ヲアラハセハ法モツ 所ニシタカヒテソノカタチヲアラハスヘキ物也我頂ニ多羅尼ヲイタ タキ背ニ千手経ヲヲヒタテマツレリ此法ノ力ニヨリテ外ノワサワヒニ/n2-31l・e2-28l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/31
ハアハシトタノミツルニナニノユヘニヨリテカ大乗ヲタモテル我身ノ罪モ ナクアヤマチモナキニウチシハリレウセラレテ大ナルハチヲハ見セ給ト イヒテモシ多羅尼マコトニシルシイマセハ忽ニ其験ヲシメセト云テ 縄ヲモチテソノ千手経ニカケテステテサリヌ此所ニ長ノ家トアヒ サレルコト一里ハカリ也長ヲノカ家ニカヘリテ門ヲマヘニシテ馬ヨリ ヲルルニツヨクツキテヲリラレス即馬ニ乃リナカラソラニトヒユク行 者ノウチシハラレシ所ニイタリテ空ノ中ニカカリトトマリテ 一日一夜ヲスクスマテオチスアクル日ノ午時ニナリテ昨日行者/n2-32r・e2-29r
乃ウタレシ時刻ニ及テ空ヨリヲチテシヌ其骨ノクタケタル 事算ヲ袋ニ入タルカコトシ諸ノ人是ヲミテヲソリヌ物ナシ 霊異記ニミヘタリ/n2-32l・e2-29l