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text:karakagami:m_karakagami5-12 [2023/04/17 23:40] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:karakagami:m_karakagami5-12 [2023/04/18 15:13] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 第六の主を恭宗孝安帝((安帝・劉祜))と申しき。諱(いみな)は祜(こ)。粛宗の孫、清河王慶の子なり。御母は左姫と申す。生まれ給ひて後、神光おはしまして室を照らすことたびたびあり。また赤蛇(あかへみ)ありて、牀笫((サウシ))の間にわだかまることも((「ことも」は底本「ことことも」。衍字とみて訂正。))ありき。 | + | 第六の主を恭宗孝安帝((安帝・劉祜))と申しき。諱(いみな)は祜(こ)。粛宗の孫、清河王慶の子なり。御母は左姫と申す。生まれ給ひて後、神光おはしまして室を照らすことたびたびあり。また赤蛇(あかへみ)ありて、牀笫(さうし)の間にわだかまることも((「ことも」は底本「ことことも」。衍字とみて訂正。))ありき。 |
御年十歳にして史書を学び給ひ、十三にて位に即き給ふ。殤帝(しやうてい)((劉隆))失せ給ひしかば、その御兄平原王((劉勝))の位に即き給ふべかりしが、痼疾(こしつ)にて、この君の即き給へるなり。太后((鄧綏))なほ朝にのぞみ給ふ。 | 御年十歳にして史書を学び給ひ、十三にて位に即き給ふ。殤帝(しやうてい)((劉隆))失せ給ひしかば、その御兄平原王((劉勝))の位に即き給ふべかりしが、痼疾(こしつ)にて、この君の即き給へるなり。太后((鄧綏))なほ朝にのぞみ給ふ。 |
text/karakagami/m_karakagami5-12.1681742421.txt.gz · 最終更新: 2023/04/17 23:40 by Satoshi Nakagawa