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text:karakagami:m_kara0-00 [2022/10/01 16:47] – 作成 Satoshi Nakagawatext:karakagami:m_kara0-00 [2022/10/01 18:54] (現在) – 削除 Satoshi Nakagawa
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-[[index.html|唐鏡]] 序 
-====== 序 ====== 
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-===== 校訂本文 ===== 
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-[[index.html|『唐鏡』TOP]] [[n_sesuisho1-01|NEXT>>]] 
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-諸寺諸山((底本「山」に「社」と異本注記。))の浄場(じやうぢやう)に百日参籠して、難解難入(なんげなんにう)の間文(しんもん)を千部読誦し奉るべき素願(そぐわん)のおもむき、丹誠(たんせい)深しといへども、春草むなしく暮れて、秋風驚きやすく、壮日はやくかたぶきて、老年すでに至るによりて、三両年のあひだ一心他なし、頭燃(づねん)を払ふがごとくして、口業(くぎやう)怠らず、五月(さつき)のかみの十日ごろに、南海より西海におもむく。雲濤煙浪(くものなみけぶりのなみ)の路、漫々として、孤帆千里の望、眇々(べうべう)たり。十余日を経て安楽寺へ詣でつつ、寂寞無人声(じやくまくむにんしやう)の信心をすましむるものは、緱氏山(こうしざん)の秋((底本秋に続け「ノ空也」と異本注記。))、月読誦此経典(どくじゆしきやうてん)の梵音(ぼんおん)をそふるものは伍子廟(ごしべう)の夜の潮なり。 
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-長月の九日は((底本「は」に「ニ」と異本注記))千部結願し侍りしに、今日は重陽の宴とて、文人予参して詩宴厳重なり。去年(こぞ)の今夜「待清涼秋思詩篇独断腸。(清涼に侍して秋思の詩篇独り腸(はらわた)を断つ)」の御製作思ひ出だされて、数行の涙、一乗の文にそそく。講頌儀(こうしやうぎ)終りぬれば、涼夜やや更けて、秋風蕭諷(しうふうせつさつ)たり。 
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-この時、二人の高僧あり。転誦の((底本「の」に続け「時」と異本注記。))始めより、聴聞の体にて傍らを離れ給はず。今夜近くゐ寄りてもののたまふ。一人は師とおぼしき体なり。そののたまふことはは聞き知られず。いま一人の、弟子とおぼしき人にぞ((底本「ぞ」なし。底本の異本注記に従う。))師の言葉を伝へらるる。通事(つじ)などの儀なり。 
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-「われは矌劫((「矌劫」は底本「矌功」。諸本により訂正。))より法華に縁ありて、生々世々(しやうじやうせぜ)に値遇(ちぐ)し、在々所々に敬礼奉る。宋朝の仏法衰へて、この教へを崇(あが)むる人まれなるゆゑに、日本へ渡りて最前にこの寺へ詣でつるに、千部の読誦聴聞し侍りつ。この経は不老不死の良薬なり((底本「なり」に「ノ」と異本注記。))と、金言誠実なれば、寿命長遠にして顔色衰邁(げんしきすいまい)せず。蒼海の三たびまで桑田となりしを見侍りき。天竺は仏在世((底本「世」に「ナシ」と異本注記。))の国なれども、境遥かなり。震旦国のありさま、おろおろ語り申さむ。もし聞かまほしくや」とのたまふに、答へて申していはく、「今は桑門(さうもん)の世捨人なりといへども、むかしは柳市の学をつとめき。漢家の世立(よたて)書籍(しよじやく)に見えたれども、愚昧の性分明らかならず。今承らんこと、老いの幸ひにて侍りなん」と申す。 
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-「さらば語り申さん」とて、伏羲氏(ふぎし)より以往は天地の始め、盤古王(ばんこわう)九万八千歳、その次、天皇氏・地皇氏、各一万八千歳。人皇氏、四万五千六百歳。その世には幽邈(いうはく)にして詳(つばび)らかならずとて、伏羲の御時より当時の宋朝の始め、大祖皇帝建隆庚申年まで、一万五千一百三十年の間のことを語り給ふに、水の流るるがごとくにとどこほりなし。「聴聞の喜びにおろおろ語り申しつ。後会は慈尊三会(じそんさんゑ)の暁を期すべし」とて立ち給へば、あひし給ひ奉りて御送りするに、大門のほどにて、かき消すやうにしてみえ給はず。名残りの惜しさ、せんかたなし。 
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-震旦の賢王、聖主の御政、治世乱代のありさま、めでたきこともあり、あさましきこともあり、知らざらん人に語り申さまほしけれども、朝に聞きて暮れには忘るる老いの習ひなれば、つやつや覚え侍りつらねども、百分の一端を春木に記すこと、秋毫(しうがう)ばかりなり。才人のためには嘲けられぬべし。児女子(じぢよし)のためには、おのづからみとかれなん。古(いにしへ)をもて鏡とすることありとかや聞こえ給ひしかば、唐鏡(からかがみ)とや申し侍るべき。 
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-[[index.html|『唐鏡』TOP]] [[n_sesuisho1-01|NEXT>>]] 
