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text:chomonju:s_chomonju481 [2020/08/22 11:12] – 作成 Satoshi Nakagawatext:chomonju:s_chomonju481 [2020/08/22 16:10] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 いづれの年のことにかありけむ、高陽院(かやのいん)にて競馬(くらべうま)ありけるに、狛助信乗尻(のりじり)に入りにけり。ゆゆしき上手にて、たびたびつかうまつりけれども、いまだ負けぬ者なりけり。 いづれの年のことにかありけむ、高陽院(かやのいん)にて競馬(くらべうま)ありけるに、狛助信乗尻(のりじり)に入りにけり。ゆゆしき上手にて、たびたびつかうまつりけれども、いまだ負けぬ者なりけり。
  
-鞭の加持をその時の御室に申したりければ((「たりければ」は底本「けりけれは」。諸本により訂正。))、「このたびは負けよ」と思し召すよしを仰せられければ、助信そのゆゑを尋ね申せば、「このたび勝ちなば、命あるべからず」と仰せられけり。助信、ただ勝ちて死ぬべきよしを、しひて申し入れければ、加持してはせてけり。+鞭の加持をその時の御室に申したりければ((「たりければ」は底本「けりけれは」。諸本により訂正。))、「このたびは負けよ」と思し召すよしを仰せられければ、助信そのゆゑを尋ね申せば、「このたび勝ちなば、命あるべからず」と仰せられけり。助信、ただ勝ちて死ぬべきよしを、しひて申し入れければ、加持してはせてけり。
  
 その日になりて、尾張の種武((秦種武か。))に合ひて勝ちにけるが、馬場末に門のありけるが開きたりけるに、関(くわん)の木のさし出でたりけるに、頸をかけて落ちて死にけり。禄をば移しにぞかけられける。 その日になりて、尾張の種武((秦種武か。))に合ひて勝ちにけるが、馬場末に門のありけるが開きたりけるに、関(くわん)の木のさし出でたりけるに、頸をかけて落ちて死にけり。禄をば移しにぞかけられける。
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 種武は脇白(わきしろ)といふ馬に乗りたりけり。究竟(くつきやう)の馬にてありければ、乗りける者いまだ負けざりけるに、このたび種武乗りて、初めて負けにけり。脇白、馬場の末にて、種武を跳ね落として食ひ殺してけり。かの番(つがひ)、二人ながら同時に死にけり。不思議のことなり。 種武は脇白(わきしろ)といふ馬に乗りたりけり。究竟(くつきやう)の馬にてありければ、乗りける者いまだ負けざりけるに、このたび種武乗りて、初めて負けにけり。脇白、馬場の末にて、種武を跳ね落として食ひ殺してけり。かの番(つがひ)、二人ながら同時に死にけり。不思議のことなり。
  
-このこと、いづれの日記に見えたりといふこと確かならねど、かく申し伝へたり。江帥((大江匡房))の記されたるは、宇治殿の御記((藤原頼長の『台記』。))に、「昔有駿馬。負競馬、食殺其乗尻。到坂東成神云々。(昔駿馬有り。競馬に負け、その乗尻を食ひ殺せり。坂東に到りて神と成る云々)」。+このこと、いづれの日記に見えたりといふこと確かならねど、かく申し伝へたり。江帥((大江匡房))の記されたるは、宇治殿の御記((藤原頼長の『台記』を指す。以下「昔有駿馬・・・」は、『台記』に見られる匡房の著書からの引用。))に、「昔有駿馬。負競馬、食殺其乗尻。到坂東成神云々。(昔駿馬有り。競馬に負け、その乗尻を食ひ殺せり。坂東に到りて神と成る云々)」。
  
 かかるためしも侍りけるにこそ。 かかるためしも侍りけるにこそ。
text/chomonju/s_chomonju481.1598062355.txt.gz · 最終更新: 2020/08/22 11:12 by Satoshi Nakagawa