十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事
建仁のころ、天王寺に人々参りたりける時、御舎利の出でさせ給はぬことありけり。「罪の人あるか」とて、少々人を退(の)けなどしても、なほ出でさせ給はざりけり。
寺僧の中に、老いたる人の申しけるは、「この御中に能ある人やおはします。さらばあらはし給へ」と言ふに、中将守通1)と聞こえし人、神楽を歌ひたりければ、御舎利出でさせ給ひにけり。
天の岩戸を開けんことも思ひ出でられて、いみじかりけり。
二十三建仁ノ頃天王寺ニ人々参タリケル時、御舎利ノ出サセ 給ハヌ事有ケリ、罪ノ人有カトテ少々人ヲノケナトシ テモ、猶出サセ給ハサリケリ、寺僧ノ中ニ老タル人ノ申 ケルハ、此御中ニ能アル人ヤオハシマス、サラハアラハシ給ヘ ト云ニ、中将守通ト聞ヘシ人、神楽ヲウタヒタリケレハ、 御舎利出サセ給ニケリ、天ノ岩戸ヲアケン事モ思 出ラレテイミシカリケリ、/k62