宇治拾遺物語 ====== 第58話(巻4・第6話)東北院の菩提講の聖の事 ====== **東北院菩講聖事** **東北院の菩講の聖の事** ===== 校訂本文 ===== 東北院の菩提講始めける聖は、もとはいみじき悪人にて、人屋(ひとや)に七度ぞ入りたりける。 七度(しちたび)といひけるたび、検非違使ども集まりて、「これはいみじき悪人なり。一・二度人屋に入んだに、人としては良かるべきことかは。まして、いくそばくの犯しをして、かく七度までは、あさましく、ゆゆしきことなり。このたび、これが足切りてん」と定めて、足切りに出で行きて、切らんとするほどに、いみじき相人ありけり。 それが、ものへ行きけるが、この足切らむとするものに寄りて言ふやう、「この人、おのれに免されよ。これは必ず往生すべき相ある人なり」と言ひければ、「よしなきこと言ふ。ものも思えぬ相する御房かな」と言ひて、ただ、切りに切らんとすれば、その切らんとする足の上に上(のぼ)りて、「この足の代りに、わが足を切れ。往生すべき相ある者の足切らせては、いかでか見んや。おうおう」とをめきければ、切らんとする者ども、し扱ひて、検非違使に、「かうかうのこと侍り」と言ひければ、やんごとなき相人の言ふことなれば、さすがに用ゐずもなくて、別当に、「かかることなんある」と申しければ、「さらば、免してよ」とて、免されにけり。 その時、この盗人、心発(おこ)して、法師になりて、いみじき聖になりて、この菩提講は始めたるなり。まことにかなひて、いみじく終りとりてこそ、失せにけれ。 かかれば、高名(かうみやう)せんずる人は、その相ありとも、おぼろげの相人の見ることにてもあらざりけり。始めおきたる講も、今日まで絶えぬは、まことにあはれなることなりかし。 ===== 翻刻 ===== 東北院の菩提講はしめける聖はもとはいみしき悪人にて人屋に 七度そ入たりける七たひといひけるたひ検非違使とも あつまりてこれはいみしき悪人也一二度人屋にゐんたに 人としてはよかるへき事かはましていくそはくのおかしをしてかく 七たひまてはあさましくゆゆしき事也このたひこれか足切 てんとさためて足きりに出ゆきてきらんとするほとに/67オy137 いみしき相人ありけりそれか物へいきけるか此あしきら むとするものによりていふやうこの人をのれにゆるされよこれ はかならす往生すへき相ある人なりといひけれはよしなき 事いふものもおほえぬ相する御房かなといひてたた切に きらんとすれはそのきらんとするあしのうえにのほりてこのあ しのかはりにわか足をきれ往生すへき相あるもののあしきら せてはいかてかみんやおうおうとおめきけれは切んとする物とも しあつかひて検非違使にかうかうの事侍といひけれはやんこと なき相人のいふ事なれはさすかにもちひすもなくて別 当にかかる事なんあると申けれはさらはゆるしてよ とてゆるされにけりその時この盗人心おこして法師に成て いみしき聖に成て此菩提講ははしめたる也まことにかなひて いみしく終とりてこそうせにけれかかれはかうみやうせんする人は/67ウy138 その相ありともおほろけの相人のみる事にてもあらさりけり はしめをきたる講もけふまてたえぬはまことにあはれな る事なりかし/68オy139