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text:kankyo:s_kankyo001 [2015/05/30 14:41] – [上巻第1話 真如親王、天竺に渡り給ふ事] Satoshi Nakagawatext:kankyo:s_kankyo001 [2026/01/14 12:20] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 昔、真如親王といふ人いまそかりけり。平城(なら)の御門の第三の御子なり。いまだ頭剃ろし給はぬ前には、高岳の親王とぞ申しける。飾りを落し給ひて後は、道詮律師に会ひて三論宗を極め、弘法大師((空海))に従ひて真言を習ひ給ひけり。 昔、真如親王といふ人いまそかりけり。平城(なら)の御門の第三の御子なり。いまだ頭剃ろし給はぬ前には、高岳の親王とぞ申しける。飾りを落し給ひて後は、道詮律師に会ひて三論宗を極め、弘法大師((空海))に従ひて真言を習ひ給ひけり。
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 長明は、「人の耳をも喜ばしめ、また結縁にもせむ」とてこそ、伝の中(うち)の人をも載せけんを、世の人のさやうに思はで侍るに習ひて、かやうにも思ひ侍るなるべし。ゆめゆめ草隠れなき陰にも、「我をそばむる詞(ことば)かな」とは、思ふまじきなり。 長明は、「人の耳をも喜ばしめ、また結縁にもせむ」とてこそ、伝の中(うち)の人をも載せけんを、世の人のさやうに思はで侍るに習ひて、かやうにも思ひ侍るなるべし。ゆめゆめ草隠れなき陰にも、「我をそばむる詞(ことば)かな」とは、思ふまじきなり。
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text/kankyo/s_kankyo001.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa