大和物語 ====== 第137段 志賀山越えの道にいはみといふ所に故兵部卿の宮・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 志賀山越えの道に、いはみといふ所に、故兵部卿の宮((陽成天皇皇子元良親王))、家をいとおかしう造り給ひて、時々参り給ひけり。いと忍びておはしまして、志賀に詣づる女ども見給ふ時もありけり。おほかたもいとおもしろく、家もいとをかしうなんありける。 とし子、志賀に詣で給ひけるついでに、この家に来て、見めぐりつつ見て、あはれがり、めでなどして、書き付け給ひける。   かりにのみ来る君待つとふり出(で)つつ泣くしが山はあきぞ悲しき となん書きつけて往にける。 ===== 翻刻 ===== 志賀やまこえのみちにいはみといふ ところにこひやうふきやうのみや 家をいとをかしうつくり給てときとき/d23r まいりたまひけりいとしのひておはしま してしかにまうつる女ともみたまふ ときもありけりおほかたもいとおもし ろくいへもいとをかしうなんありける としこしかにまうてたまひけるつひてに このいへにきてみめくりつつみてあはれか りめてなとしてかきつけたまひける かりにのみくるきみまつとふりて つつなくしかやまはあきそかなしき となんかきつけていにける/d23l