宇治拾遺物語 ====== 第24話(巻2・第6話)厚行、死人を家より出す事 ====== **厚行死人ヲ家ヨリ出ス事** **厚行、死人を家より出す事** ===== 校訂本文 ===== 昔、右近将監下野厚行といふ者ありけり。競馬によく乗りにけり。帝王よりはじめ参らせて、おぼえことにすぐれたりけり。朱雀院((朱雀天皇))の御時より村上の御門((村上天皇))の御時なんどは、盛りにいみじき舎人にて、人もゆるし思けり。年高くなりて、西の京に住みけり。 隣なりける人、にはかに死にけるに、この厚行、とぶらひに行きて、その子に会ひて、別れの間のことども、とぶらひけるに、「この死にたる親を出ださんに、門、悪しき方に向へり。さればとて、さてあるべきにあらず。門よりこそ出だすべきことにてあれ」と言ふを聞きて、厚行が言ふやう、「悪しき方より出ださんこと、ことに然るべからず。かつは、あまたの御子たちのため、ことにいまはしかるべし。厚行が隔ての垣を破(やぶ)りて、それより出だし奉らん。かつは、生き給ひたりし時、ことにふれて情のみありし人なり。かかる折だにも、その恩を報じ申さずは、何をもてか報ひ申さん」といへば、子どものいふやう、「無為なる人の家より出ださんこと、あるべきにあらず。忌(いみ)の方なりとも、わが門よりこそ出ださめ」と言へども、「僻事(ひがごと)なし給ひそ。ただ、厚行が門より出だし奉らん」と言ひて帰りぬ。 わが子どもにいふやう、「隣のぬしの死にたる、いとほしければ、とぶらひに行きたりつるに、あの子どもの言ふやう、『忌の方なれども、門は一つなれば、これよりこそ出ださめ』とわびつれば、いとほしく思ひて、『中の垣を破りて、わが門より出だし給へ』と言ひつる」と言ふに、妻子ども聞きて、「不思議のことし給ふ親かな。いみじき穀断ちの聖なりとも、かかることする人やはあるべき。身思はぬと言ひながら、わが家の門より、隣の死人出だす人やある。返す返すもあるまじきことなり」と、みな言ひ合へり。 厚行、「僻事な言ひ合ひそ。ただ、厚行がせんやうにまかせて見給へ。物忌し、くすしく忌むやつは、命短かく、はかばかしきことなし。ただ、もの忌まぬは、命も長く、子孫も栄ゆ。いたくもの忌み、くすしきは、人といはず。恩を知り、身を忘るるをこそ、人とはいへ。天道も、これをぞめぐみ給ふらん。よしなきことな言ひ合ひそ」とて、下人ども呼びて、中の檜垣を、ただ毀(こぼ)ちに毀ちて、それよりぞ出でさせける。 さて、そのこと、世に聞こえて、殿原もあさみ讃め給ひけり。さてその後、九十ばかりまでたもちてぞ死にける。それが子どもに至るまで、みな命長くて、下野氏の子孫は、舎人の中にもおぼえありとぞ。 ===== 翻刻 ===== むかし右近将監下野厚行といふ物ありけり競馬によくのりにけり 帝王よりはしめまいらせておほえことにすくれたりけり朱雀院の 御時より村上の御門の御時なんとは盛にいみしき舎人にて人もゆ るし思けり年たかくなりて西京にすみけり隣なりける人俄/29ウy62 に死けるに此厚行とふらひに行て其子にあひて別の間の事共 とふらひけるに此死たる親を出さんに門あしき方にむかへりされはとて さてあるへきにあらす門よりこそ出すへき事にてあれといふをききて 厚行かいふやうあしき方よりいたさん事ことに然へからすかつは あまたの御子たちのためことにいまはしかるへし厚行かへたての垣を やふりてそれより出したてまつらんかつはいき給たりし時ことにふれ て情のみありし人也かかるおりたにもその恩を報し申さすは なにをもてかむくひ申さんといへは子とものいふやう無為なる人の 家より出さん事あるへきにあらす忌の方成とも我門よりこそいた さめといへとも僻事なし給そたた厚行か門より出し奉んといひて 帰ぬ我子ともにいふやう隣のぬしの死たるいとおしけれはとふらひに 行たりつるにあの子とものいふやう忌の方なれとも門は一なれはこれより こそ出さめとわひつれはいとおしく思て中の垣を破て我門より出し給へと/30オy63 いひつるといふに妻子ともききて不思儀の事し給親かないみしき 穀たちの聖なりともかかる事する人やはあるへき身思はぬといひなから 我家の門より隣の死人出す人やある返返もあるましき事也と みないひあへり厚行僻事ないひあひそたた厚行かせんやうにまかせ てみ給へ物忌しくすしくいむやつは命みしかくはかはかしき事なし たた物いまぬは命もなかく子孫もさかゆいたく物いみくすしきは人 といはす恩をしり身を忘るるをこそ人とはいへ天道もこれをそ めくみ給らんよしなきことないひあひそとて下人ともよひて中の 桧垣をたたこほちにこほちてそれよりそ出させけるさてその事 世にきこえて殿原もあさみほめ給けりさて厥后九十斗まてたもちて そ死けるそれか子ともにいたるまてみな命なかくて下野氏の子孫 は舎人の中にもおほえありとそ/30ウy64