今物語
吉水前大僧正1)と聞こえしは、今は慈鎮和尚と申すにや。天王寺の別当になりて、拝堂ありけるに、上童多く具せられたりける中に、たれがしとかやいひける児を、天王寺にありける女、堪へがたう思ひかけて、紅梅の檀紙に、心も及ばず葦手を書きて、この児のもとへおこせたりける。
ぬしもよそながらも、つやつや見知りたる人もなくて、むげに恥ぢがましくありぬべかりけるに、この児、うち案ずる気色なりければ、「何とすべきにか」と、人々、まばゆく思ひたりけるに、やがて、その葦手の上に2)、
おぼつかななにはに書ける言の葉ぞ京(みやこ)に住めば知らぬ葦手を
と書きて遣りたりける。とりあへず、いとあしからずや。
吉水前大僧正ときこえしはいまは慈鎮和尚と申 にや天王寺の別当に成て拝堂有けるに上童おほ く具せられたりけるなかにたれかしとかやいひけるちこ を天王寺にありける女たへかたうおもひかけて紅梅の 檀紙に心もをよはすあしてをかきてこのちこの/s10l
もとへおこせたりけるぬしもよそなからもつやつや見 しりたる人もなくてむけにはちかましくありぬへか りけるにこのちこうちあむするけしきなりけれは 何とすへきにかと人々まはゆくおもひたりけるに やかてそのあしてのうへて おほつかななにはにかけることのはそ宮こにすめはしらぬあしてを とかきてやりたりけるとりあへすいとあしからすや/s11r