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-===== 翻刻 ===== 
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-  諸寺諸山(社イ)の浄場(シヤウチヤウ)に百日参籠して難解難入(ナンケナンニウ)の真文(シンモン)を 
-  千部読誦したてまつるへき素願(そくわん)のおもむき丹誠(タンセイ)ふか 
-  しといへとも春草むなしく暮て秋風驚やすく壮(サウ)日はや 
-  くかたふきて老年すてにいたるによりて三両年のあひた 
-  一心他なし頭燃(ツラン)をはらふかことくして口業(クキヤウ)をこたらす五月(サツキ) 
-  のかみの十日ころに南海より西海におもむく雲濤(クモノナミ)煙浪(ケフリノナミ)の路 
-  漫(マン)々として孤帆(コハン)千里の望眇(ヘウ)々たり十余日をへて安楽寺へ 
-  まうてつつ寂寞無人声(シヤクマクムニンシヤウ)の信心をすましむるものは緱氏(コウシ) 
-  山の秋○(○イニノ空也)月読誦此経典(ドクジユシキヤウテン)の梵音(ホンヲン)をそふるものは伍子廟(コシヘウ)の 
-  夜の潮なり長月の九日は(ニイ)千部結願し侍しに今日は重陽の/s4l・m7 
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-https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/4 
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-  宴とて文人予参して詩宴厳重なり去年(コソノ)今夜侍キ 
-  清涼秋思詩篇(シヘン)独(ヒトリ)断(タツ)腸(ハラワタ)の御製作おもひいたされて数 
-  行の涙一乗の文にそそく講頌儀(コウシヤウキ)をはりぬれは涼夜ややふ 
-  けて秋風蕭諷(セツサツ)たりこの時二人の高僧あり転誦の(時イ)はし 
-  めより聴聞の体にてかたはらをはなれ給はす今夜ちかく 
-  ゐよりてもののたまふ一人は師とおほしき体也そののたまふ 
-  ことははききしられすいま一人の弟子とおほしき人に(ソイ)師の 
-  ことはをつたえらるる通事(ツシ)なとの儀なり我は矌功より 
-  法華に縁ありて生々世々に値遇(チク)し在々所々に敬礼したて 
-  まつる宋朝(ソウテウ)の仏法おとろへて此教を崇(アカム)る人まれなるゆへに/s5r・m8 
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-  日本へわたりて最前にこの寺へまうてつるに千部の読誦聴 
-  聞し侍つ此経は不老不死の良薬なり(ヘノイ)と金言誠実なれは 
-  寿命長遠にして顔色衰邁(ケンシキスイマイ)せす蒼海(サウカイノ)三たひまて桑田 
-  となりしを見侍りき天竺は仏在世(イナシ)の国なれとも境はる 
-  かなり震旦国のありさまおろおろかたり申さむもし 
-  きかまほしくやとのたまふにこたへて申ていはくいまは桑門 
-  のよすて人なりといへともむかしは柳市の学をつとめき 
-  漢家の世立(ヨタテ)書籍(シヤク)にみえたれとも愚昧の性分明ならす今 
-  うけたまらん事老の幸にて侍なんと申すさらはかたり申 
-  さんとて伏羲(フキ)氏より以往は天地の始盤古王九万八千歳/s5l・m9 
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-https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/5 
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-  その次天皇氏地皇氏各一万八千歳人皇氏四万五千六百歳 
-  その世には幽邈にしてつはひらかならすとて伏羲の御時 
-  より当時の宋朝(ソウテウ)のはしめ大祖皇帝建隆庚申 
-  年まて一万五千一百卅二年のあひたのことをかたり給に水 
-  のなかるるかことくにととこほりなし聴聞のよろこひにおろ 
-  おろかたり申つ後会は慈尊(シソン)三会の暁を期すへしとて 
-  たちたまへはあひしたまひたてまつりて御をくりするに 
-  大門の程にてかきけすやうにしてみえ給はすなこりのおし 
-  させんかたなし震旦の賢王聖主の御政治(チ)世乱代のあり 
-  さまめてたきこともありあさましきこともあり知さらん人/s6r・m10 
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-  にかたり申まほしけれとも朝にききて暮にはわするる老 
-  のならひなれはつやつやおほえ侍つらねとも百分の一端を 
-  春木にしるすこと秋毫(シウガウ)はかりなり才人のためには嘲(アサ) 
-  けられぬへし児女子(シチヨシ)のためにはをのつからみとかれなん古 
-  をもて鏡とする事ありとかやきこえたまひしかは 
-  から鏡とや申侍へき/s6l・m11 
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-https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/6 
  
text/karakagami/m_kara0-00.1664610451.txt.gz · 最終更新: 2022/10/01 16:47 by Satoshi Nakagawa