大和物語
故源大納言1)の君、忠房2)のぬしの御女(みむすめ)東の方を、年ごろ思ひて住み渡り給ひけるを、亭子の院の若宮3)につき奉りて、離れ給ひてほど経にけり。子どもなどありければ、言(こと)も絶えず、同じ所になん住み給ひける。
さて、詠みてやりける。
住の江のまつならなくに久しくも君と寝ぬ夜のなりにけるかな
とありければ、返し、
久しくも思ほえねども住よしのまつやふたたび生ひかはるらん
となむありける。
故源大納言のきみたたふさのぬしのみむ すめひかしのかたをとしころおもひてすみ わたりたまひけるをていしの院のわか みやにつきたてまつりてはなれ給て ほとへにけりこともなとありけれはこと もたえすおなしところになんすみ給 けるさてよみてやりける すみのえのまつならなくにひさしくも きみとねぬよのなりにけるかな/d10l
とありけれはかへし ひさしくもおもほえねともすみよし のまつやふたたひをひかはるらん となむありける 韶子内親王延喜皇女母女御源和子光孝天皇源氏 韶子延喜廿年十二月十七日内親王三廿一年賀茂斎院後配 清蔭卿後配河内守大納言薨内親王廿三/d11r