===== 北京地獄編 ===== 実は海外旅行初体験の私とI。それに対して、唯一中国語が話せるTは非情な要求を突き付ける!どうなるPhenix2000((このプロジェクトの名前。最初は「鳳凰」という名前の黒塗り自転車を買うつもりだった。))チーム!明日は有るのか! 北京空港に着いたのは2000年7月18日の午後八時である。初めての海外に緊張する。税関で「工作員」と書かれた巨大な看板を発見する。さすが中国だ、スパイ専用の出入り口があるのかと思ったらそうではなくて、空港職員専用の出入り口だった。それにしても看板がでかすぎるぞ! 空港の中で日本円を人民元に両替する。札を入れると、どこの国の紙幣か瞬時に識別し、両替するという画期的な機械だが、一台は壊れているらしく、日本人観光客が何やら大声で怒鳴っていた。よく聞いてみると、「こんな国入国してやらないぞ」などと叫んでいる。もう入国しているのに・・。 ゲートから出ようとしたところでTがとんでもないことを言い出す。 「あれ、僕お金どこへやったっけ?」  両替したのは数分まえである。 「あっそうだ!」Tは慌てて両替機の方へ戻っていき、近くにあったごみ箱をあさりはじめた。 ??? 「中川くーんあったよ!」そう、Tは両替したばかりの人民元を全額ごみ箱に捨てていたのである。Tの予想だにできない行動に、わたしとIは「本当にこいつについていっていいのだろうか?」と不安になったのは言うまでもない。そして、この時からTは「金捨て番長」と命名された。  突然のTの大ボケ((記念すべき第一回のボケ。T氏の大ボケは行く前から知っていたが、正直ここまでとは思わなかった。今に至るまで様々なボケをかましてくれる。))に不安になった私たちだったが、その不安は見事に適中した。  わたしたちは北京在住のN氏と会い、夕食後宿に向かうはずだった。宿はTが「北京師範大学に泊まればいいよ」と言っていたので、安心していたのだ。しかし・・。  タクシーで北京師範大学についたときにはもう10時を回っていた。Tが交渉したが、もう部屋がないとか、受付の姉ちゃんが帰ったとかいわれて、結局泊まれない。  私たちはN氏と四人で一晩飲み明かすことになった。  翌朝、西直門((西直門飯店。このころはそんなもんだと思ってたが、ひどいホテルだった。))というところでホテルをとり、Tが悪魔の宣告をした。といっても、その時はそうは思っていなかったのだが・・。 「僕、大連の知り合いのところに行くね。三日ぐらいしたらもどってくるから」 Tが大連へ行くことは、出発前から分かっていた。しかし、問題はその日数だ。 そう、Tは確かに三日と言ったのだ。しかし、彼が北京に戻ってきたのは、それから六日後の7月24日だった。その間、Tは大連でのんびりと悠々自適の暮らし((毎日釣りをしていた。))をしてたらしい。 わたしとIには地獄の一週間だった。何しろ二人とも初めての海外旅行なのである。 まず、私が思っていた以上にIは役立たずだった。Iの専門は中国文学で、中国語も習っているのである。それなのに・・。わたしも小心者だがIはわたしに輪をかけた小心者だったのだ。本当は * 何か問題があったらIに謝らせてにげちゃえ! * 道で大道芸をして、怒られそうになったらIを人質にして逃げる! * 買い物はぜんぶIにやらせる。 * Iが文句を言ったら「だって僕中国語できないもーん」という。 という予定だった。 しかし、Iは小心者である。買い物をして値段の交渉をして3分後に、「中川さん、あの時こう言っていたんですよ」などと、通訳する始末。もう終わっているんだから、黙っててくれよ! スターバックス((西単のスタバ。当時中国にできたばかりだった))では私がアイスコーヒーを注文して((なぜか私が注文した))氷をがりがり噛んでいると「氷にあたることもあるんですよねえ」って、食う前に言え、食ったあとなら黙ってろ! Iは中国文学が専門だから、「図書城」という所へ本を買いに行きたがる。わたしはそれほど興味が無いので「独りで行ってこいよ」というと、猫なで声で「そんな~、中川さん~冷たいこといわないでくださいよ~」などという。きしょいんだよ! わたしは頭に来たので、「俺はお前以上にしゃべれないんだから、俺を頼りにするな!」と言い、冷たく突き放した。突き放すのも愛情である。 そうこうしているうちに、北京について三日後、Tから電話があった。 「こっちは最高だよ~。こっちの人がもっと泊まっていけっていうから、もう2、3日泊まっていくから。」 ああ・・。 そしてTが帰ってきたのは、わたしとIの関係がすっかり乾ききった4日後だった。 [[cnbike1|目次]] [[hebei|河北省死闘編へ>>]]