大和物語 ====== 第32段 亭子の御門に右京の大夫の詠みて奉りける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 亭子の御門((宇多天皇))に、右京の大夫((源宗于))の詠みて奉りける。   あはれてふ人もあるへく武蔵野の草とだにこそ生ふべかりけれ また、   時雨のみふる山里の木(こ)の下はをる人からやもりすぎぬらん とありければ、かへりみたまはぬ心ばえ((「心ばへ」は底本「心え」。諸本により補入。))なりけり。 「『御門、ご覧じて、『なにごとぞ。これ心得ず』とてなんありしと、僧都の君に見せ給ひける』と聞きしかば、かひなくなんありし」と、語り給ひける。 ===== 翻刻 ===== 亭子のみかとに右京のかみのよみて たてまつりける あはれてふ人もあるへくむさし ののくさとたにこそをふへかりけれ 又しくれのみふる山さとのこのした はをる人からやもりすきぬらん/d19r とありけれはかえりみたまはぬ心えなり けりみかとこらんしてなに事そこれ こころえすとてなんありしと僧都の君 にみせ給けるとききしかはかひなくなん ありしとかたりたまひける/d19l