大和物語 ====== 第139段 先帝の御時に承香殿の御息所の御曹司に中納言の君といふ人・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 先帝((醍醐天皇))の御時に、承香殿の御息所((光孝天皇皇女源和子))の御曹司に、中納言の君といふ人さぶらひけり。それを、故兵部卿の宮((陽成天皇皇子元良親王))、若男(わかおとこ)にて、一の宮と聞こえて、色好み給ひけるころ、承香殿はいと近きほどになんありける。「らうある、をかしき人々あり」と聞き給ひて、ものなどのたまひかはしけり。 さりけるころほひ、この中納言の君に、忍びて寝給ひそめてけり。時々おはしましてのち、この宮、をさをさ問ひ給はざりけり。 さるころ、女のもとより詠みて奉りたりける。   人をとくあくた川てふ津の国のなにはたがはぬ君にざりける かくてものも食はで、泣く泣く病になりて、恋ひ奉りける。 かの承香殿前の松に、雪の降りかかりたりけるを折りて、かくなん聞こえ奉りたりける。   来ぬ人をまつの葉に降る白雪の消えこそかへれあはぬ思ひに とてなん、「ゆめゆめこの雪落とすな」と使に言ひてなん、奉りける。 ===== 翻刻 ===== 先帝の御ときに承香殿のみやす ところの御さうしに中納言の君と いふひとさふらひけりそれをこひや/d24r うふきやうの宮わかおとこにて 一のみやときこえていろこのみたまひ けるころ承香殿はいとちかきほとに なんありけるらうあるをかしき ひとひとありときき給てものなとの たまひかはしけりさりけるころを いこの中納言のきみにしのひてね給 そめてけりときときおはしましての ちこのみやをさをさとひたまはさり けりさるころ女のもとよりよ みてたてまつりたりける/d24l ひとをとくあくたかはてふつのくに のなにはたかはぬきみにさりける かくてものもくはてなくなくやまひに なりてこひたてまつりけるかの 承香殿まへのまつにゆきのふりかかり たりけるををりてかくなんきこ えたてまつりたりける こぬひとをまつの葉にふるしらゆ きのきえこそかへれあはぬおもひに とてなんゆめゆめこのゆきおとすなと つかひにいひてなんたてまつりける/d25r