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text:karakagami:m_kara0-00 [2022/10/01 16:47] – 作成 Satoshi Nakagawatext:karakagami:m_kara0-00 [2022/10/01 17:23] Satoshi Nakagawa
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-[[index.html|唐鏡]] 序+[[index.html|唐鏡]] 序
 ====== 序 ====== ====== 序 ======
  
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 「われは矌劫((「矌劫」は底本「矌功」。諸本により訂正。))より法華に縁ありて、生々世々(しやうじやうせぜ)に値遇(ちぐ)し、在々所々に敬礼奉る。宋朝の仏法衰へて、この教へを崇(あが)むる人まれなるゆゑに、日本へ渡りて最前にこの寺へ詣でつるに、千部の読誦聴聞し侍りつ。この経は不老不死の良薬なり((底本「なり」に「ノ」と異本注記。))と、金言誠実なれば、寿命長遠にして顔色衰邁(げんしきすいまい)せず。蒼海の三たびまで桑田となりしを見侍りき。天竺は仏在世((底本「世」に「ナシ」と異本注記。))の国なれども、境遥かなり。震旦国のありさま、おろおろ語り申さむ。もし聞かまほしくや」とのたまふに、答へて申していはく、「今は桑門(さうもん)の世捨人なりといへども、むかしは柳市の学をつとめき。漢家の世立(よたて)書籍(しよじやく)に見えたれども、愚昧の性分明らかならず。今承らんこと、老いの幸ひにて侍りなん」と申す。 「われは矌劫((「矌劫」は底本「矌功」。諸本により訂正。))より法華に縁ありて、生々世々(しやうじやうせぜ)に値遇(ちぐ)し、在々所々に敬礼奉る。宋朝の仏法衰へて、この教へを崇(あが)むる人まれなるゆゑに、日本へ渡りて最前にこの寺へ詣でつるに、千部の読誦聴聞し侍りつ。この経は不老不死の良薬なり((底本「なり」に「ノ」と異本注記。))と、金言誠実なれば、寿命長遠にして顔色衰邁(げんしきすいまい)せず。蒼海の三たびまで桑田となりしを見侍りき。天竺は仏在世((底本「世」に「ナシ」と異本注記。))の国なれども、境遥かなり。震旦国のありさま、おろおろ語り申さむ。もし聞かまほしくや」とのたまふに、答へて申していはく、「今は桑門(さうもん)の世捨人なりといへども、むかしは柳市の学をつとめき。漢家の世立(よたて)書籍(しよじやく)に見えたれども、愚昧の性分明らかならず。今承らんこと、老いの幸ひにて侍りなん」と申す。
  
-「さらば語り申さん」とて、伏羲氏(ふぎし)より以往は天地の始め、盤古王(ばんこわう)九万八千歳、その次、天皇氏・地皇氏、各一万八千歳。人皇氏、四万五千六百歳。その世には幽邈(いうはく)にして詳(つばび)らかならずとて、伏羲の御時より当時の宋朝の始め、祖皇帝建隆庚申年まで、一万五千一百三十年の間のことを語り給ふに、水の流るるがごとくにとどこほりなし。「聴聞の喜びにおろおろ語り申しつ。後会は慈尊三会(じそんさんゑ)の暁を期すべし」とて立ち給へば、あひし給ひ奉りて御送りするに、大門のほどにて、かき消すやうにしてみえ給はず。名残りの惜しさ、せんかたなし。+「さらば語り申さん」とて、伏羲氏(ふぎし)より以往は天地の始め、盤古王(ばんこわう)九万八千歳、その次、天皇氏・地皇氏、各一万八千歳。人皇氏、四万五千六百歳。その世には幽邈(いうはく)にして詳(つばび)らかならずとて、伏羲の御時より当時の宋朝の始め、祖皇帝建隆庚申年まで、一万五千一百三十年の間のことを語り給ふに、水の流るるがごとくにとどこほりなし。「聴聞の喜びにおろおろ語り申しつ。後会は慈尊三会(じそんさんゑ)の暁を期すべし」とて立ち給へば、あひし給ひ奉りて御送りするに、大門のほどにて、かき消すやうにしてみえ給はず。名残りの惜しさ、せんかたなし。
  
 震旦の賢王、聖主の御政、治世乱代のありさま、めでたきこともあり、あさましきこともあり、知らざらん人に語り申さまほしけれども、朝に聞きて暮れには忘るる老いの習ひなれば、つやつや覚え侍りつらねども、百分の一端を春木に記すこと、秋毫(しうがう)ばかりなり。才人のためには嘲けられぬべし。児女子(じぢよし)のためには、おのづからみとかれなん。古(いにしへ)をもて鏡とすることありとかや聞こえ給ひしかば、唐鏡(からかがみ)とや申し侍るべき。 震旦の賢王、聖主の御政、治世乱代のありさま、めでたきこともあり、あさましきこともあり、知らざらん人に語り申さまほしけれども、朝に聞きて暮れには忘るる老いの習ひなれば、つやつや覚え侍りつらねども、百分の一端を春木に記すこと、秋毫(しうがう)ばかりなり。才人のためには嘲けられぬべし。児女子(じぢよし)のためには、おのづからみとかれなん。古(いにしへ)をもて鏡とすることありとかや聞こえ給ひしかば、唐鏡(からかがみ)とや申し侍るべき。