世継物語 ====== 第5話 紫式部、上東門院に歌詠み優の物にて侍りしに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 今は昔、紫式部、上東門院に歌詠み優の物にて侍りしに、斎院より「さりぬべき物語や候ふ」と尋ね申させ給ひければ、御双紙ども取出ださせ給ひて、「何れをか参らすべき」と沙汰せさせ給ふほどに、紫式部、「みな目慣れて候ふに、新しく作りて参らせさせ給へ」と申しければ、「さらば、作れ」と仰せられければ、源氏は作りて参らせたりける。いよいよ心ばせすぐれてめでたき物にて侍る。 さるほどに、伊勢大輔((底本傍注「祭主輔親女也」))参りぬ。それも歌詠みの筋なれば、殿、いみじうもてなさせ給ふ。奈良より年に一度、八重桜を折りて持て参るを、紫式部、取り次ぎて参らせなど、歌詠みけるに、式部、「今年は大輔に譲り候らはん」とて、譲りければ、取り次ぎて参らするに、殿、「遅し、遅し」と仰せらるる御声につきて、   いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな 「取次ぎつるほど、殿の仰せられつるほどもなかりつるに、いつの間に思ひ続けけむ」と、人も思ふ、殿も思しめしたる。目出度くて候ふ程に、致仕(ちぢ)の大納言と言ふ人の子の、越前守((底本傍注「高階成順」))とて、いみじくやさしき人の妻になりにけり。 会ひ始めたりけるころ、石山にこもりて、音せざりければ、遣はしける、   みるめこそあふみの海にかたからめ吹だに通へ滋賀の浦風 と詠みてやりたりけるより、いとど歌おぼえまさりにけり。殊に、子孫さかへて、六条第弐・堀河第弐など申しける人々は、この伊勢大輔が孫なりけり。白河院は曾孫(ひこ)におはしましけり。一の宮と申しける折に、参りて見参らせけるに、「鏡を見よ」とて、賜びたりければ、給はりて、   君見ればちりも曇らで万代のよはひをのみもます鏡かな 御返し。大夫殿。宮の御伯父(おほぢ)におはします。   曇りなき鏡の光ますますも照らさむ影にかはらざらめや ===== 翻刻 ===== 今は昔紫式部上東門院に歌よみゆふの物にて侍しに斎 院よりさりぬへき物語やさふらふと尋申させ給けれは御 双紙とも取出させ給て何れをか参らすきとさたせ/6ウ させ給程に紫式部みなめなれてさふらふにあたらしく 作て参らせさせ給へと申けれはさらはつくれとおほせ られけれはけんしは作て参らせたりけるいよいよ心はせ すくれてめてたき物にて侍る去程に伊勢大輔(祭主輔親女也)参りぬ それも歌よみのすちなれは殿いみしうもてなさせ給 ならより年に一と八重桜をおりてもてまいるを紫式 部とりつきてまいらせなと歌よみけるに式部今年は 大輔に譲りさふらはんとてゆつりけれは取次てまいらす るに殿をそしをそしと仰らるる御声につきて いにしへのならの都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな/7オ 取つきつる程殿の仰られつる程もなかりつるにいつの間 に思ひつつけけむと人も思ふ殿も思食たる目出度てさふ らふ程にちちの大納言といふ人の子の越前守(高階成順)とていみしく やさしき人の妻に成にけりあひはしめたりける比石山 にこもりてをとせさりけれはつかはしける みるめこそあふみの海にかたからめ吹たにかよへしかの浦風 とよみてやりたりけるよりいとと歌おほえまさりにけり 殊子孫さかへて六条第弐堀河第弐なと申ける人々は此 伊勢大輔か孫成けり白河院はひこにおはしましけり一宮 と申けるおりにまいりて見まいらせけるに鏡を見よ/7ウ とてたひたりけれは給はりて 君みれはちりもくもらて万代のよはひをのみもます鏡哉 御返大夫殿宮のおほちにおはします くもりなき鏡の光ますますもてらさむ影にかはらさらめや/8オ