大和物語 ====== 第150段 昔奈良の御門につかうまつる采女ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 昔、ならの御門につかうまつる采女(うねべ)ありけり。顔・形いみじくきよらにて、人々よばひ、殿上人などしよばひけれど、あはざりけり。そのあはぬ心は、御門をかぎりなくめでたきものになん思ひ奉りける。 御門、召してけり。さてのち、またも召さざりければ、かぎりなく、「心憂し」と思ひけり。夜昼心にかかりて思え給ひつつ、恋ひしう、わびしく思ひ給ひけり。御門は召ししことも思さず。さすがに、つねには見奉る。いかにも世に経(ふ)べき心地し給はざりければ、夜、みそかに出でて、猿沢の池に身を投げてけり。 かく投げつとも御門は知ろしめさざりけるを、事のついでありて、人の奏しければ、聞こし召してけり。いといたくあはれがり給ひて、池のほとりに行幸(みゆき)し給ひて、人々に歌詠ませ給ふ。 柿本人麻呂、   わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻(たまも)と見るぞ悲しき と詠める時に、御門、   猿沢の池もつらしなわぎもこが玉も((「も」は底本「し」。諸本により訂正))かづかば水ぞひまなし と詠み給ひけり。 さて、この池に墓せさせ給ひてなん、帰らせおはしましけるとなん。 ===== 翻刻 ===== むかしならのみかとにつかうまつる うねへありけりかをかたちいみしく きよらにて人々よはひてんしやう ひとなとしよはひけれとあはさり けりそのあはぬこころはみかとを かきりなくめてたきものにな んおもひたてまつりけるみかと/d50l めしてけりさてのちまたもめささ りけれはかきりなくこころうしと おもひけりよるひるこころにかかり ておほえたまひつつこひしうわひし くおもひたまひけりみかとはめしし こともおほさすさすかにつねには みたてまつるいかにもよにふへき 心ちしたまはさりけれはよるみ そかにいててさるさはのいけに身を なけてけりかくなけつともみか とはしろしめささりけるを事/d51r のついてありて人のそうしけれは きこしめしてけりいといたくあはれ かり給ていけのほとりにみゆきし たまひてひとひとにうたよませ給 かきのもとの人まろ わきもこかねくたれかみをさる さはのいけのたまもとみるそかなしき とよめるときにみかと さるさはのいけもつらしなわき もこかたましかつかはみつそひまなし とよみたまひけりさてこのいけに/d51l はかせさせたまひてなんかへらせ おはしましけるとなん/d52r