宇治拾遺物語 ====== 第167話(巻13・第7話)或唐人、女の羊に生たる知らずして殺す事 ====== **或唐人女ノ羊ニ生タル不知シテ殺事** **或唐人、女の羊に生たる知らずして殺す事** ===== 校訂本文 ===== 今は昔、唐(もろこし)に、何とかやいふ司(つかさ)になりて、下らんとする者侍りき。名をば、けいそく(([[text:k_konjaku:k_konjaku9-18|『今昔物語集』9-18]]によると、「韋の慶植」。))といふ。それが女(むすめ)一人ありけり。並びなくをかしげなりし。十余歳にして失せにけり。父母、泣き悲しむことかぎりなし。 さて、二年ばかりありて田舎に下りて、親しき一家の一類・同胞(はらから)集めて、国へ下るべきよしを言ひ侍らんとするに、市より羊を買ひ取りて、この人々に食はせんとするに、その母の夢に見るやう、失せにし女、青き衣を着て、白きさいでして頭(かしら)を包みて、髪に玉の簪(かんざし)一よそひをさして来たり。生きたりし折に変わらず。 母に言ふやう、「わが生きて侍りし時に、父母、われをかなしうし給ひて、よろづをまかせ給へりしかば、親に申さで、物を取り使ひ、また、人にも取らせ侍りき。盗みにはあらねど、申さでせし罪により、今、羊の身を受けたり。来たりて、その報(ほう)を尽し侍らんとす。明日(あす)まさに首白き羊になりて、殺されんとす。願はくは、わが命を許し給へ」と言ふと見つ。 おどろきて、つとめて食ひ物する所を見れば、まことに青き羊の首白きあり。脛(はぎ)・背中白くて、頭に二つのまだらあり。常の人の簪(かんざし)さす所なり。母、これを見て、「しばし、この羊な殺しそ。殿帰りおはして後に、案内(あんない)申して許さんずるぞ」と言ふに、守殿(かうのとの)、ものより帰りて、「など、人々参りものは遅き」とてむつかる。「されば、この羊を調(てう)じ侍りて、よそはんとするに、上(うへ)の御前、『しばし、な殺しそ。殿に申して許さん』とて、とどめ給へば」など言へば、腹立ちて、「僻事(ひがごと)なせさせそ」とて、殺さんとて、吊り付けたるに、この客人(まらうど)ども来て見れば、いとをかしげにて顔よき女子の十余歳ばかりなるを、髪に縄付けて吊り付けたり。この女子の言ふやう、「わらはは、この守の女(むすめ)にて侍りしが、羊になりて侍るなり。今日の命を、御前たち、助け給へ」と言ふに、この人々、「あなかしこ、あなかしこ、ゆめゆめ殺すな。申して来ん」とて行くほどに、この食ひ物する人は、例の羊と見ゆ。「さだめて、『遅し』と腹立ちなん」とて、うち殺しつ。その羊の鳴く声、この殺す者の耳には、ただの羊の鳴く声なり。 さて、羊を殺して、炒り、焼き、さまざまにしたりけれど、この客人どもは、物も食はで帰りにければ、怪しがりて、人々に問へば、「しかじかなり」と始めより語りければ、悲しみてまどひけるほどに、病になりて死ににければ、田舎にも下り侍らずなりにけりとぞ。 ===== 翻刻 ===== いまは昔唐になにとかやいふ司になりて下らんとする物侍き名をは けいそくといふそれかむすめ一人ありけりならひなくおかしけな りし十余歳にして失にけり父母泣かなしむ事かきりなし さて二年斗ありてゐ中にくたりてしたしき一家の一類はら からあつめて国へくたるへきよしをいひ侍らんとするに市より羊 を買とりてこの人々にくはせんとするにその母の夢にみる様うせ にしむすめ青き衣をきてしろきさいてしてかしらをつつみて 髪に玉のかんさし一よそひをさしてきたりいきたりしおりに かはらす母にいふやうわかいきて侍し時に父母われをかなしうし 給てよろつをまかせ給へりしかはおやに申さて物をとりつかひ又 人にもとらせ侍きぬすみにはあらねと申さてせし罪によりいま 羊の身をうけたりきたりてそのほうをつくし侍らんとすあす まさにくひしろき羊になりて殺されんとすねかわくは我命を/下73オy399 ゆるし給へといふとみつおとろきてつとめて食物する所をみれは 誠に青き羊のくひ白きありはきせなかしろくて頭にふたつの またらありつねの人のかんさしさす所なり母これをみてしはし この羊なころしそ殿帰おはしてのちにあんない申てゆるさん するそといふに守殿物より帰てなと人々まいり物はをそきとて むつかるされは此羊をてうし侍てよそはんとするにうへの御前しはし なころしそ殿に申てゆるさんとてととめ給へはなといへは腹立てひか 事なせさせそとてころさんとてつりつけたるにこのまら人とも きてみれはいとおかしけにてかほよき女子の十よさいはかりなるを かみになはつけてつりつけたりこの女子のいふやうわらははこの守 の女にて侍しか羊になりて侍也けふの命を御まへたちたす け給へといふにこの人々あなかしこあなかしこゆめゆめころすな申てこん とてゆく程にこのくひ物する人は例の羊とみゆさためてをそしと/下73ウy400 腹立なんとてうちころしつそのひつしのなくこゑこのころす もののみみにはたたの羊のなくこゑ也さて羊を殺して いりやきさまさまにしたりけれとこのまら人ともは物もくはて帰に けれはあやしかりて人々にとへはしかしかなりとはしめよりかた りけれはかなしみてまとひける程に病に成て死ににけれは ゐ中にもくたり侍らすなりにけりとそ/下74オy401