世継物語 ====== 第4話 御形の宣旨といふ人は、優にやさしく・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 今は昔、御形(みあれ)の宣旨といふ人は、優にやさしく、かたちもめでたかりけり。皇太后宮の女房なり。中納言定頼、文おこせ給ふ。   昼は蝉夜は蛍に身をなして鳴き暮らしては燃え明かすかな さ様にて通ひ給ふほどに、心少し変はりて、絶え間がちなり。   はるばると野中に見ゆる忘水絶え間絶え間を嘆くころかな 中納言、見目より始めて何事も優れめでたくおはするを、心ある人は見知りて、嘆かしき秋の夕暮、きりぎりすいたく鳴けるを、「長き思ひは」など、詠め給ひけるを、忘れがたきことに言ひためり。 絶え給ひて後、賀茂に参り給ふと聞き、「今一度も見ん」と思ひて、心にもあらぬ賀茂参りして、   よそにても見るに心はなぐさまで立ちこそまされ賀茂の河波 とても、涙のみいとどこぼれまさりて、大方うつし心もなく覚えける。 蝉の鳴くを聞きて、   恋しさを忍びもあへぬうつせみのうつし心もなくなりにけり 「をのづから歎きやはなし」とて、中納言には劣れども、無下ならぬ人に、親しき人心あはせて盗ませてけり。その文、いたく嘆きて、   身を捨てて心もなきに成にしをいかでとまれる思ひなるらん   世をかへて心みれども山の端につきせぬ物は恋にぞ有りける ただ中納言をのみ恋ひ歎きて、「いかに罪深かりけん」と思ふに、貴く目出度法師子を山に持ちて置かれたりけるこそ、「罪少しかろみけんかし」とおぼゆれ。 >御堂の中姫君、三条院の御時の后、皇后宮と申たるが女房なり。本院の侍従、御形の宣旨と申したる。侍従は、はるかの昔の平中が世の人。この御形の宣旨は中ごろの人。されば昔今の人を一つ手にて具して申したるなめり。((「御堂の中姫君」以下、底本1字下げ。注記の扱い。)) ===== 翻刻 ===== 今は昔みあれのせんしといふ人はゆふにやさしくかた ちもめてたかりけり皇太后宮の女房也中納言定頼 文おこせ給 ひるは蝉よるは蛍に身をなして鳴くらしてはもえあかす哉 さ様にてかよひ給ふ程に心すこしかはりてたえまかち也 はるはると野中にみゆる忘水たえまたえまをなけく比かな 中納言見めより始て何事もすぐれめてたくおはする を心ある人はみしりてなけかしき秋の夕暮きりきりす いたく鳴けるをなかき思ひはなと詠め給けるを忘かたきこと にいひためりたえ給て後賀茂に参給ときき今一と/5ウ もみんと思ひて心にもあらぬかもまいりして よそにてもみるに心はなくさまて立こそまされかもの河なみ とても涙のみいととこほれまさりて大方うつし心もな く覚えけるせみのなくをききて 恋しさを忍もあへぬうつせみのうつし心もなく成にけり をのつから歎きやはなしとて中納言にはをとれともむけ ならぬ人にしたしき人心あはせてぬすませてけり其文い たくなけきて 身を捨て心もなきに成にしをいかてとまれる思ひ成らん 世をかへて心みれとも山のはにつきせぬ物は恋にぞ有ける/6オ 只中納言をのみこひ歎ていかにつみふかかりけんと思ふにた うとく目出度法師子を山にもちてをかれたりけるこそ つみすこしかろみけんかしとおほゆれ 御堂のなかひめ君三条院の御時后皇后宮と申た るか女房也本院の侍従みあれのせんしと申たる侍従 ははるかの昔のへいちうか世の人此みあれのせんしは中 比の人されば昔今の人をひとつてにてくして申たるなめり/6ウ