大和物語 ====== 第105段 中興の近江の介がむすめ物の怪にわづらひて浄蔵大徳を・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 中興(なかき)((平中興))の近江の介がむすめ、物の怪にわづらひて、浄蔵大徳を験者にしけるほどに、人、とかく言ひけり。 なほしも、はたあらざりけり。「忍びてあり経て、人のもの言ひなんども、うたてあり。なほ世に経じ」と思ひわびて、失せにけり。鞍馬といふ所にこもり居て、いみじく行ひをり。さすがに、いと恋しう思えけり。京を思ひやりつつ、よろづのこと、いとあはれに思えて、行ひけり。 泣く泣くうち臥して、傍らを見れば、文(ふみ)など見えける。「何(な)ぞの文ぞ」と思ひて、取りて見れば、このわが思ふ人の文なり。書けることは、   墨染の鞍馬の山に入る人はたどるたどるも帰り来ななん と書けり。いとあやしく、「誰しておこせつらん」と思ひをり。持(も)て来べき便りも思えず。 いとあやしかりければ、また一人まどひ来にけり。 かくて、また山に入りにけり。さて、おこせたりける。   からくして思ひ忘るる恋ひしさをうたて鳴きつる鶯(うぐひす)の声 返し、   さても君忘れけりかし鶯の鳴くおりのみや思ひ出づべき となん言へりける。 また、浄蔵大徳、   わがためにつらき人をばおきながら何の罪なき世をや恨みん とも言ひけり。 この女は、になくかしづきて、皇子たち・上達部、よばひ給へど、「御門に奉らん」とて、あはせざりけれど、このこと出で来にければ、親も見ずなりにけり。 ===== 翻刻 ===== 中きのあふみのすけかむすめ物 のけにわつらひてしやうさうたいとく をけむしやにしけるほとにひととかく いひけりなをしもはたあらさりけ りしのひてありへてひとのものいひ なんともうたてありなをよにへ しとおもひわひてうせにけりくらまと いふところにこもりゐていみしく をこなひをりさすかにいとこひしう/d6l おほえけり京をおもひやりつつよ ろつのこといとあはれにおほえて□ こなひけりなくなくうちふしてかた はらをみれはふみなとみえけるな そのふみそとおもひてとりてみれは このわかおもふ人のふみなりかけることは すみそめのくらまのやまに入 ひとはたとるたとるもかへりきななん とかけりいとあやしくたれしてを こせつらんとおもひをりもてくへき たよりもおほえすいとあやしかり/d7r けれはまたひとりまとひきにけり かくて又やまにいりにけりさてを こせたりける からくしておもひわするるこひし さをうたてなきつるうくひすのこゑ かへし さてもきみわすれけりかしう くひすのなくおりのみやおもひいつへき となんいへりける又しやうさうたいとく わかためにつらきひとをはおき なからなにのつみなきよをやうらみん/d7l ともいひけり この女はになくかしつきて御こたち かんたちめよはひたまへと御かとに たてまつらんとてあはせさりけれと このこといてきにけれはおやもみす なりにけりこひやうふきやうの/d8r