大和物語 ====== 第122段 とし子が志賀に詣で来たりけるに増喜君といふ法師ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== とし子が志賀((志賀寺))に詣で来たりけるに、増喜君(ぞうきぎみ)といふ法師ありけり。それは、比叡(ひえ)に住む、院の殿上もする法師になんありける。 それ、このとし子の詣でたるに、志賀に詣で逢ひにけり。橋殿に局(つぼね)をしてゐて、よろづのこと言ひかはしけり。 今は、とし子帰りなんとしける。それに、増喜のもとより、   会ひ見ては別るることのなかりせばかつがつものは思はざらまし 返し、   いかなればかつがつものを思ふらん名残もなくぞわれは悲しき となんありける。ことはりいと多くなんありける。 ===== 翻刻 ===== としこかしかにまうてきたりけるに/d15l 増喜きみといふ法師ありけりそれは ひえにすむゐんのてんしやうもする 法師になんありけるそれこのとしこの まうてたるにしかにまうてあひに けりはしとのにつほねをしてゐて よろつのこといひかはしけりいまは としこかへりなんとしけるそれにそ うきのもとより あひみてはわかるることのなかりせは かつかつものはおもはさらまし かへし/d16r いかなれはかつかつものをおもふらん なこりもなくそ我はかなしき となんありけることはりいとおほく なんありける/d16l