十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事
御堂関白1)、大堰川にて遊覧の時、詩歌の舟を分かちて、おのおの堪能の人々を乗せられけるに、四条大納言2)に3)仰せられていはく、「いづれの舟に乗らるべきや」。公任卿いはく、「和歌の舟に乗るべし」とて乗られけり。
さて詠める、
朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉を着ぬ人ぞなき
後に言はれけるは、「『いづれの舟にのるへきぞ』と仰せられしこそ、心おとりせられしか。また、詩の舟に乗りて、これほどの詩を作りたらば、名は上げてまし」と、後悔せられけり。
この歌、花山院4)、『拾遺集5)』を撰ばせ給ふ時、「紅葉(もみぢ)の錦」とかへて入るべきよしを仰せられけるを、しかるべからざるよしを申されければ、もとのままにて、入りにけり。
三御堂関白大堰河ニテ遊覧之時、詩哥ノ舟ヲワカチテ、 各堪能ノ人々ヲノセラレケルニ、四条大納言ヲ被仰云、イ ツレノ舟ニノラルヘキヤ、公任卿云、和哥舟ニ可乗トテノラ/k38
レケリ、サテヨメル、 アサマタキ嵐ノ山ノサムケレハ、チルモミチ葉ヲキヌ人ソナキ 後ニイハレケルハ、イツレノ舟ニノルヘキソト被仰シコソ、心ヲトリ セラレシカ、又詩ノ舟ニ乗テコレホトノ詩ヲ作リタラハ、名ハ アケテマシト後悔セラレケリ、此哥花山院拾遺集ヲエ ラハセ給時、紅葉ノニシキトカヘテ入ヘキヨシヲ被仰ケル ヲ、不可然由ヲ申サレケレハ、本ノママニテ入ニケリ、又円融院 御時大井河逍遥ノ時三舟ニ乗トモアリ、/k39