宇治拾遺物語 ====== 第142話(巻12・第6話)空也上人の臂、観音院僧正、祈り直す事 ====== **空也上人臂観音院僧正祈直事** **空也上人の臂、観音院僧正、祈り直す事** ===== 校訂本文 ===== 昔、空也上人、申すべきことありて、一条大臣殿((源雅信))に参て、蔵人所に上りてゐたり。余慶僧正、また参会し給ふ。 物語などし給ふほどに、僧正ののたまふ、「その臂は、いかにして折り給へるぞ」と。上人のいはく、「わが母、もの妬みして、幼少の時、片手を取りて投げ侍りしほどに、折りて侍るとぞ聞き侍りし。幼稚の時のことなれば覚え侍らず。かしこく左にて侍る。右手折り侍らましかば」と言ふ。僧正のたまふ、「そこは貴き上人にておはす。天皇の御子とこそ人は申せ。いとかたじけなし。御臂、こころみに祈り直し申さんはいかに」。上人いはく、「もつとも悦び侍るべし。まことに貴く侍りなん。これ加持し給へ」とて、近く寄れば、殿中の人々集まりて((「集まりて」は底本「湊て」。湊に「アツマリ」と傍注。))これを見る。 その時、僧正、頂(いただき)より黒煙(くろけぶり)を出だして、加持し給ふに、しばらくありて、曲れる臂、はたとなりて延びぬ。すなはち、右の臂のごとくに延びたり。上人、涙を落して、三度礼拝す。見る人、みなののめき感じ、あるいは泣きけり。 その日、上人、ともに若き聖、三人具したり。一人は、縄を取り集むる聖なり。道に落ちたる古き縄を拾ひて、壁土に加へて、古堂の破れたる壁を塗ることをす。一人は、瓜の皮を取り集めて、水に洗ひて、獄衆に与へけり。一人は、反古(ほうぐ)の落ち散りたるを拾ひ集めて、紙に漉きて、経を書写し奉る。 その反古の聖を、臂治りたる布施に、僧正に奉りければ、悦びて弟子になして、義観と名付け給ふ。ありがたかりけることなり。 ===== 翻刻 ===== むかし空也上人申へき事ありて一条大臣殿に参て蔵人所に/下54オy361 上て居たり余慶僧正又参会し給物語なとし給程に僧正 のの給其臂はいかにして折給へるそと上人の云我母物妬して幼 少の時片手を取て投侍し程に折て侍とそ聞侍し幼稚の時の事 なれは覚侍らすかしこく左にて侍る右手折侍ましかはと云僧正 の給そこは貴き上人にておはす天皇の御子とこそ人は申せいと かたしけなし御臂試に祈直し申さんは如何上人云尤悦侍へし 実に貴侍なんこれ加持し給へとて近く寄れは殿中の人々湊(アツマリ) てこれをみるその時僧正頂より黒煙を出して加持し給に暫 ありて曲れる臂はたとなりてのひぬ則右の臂のことくに延 たり上人泪を落して三度礼拝す見人みなののめき感し或は 泣けり其日上人共に若き聖三人具たり一人は縄をとりあつ むる聖也道に落たるふるき縄をひろいて壁土に加へて古堂 の破たる壁を塗事をす一人は瓜の皮を取集て水に洗て獄衆に/下54ウy362 与けり一人は反古の落散たるを拾集て紙に漉て経を書 写し奉る其反古の聖を臂なをりたる布施に僧正に奉り けれは悦て弟子になして義観と名つけ給ありかたかりける事なり/下55オy363