text:mumyosho:u_mumyosho071
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| text:mumyosho:u_mumyosho071 [2014/10/18 03:13] – [翻刻] Satoshi Nakagawa | text:mumyosho:u_mumyosho071 [2014/10/18 03:26] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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| 行 24: | 行 24: | ||
| 問ひていはく、「ことの趣(おもむき)はおろおろ心得侍りにたり。その幽玄とかいふらむ体に至りてこそ、いかなるべしとも心得難く侍れ。そのやうを承はらん」と言ふ。 | 問ひていはく、「ことの趣(おもむき)はおろおろ心得侍りにたり。その幽玄とかいふらむ体に至りてこそ、いかなるべしとも心得難く侍れ。そのやうを承はらん」と言ふ。 | ||
| - | 答へていはく、「すべて歌((底本、脱文あるか。諸本、「歌」の次に「姿は得にくきことにこそ。古き」と続く。))、口伝・髄脳などにも、難き事どもをば手を取りて教ふばかりに尺したれど、姿に至りて、確かに見えたる事なし。いはんや幽玄の体、まづ名を聞くより惑ひぬべし。みづからも、いと心得ぬことなれば、定かに『いかに申すべし』とも思え侍らねど、よく境に入れる人々の申されし趣は、詮はただ、詞(ことば)に現はれぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし。心にもことはり深く、詞にも艶極まりぬれば、これらの徳はおのづから備はるにこそ。たとへば、秋の夕暮の空の気色は、色も無く声も無し。いづくにいかなる故あるべしとも思えねど、すずろに涙こぼるるがごとし。これを心なき列(つら)の者は、さらにいみじと思はず。ただ目に見ゆる花・紅葉をぞめで侍る。また、よき女の、恨めしき((「恨」底本「浦」))ことあれど、言葉に現はさず、深く忍びたる気色を、さよとほのぼの見付けたるは、言葉を尽して恨み((「恨」底本「浦」))、袖を絞りて見せんよりも、心ぐるしうあはれ深かかるべきがごとし。これまた、幼き者などは、細々(こまごま)と言はすより外に、いかでか気色を見て知らん。すなはち、この二つの譬へにて、風情少なく、心浅からん人の、悟り難きことをば知りぬべし。また、幼き子のらうたきが、片言(かたこと)して、そことも聞こえぬ事言ひゐたるは、はかなきにつけても、いとほしく聞きどころあるに似たることも侍るにや。これらをば、いかでかたやすくまねびもし、定かに言ひもあらはさむ。ただ、みづから心得べきことなり。また、霧の絶え間より、秋の山を眺むれば、見ゆる所はほのかなれど、奥ゆかしく、『いかばかり紅葉わたりて面白からむ』と限りなく推し量らるる面影は、ほとほと定かに見んにも優れたるべし。すべては心ざし詞(ことば)に現はれ、月を『隈(くま)なし』といひ、花を『妙(たへ)なり』と讃めむ事は、何かは難からん。いづくかは、歌のただ物いふに勝る徳とせん。一詞(ひとことば)に多くのことはりを込め、現はさずして、深き心ざしを尽し、見ぬ世の事を面影に浮べ、賤しきを借りて優を現はし、愚かなるやうにて、妙なる詞を極むればこそ、心も及ばず、詞も足らぬ時、これにて思ひを述べ、わづかに三十一字がうちに、天地(あめつち)を動かす徳を具し、鬼神をなごむる術にては侍れ」。 | + | 答へていはく、「すべて歌((底本、脱文あるか。諸本、「歌」の次に「姿は得にくきことにこそ。古き」と続く。))、口伝・髄脳などにも、難き事どもをば手を取りて教ふばかりに尺したれど、姿に至りて、確かに見えたる事なし。いはんや幽玄の体、まづ名を聞くより惑ひぬべし。みづからも、いと心得ぬことなれば、定かに『いかに申すべし』とも思え侍らねど、よく境に入れる人々の申されし趣は、詮はただ、詞(ことば)に現はれぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし。心にもことはり深く、詞にも艶極まりぬれば、これらの徳はおのづから備はるにこそ。たとへば、秋の夕暮の空の気色は、色も無く声も無し。いづくにいかなる故あるべしとも思えねど、すずろに涙こぼるるがごとし。これを心なき列(つら)の者は、さらにいみじと思はず。ただ目に見ゆる花・紅葉をぞ、めで侍る。また、よき女の、恨めしき((「恨」底本「浦」))ことあれど、言葉に現はさず、深く忍びたる気色を、さよとほのぼの見付けたるは、言葉を尽して恨み((「恨」底本「浦」))、袖を絞りて見せんよりも、心ぐるしうあはれ深かかるべきがごとし。これまた、幼き者などは、細々(こまごま)と言はすより外に、いかでか気色を見て知らん。すなはち、この二つの譬へにて、風情少なく、心浅からん人の、悟り難きことをば知りぬべし。また、幼き子のらうたきが、片言(かたこと)して、そことも聞こえぬ事言ひゐたるは、はかなきにつけても、いとほしく聞きどころあるに似たることも侍るにや。これらをば、いかでかたやすくまねびもし、定かに言ひもあらはさむ。ただ、みづから心得べきことなり。また、霧の絶え間より、秋の山を眺むれば、見ゆる所はほのかなれど、奥ゆかしく、『いかばかり紅葉わたりて面白からむ』と限りなく推し量らるる面影は、ほとほと定かに見んにも優れたるべし。すべては心ざし詞(ことば)に現はれ、月を『隈(くま)なし』といひ、花を『妙(たへ)なり』と讃めむ事は、何かは難からん。いづくかは、歌のただ物いふに勝る徳とせん。一詞(ひとことば)に多くのことはりを込め、現はさずして、深き心ざしを尽し、見ぬ世の事を面影に浮べ、賤しきを借りて優を現はし、愚かなるやうにて、妙なる詞を極むればこそ、心も及ばず、詞も足らぬ時、これにて思ひを述べ、わづかに三十一字がうちに、天地(あめつち)を動かす徳を具し、鬼神をなごむる術にては侍れ」。 |
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