十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事
伶人助元、府役懈怠のことによりて、左近府の下倉に召し籠めらる。「この下倉には、蛇蝎の住むなるものを」と、恐れをなすところに、夜中ばかりに、大蛇、案のごとく来れり。頭は祇園の獅子に似たり。眼は鋺(かなまり)のごとくにて、三尺ばかりなる舌さし出だして、大口を開きて、すでに呑まむとす。
助元、魂失せながら、わななくわななく、腰なる笛を抜き出で、還城楽の破を吹く。大蛇、来たりとどまりて、頸を高くもたげて、しばらく笛を聞く気色にて、返り去にけり。
廿六伶人助元府伇懈怠ノ事ニヨリテ、左近府ノ下倉ニ
召籠ラル、此下倉ニハ蛇蝎ノスムナルモノヲト恐ヲナス
所ニ、夜中ハカリニ大蛇案ノ如ク来レリ、頭ハ祇薗ノ獅
子ニ似タリ、眼ハカナマリノコトクニテ、三尺斗ナル舌サ
シ出シテ、大口ヲアキテ既ニノマムトス、助元魂ウセナカ
ラ、ワナナクワナナク腰ナル笛ヲヌキ出還城楽破ヲフク、大
蛇キタリトトマリテ、頸ヲ高クモタケテ、暫笛ヲ聞ケ
シキニテ返リ去ニケリ、/k65