とはずがたり
晦日(つごもり)には、あながちに乳母(めのと)ども、「かかる折節、山深き住まひもいまいまし」など言ひて、迎へに来たれば、心のほかに都へ帰りて、年も立ちぬ。
よろづ世の中も、栄えなき年なれば、元日・元三の雲の上もあひなく、私(わたくし)の袖の涙も改まり、やるかたもなき年なり。春の初めには、いつしか参りつる神の社も、今年はかなはぬことなれば、門の外(と)まで参りて祈誓申しつる心ざしより、むば玉の面影は別(べち)に記し侍れば、これにはもらしぬ。
かたき心ちするこそ我なからうたておほえ侍しかつこもり にはあなかちにめのとともかかるおりふし山ふかきすまゐも いまいましなといひてむかへにきたれは心のほかに宮こへ 帰りてとしもたちぬよろつ世の中もはへなきとしなれは 元日元三の雲のうへもあひなくわたくしの袖の涙もあらた まりやるかたもなき年なり春のはしめにはいつしかまいり つる神のやしろもことしはかなはぬ事なれはもんのと まてまいりてきせい申つる心さしよりむは玉の面影は/s40l k1-71
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/40
へちにしるし侍れはこれにはもらしぬきさらきの十日よゐ/s41r k1-72