大和物語
昔、在中将1)の御息子(みむすこ)在次滋春(ざいじしげはる)2)の君といふが妻(め)なる人なんありける。女は山蔭の中納言3)の御姫(みひめ)にて、五条の御(ご)となんいひける。かの在次君の妹の、伊勢の守の妻にていますかりけるが御(み)もとに行きて、守の召人(めしうど)にてありけるを、この妻のせうとの在次君は、忍びて住むになんありける。
「われのみ」と思ふに、この男の兄弟(はらから)なん、また、逢ひたる気色なりける。さりければ、女のもとに、
忘れなんと思ふ心の悲しきは憂きも憂からぬ4)ものにぞありける
となん詠みたりける。
今はみな古歌(ふるうた)になりたることなり。
むかし在中将のみむすこ在次滋春 のきみといふかめなるひとなんあり/d30l
ける女はやまかけの中納言のみひめ にて五条のことなんいひけるか のさいしきみのいもうとの伊勢のかみのめにていますかりけるか みもとにいきてかみのめしうとにて ありけるをこのめのせうとのさい しきみはしのひてすむになんあり けるわれのみとおもふにこのおとこの はらからなん又あひたるけしきなり けるさりけれは女のもとに わすれなんとおもふこころのかなし きはうきもうからめものにそありける となんよみたりけるいまはみなふる/d31r
うたになりたることなり/d31l