大和物語
平中1)、にくからず思ふ若き女を、妻(め)のもとに率(ゐ)て来て置きたりけり。にくげなることどもを言ひて、妻、つひに追ひ出だしてけり。
この妻にしたがふにやありけん、らうたしと思ひながら、えとめず。いちはやく言ひければ、近くだにもえ寄らで、四尺の屏風に寄りかかりて、立てりて言ひける。「世の中の、かく思ひの外(ほか)にある、異世界(ことせかい)にものしたまふとも、忘れで消息(せうそこ)し給へ。おのれも、さなん思ふ」と言ひけり。
この女、包みに物など包みて、車取りにやりて、待つほどなり。「いとあはれ」と思ひけり。
さて、女往にけり。十日ばかりありて2)、おこせたりける。
忘らるな忘れやしぬる春霞今朝立ちながら契りつること
平中にくからすおもふわかき女をめの もとにゐてきておきたりけり にくけなることともをいひてめ つひにをいいたしてけりこのめに/d31l
したかふにやありけんらうたしと おもひなからえとめすいちはやくいひ けれはちかくたにもえよらて四尺 のひやうふによりかかりてたて りていひけるよのなかのかくおもひの ほかにあることせかひにものしたま ふともわすれてせうそこし給へ おのれもさなんおもふといひけりこの 女つつみに物なとつつみて車とりに やりてまつほとなりいとあはれとお もひけりさて女いにけりとうかはかり/d32r
ありておこせたりける わすらるなわすれやしぬる春か すみけさたちなからちきりつること/d32l